広野町復興計画における「復興構想シナリオ」への疑問、“脱原発・原発ゼロ”の方向性を明示しない復興構想は果たして「復興計画」といえるのか、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その12)、震災1周年の東北地方を訪ねて(83)

広野町の復興計画に携わる幹部職員は、「自分は少し変り者かもしれないが」と前置きしながら、次のような“確信的楽観論”を語ってくれた。

「役場が戻ってきても町民がなかなか帰ってこないというのは事実だ。しかし帰還町民が1割という数字は役場に届け出た人たちの数であり、届け出をしないで戻っている人たちもいるので、実際は2割程度の町民がすでに帰ってきていると思っている」

広野町双葉郡のなかでも原発事故対策の前線基地となっており、すでに千人単位の技術者や作業員が常時町内に滞在して原発収束対策にあたっている。今後、長期にわたる廃炉作業が本格化すれば関連産業や研究機関の立地も考えられるので、そこで働く人たちが町に定住することは十分考えられる」

「現在、いわき市などに避難している町民は“長い修学旅行”に行っているようなもので、修学旅行だからいずれ町に戻ってくる。役場では10年もすれば(新規町民の定住も含めて)事故前の人口を回復できると考えており、そのためにも町民が健康で安心して暮らせる住まいや生活環境の整備が何よりも重要だと思っている」

ここで聞いた話は、率直に言って私の予想を180度裏切るものだった。普通なら住民が1割しか戻らないという現状は、復興まちづくりの実現に責任を負わなければならない幹部職員や担当者にとっては苦痛以外の何物でもないはずだ。でもこの幹部職員は「避難した人たちは必ず帰ってくる」「長い修学旅行に行っているだけだ」と確信しているのであり、それを前提にした復興事業を推進している。私はこの言葉を聞いたとき、最初は「強がり」でそう言っているのではないかと思ったが、しばらく話をしているうちに本当にそう思っていることがわかってさらに驚いた。

京都に帰ってから、役場でもらったホッチキスで止めただけの40頁足らずの『広野町復興計画(第一次)』(2012年3月)を何度も読み返してみたが、そこに書かれていることと幹部職員が語った言葉の間には大きな矛盾はなかった。むしろ読めば読むほど奇妙な“リアル感”が増してくるのはなぜなのか。その象徴的な言葉が、冒頭の復興計画策定の趣旨に掲げられた「ピンチはチャンス」というキーワードだ。原発事故によってもたらされた「ピンチ」をこれまでの(第四次)町勢振興計画を発展させる「チャンス」として捉える立場から、「復興のシナリオ」にはおよそ次のようなことが書かれている。

東日本大震災により広野町の置かれている立場や期待は大きく変わっています。平成24年1月現在、広野町原発事故収束のための拠点となっており、数多くの技術者・作業員が町内の施設を活用し、居住するとともに、いわき市茨城県等から連日多くの作業員等が訪れ、本町を拠点に活動を続けています。そうした意味でも、広野町は双葉地域復興の拠点となっています」

「また、原発事故についてはわが国だけでなく世界中が注目しています。かって人類が経験したことのない規模の原発収束と廃炉という挑戦が開始されています。かって広島・長崎に原爆が投下されその復興が危ぶまれましたが、今では「ヒロシマナガサキ」は戦争という過ちに対する反省とともに「平和」の象徴となっています」

「「フクシマ」も原発事故と言う最大の悲劇に対して人類の英知を結集し、すなわち人と人との真心の絆と英知によって見事に乗り越えた人類の勝利の象徴としなければなりません。広野町はその最前線拠点であり、どのように復興を図り町民が安心して帰還できる町づくりを進めていくのか、全国が注目しています」

宮城県福島県には東日本大震災によって多くの自治体が存亡の危機に直面しているにもかかわらず、その一方、それとは対照的に震災復興事業によって空前の“活況”を呈している都市があるといわれる。それが仙台市いわき市だ。仙台市は、巨額の震災復興事業を受注した大手企業が全国から相次いで進出している東北地方の中枢都市であり、いわき市福島原発事故収束のための原発関連産業が集中立地している地方拠点都市だ。そして広野町は、今やいわき市の「前線基地」になりつつあるのである。

 だから、このような“現実”の流れを見た広野町が、原発災害関連産業の立地に依拠して将来の「復興シナリオ」をつくったのもわからないではない。しかし私が引っ掛かるのは、この「復興シナリオ」にはこれまで原発に依拠してきた自治体としての苦悩もなければ、反省のかけらも見られないことだ。誤解を恐れずに言えば、原発が稼働している時にはそこからの受益を享受し、原発事故が発生すれば原発収束や廃炉事業で次の機会をうかがうと言った“原発依存”の体質が垣間見えるのである。

だが“脱原発原発ゼロ”の方向性がはっきりしない「復興シナリオ」など、果たして「ヒロシマナガサキ」と並ぶ「フクシマ」にとってふさわしいものと言えるのだろうか。原爆投下以降の広島・長崎では、長年にわたって市長を先頭に市民が「原水爆禁止・核兵器廃絶」を世界に訴え続けてきた。それと同じく広野町町長・役場職員や町民には、「原発事故と言う最大の悲劇に対して人類の英知を結集し、人類の勝利の象徴」とするだけの決意と思想があるのだろうか。(つづく)