“原発災害=絶対災害=破局的ピンチ”は、地域すべての“持続的発展可能性=未来へのチャンス”をすべて奪い去る、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その16)、震災1周年の東北地方を訪ねて(87)

広野町復興計画』が「ヒロシマナガサキ」に言及したのは、その意図はともかく、原発と原爆のもつ共通性を図らずも浮かび上がらせることとなった。人は言うだろう。原爆は戦争目的のため、原発は平和目的のためなのだから、両者の性格は全く異なる。世界ではじめて被爆国になった日本においても(であるからこそ)「原子力の平和利用」は追求されなければならず、原発原子力エネルギーを人類のために活かす究極の手段なのだと。

だが福島原発事故を目前にした私たちは、「安全神話」が崩壊したいま、原発は原爆と同じく人類の生存とは根底的に相容れない存在であることにようやく気付いた。原爆は一瞬にして大量の人命を奪う殺人兵器であるがゆえに、“原水爆禁止・核廃絶”は世界の平和運動の永遠の目標となり象徴となった。原発事故・原発災害は、周辺地域はもとより地球規模の放射能汚染をもたらすことによって、また数万年にも及ぶ放射性廃棄物の残留放射能の影響によって、人類の生存を空間的にも時間的にも脅かし続ける最大の恐怖となったのである。

私もその一端につらなる地域計画・都市計画・農村計画(以下「まちづくり」という)の本旨は、自治体それぞれに付与された固有の地域資源(自然、歴史文化、生活、産業など)が有する「開発ポテンシャル」(開発潜在力)を持続的に引き出すことことにある。言い換えれば、いわば地中に眠っていた地域固有の開発可能性を系統的に引き出し、それを持続的に発展させる(育てる)エンドレスな営みが「まちづくり」の本旨であり使命だと言えるわけだ。

このような観点からすれば、災害復興計画もまた「まちづくり」の一環であり、決して特殊例外的なものではない。災害によって失われた地域資源を復旧し、地域の開発ポテンシャルを取り戻すプロセスに過ぎないとも言える。宮城県のように「復旧ではなく再構築」とか「選択と集中」とかいって震災に便乗した構造改革に乗り出せば、それはかえって災害の傷跡を広げ、地域の開発ポテンシャルを損なうだけなのだ。

問題はその場合の災害の性格だろう。原発事故・原発災害の本質は、通常の自然災害などとは根本的に異なる“絶対災害”ともいうべき性格の災害であることの認識がまず必要だ。それは単に「地域のいまを損なう」だけではなく、「地域の未来を奪う」のである。土壌や水が放射能で汚染されて山仕事や農業が出来なくなる、森林用材や農産物が売れなくなる、避難を余儀なくされる、いずれもが被災者が現在直面している比類のない困難だ。しかしそれ以上に被災者を苦しめているのは、「いつ故郷に帰れるのかわからない」という不安感であり焦燥感なのである。

11月28日午後、私が住む京都の伏見で「うつくしま・ふくしまin京都/避難・移住・帰還の権利ネットワーク」が主催する「避難者がつくる京都公聴会」が開かれた。東京から復興庁職員も2名参加して、避難者の声に耳を傾けた。13名のお母さんたちが京都での避難生活の悩みや苦しみをこもごも訴えたが、共通するのは故郷を離れざるを得なかった苦しみと悲しみ、そして故郷にいつ帰ることができるのかわからない不安と絶望だった。

 翌日の11月29日、福井大飯原発再稼働差し止め訴訟が京都地裁において原告1100人の手でスタートした(私も呼びかけ人の一人として参加した)。この訴訟の記者会見において原告の一員に加わった福島避難者のお母さんは、「なぜ私たちが故郷を追われなければならないのか。もし大飯原発で事故が起これば、自分の子どもは福島と京都で二度被曝することになる。こんなことは絶対に許せない」とその決意を語った。

考えてもみたい。第1原発から20キロ圏、第2原発から10キロ圏の至近距離に位置する広野町が、浪江町双葉町大熊町楢葉町のような高レベルの放射能汚染を免れたのは、原発爆発時の気象条件(風向・降雨・積雪など)による全くの“偶然の結果”に過ぎない。現に広野町より遥か遠距離に位置する飯舘村が依然として「立ち入り禁止区域」なっているのである。

それでいながら「広野町原発事故収束のための拠点となっており、そうした意味でも広野町は双葉地域復興の拠点となっています」などというのだから、『広野町復興計画』は偶然の結果に依拠した“砂上の楼閣”としか言いようがない。もし広野町が同じく高放射能汚染に曝され、「警戒区域」になっていたら、いったいどのような復興計画をつくるというのだろうか。復興計画は「偶然の産物」ではなく、地域発展の必然性に裏打ちされた確たる計画でなければならないからだ。

ふたたび言おう。『広野町復興計画』は「原発事故というピンチをチャンスに変え、産業と雇用の連動による活力のあるまちをつくります」などという。だが私は、原発事故というピンチはチャンスなどに変えることのできない“破局的災害”であり、それどころか地域の未来(持続的発展)の可能性を全て奪い去ってしまう“絶対災害”だと考えている。そして広野町原発関連産業の立地によっていかに「活況」を呈することがあっても、福島原発が再稼働する限り、またいつの日かさらなる原発事故・原発災害に曝される恐怖や危険性から逃れることはできないと思う(確信する)。

広島・長崎に投下された原爆が人類の生存とは相容れない存在すなわち人間の倫理に反する“絶対悪”であるように、日本列島に張りめぐらされた原発基地は、地域の持続的発展(サステイナブルな開発)とは共存できない存在である以上、原発維持・再稼働を前提とする災害復興計画は破綻する他はないとうのが私の結論である。次回からは川内村について述べたい。(つづく)