「絶叫する改憲」から「静かなる改憲」へ方針転換か、自民党改憲推進本部の“改憲対話集会”と麻生副首相の“ナチス手口発言”を結ぶもの、「左派」と「中道リベラル」の連携以外に改憲勢力への対抗軸はない(その3)、改憲勢力に如何に立ち向かうか(20)

 7月31日から8月1日にかけての新聞各紙は要注意記事の連続だ。参院選後の改憲策動の変化が目に見えるようなかたちで出てきているのである。私がまず注目したのは、「自民が「改憲対話」検討」「草案説明へ草の根開催」「9条96条改定反対の世論に対抗」との見出しを掲げた『しんぶん赤旗』(7月31日)の囲み記事だった。それによると、自民党改憲草案を国民に直接説明するための対話集会を各地で開催する方針の検討に入ったという。同党の改憲推進本部の関係者が「9条の会が草の根で活動を続けている中で、こちらとしてもこういう取り組みを急がなければならない」と語ったというのである。

 自民党が言う「草の根運動」は通常の意味の地道な運動ではない(と思う)。想起されるのは、太平洋戦争時の「大政翼賛会」の国民総動員体制だ。「大東亜新秩序」を叫んで太平洋戦争へ突入していった軍部の方針を追認し、これを支えるための国民総動員体制をつくるために結成されたのが大政翼賛会だった(ちなみに戦時中の大戦翼賛会総裁は、東京裁判A級戦犯として処刑された東条英機元首相だった)。自民党改憲草案を追認し、これを支えるための国民運動を組織しようと真面目に考えているのである。

 大政翼賛会は、ナチスをモデルにして結成されたといわれている。戦争遂行のためには一億国民は団結しなければならず、そのためには国内諸組織を統一して強力な翼賛政治体制を作り上げ、地域の末端からボトムアップ(草の根)ですべからく国民運動が組織されなければならないというのが大政翼賛会結成の趣旨であった。かくして部落会・町内会要綱が定められ、「トントントンカラリノ隣組」の歌の下で、国民は本土決戦に備えた国土防衛隊・国民義勇隊へと総動員されていったのである。

 自民党改憲推進本部のこんな“キナ臭い”方針に口裏を合わせたように、翌日の朝日新聞(8月1日朝夕刊)は「麻生ナチス手口発言」の大特集だった。麻生副首相は次のように言う。「今回の憲法の話も狂騒のなかでやってほしくない。靖国神社も静かに参拝すべきだ。(略)だから静かにやろうや、と。憲法はある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。誰も気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね。わーわー騒がないで」

 これは、明らかに「絶叫する改憲」から「静かなる改憲」への方針転換を示唆するものだろう。橋下維新のような「扇動型改憲」が次第に国民の警戒心を呼ぶようになった現在、自民党は「学習型改憲」に舵を切ったのだと思う。それが期せずして上記の2つの記事になって繋がったというわけだ。

 だが麻生氏は「朝令暮改」を地で行くが如く、8月1日午前に「(発言が)私の真意と異なり誤解を招いたことは遺憾だ」と言って僅か1日で発言を撤回した。しかし「綸言汗のごとし」の教訓にもあるように、いったん口から出た発言はもう元には戻らない。これからもかっての「未曾有(ミゾユー)」発言のごとく、いやそれ以上に(国際的に)「麻生氏迷言集」として末長く語り継がれることだろう。

 それにしても橋下氏の「慰安婦・風俗発言」と言い、麻生氏の「ナチス手口発言」と言い、どうしてこれほど歴史認識に疎い、政治家の劣化を象徴するような人物が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)するのだろう。両者はいずれも日米同盟至上主義者であるにもかかわらず、アメリカの支配層からも拒否されるようなお粗末極まりない人物だ。橋下氏は「慰安婦・風俗発言」によって渡米を拒否されたし、麻生氏はバイデン副大統領と握手して帰国した直後に靖国参拝をして、「中国・韓国との外交関係を無視するもの」としてアメリカの激怒を買ったのである。

 だが、麻生氏の場合はそれにとどまらない。麻生氏は先日、東京オリンピック招致団の代表として国際舞台で派手なプレゼンテーションして帰国したばかりだ。そしてその舌の根も乾かないうちに「ナチスの手口に学べ」と言ったのだから、これが国際的な反響を呼ばないはずがない。国際オリンピック委員会は、この種の発言に極めて敏感だ。ナチスベルリンオリンピック大会をフルに利用して、その後ファシズムの道へ突き進んでいった教訓を忘れていないのである。

 安倍政権は、「政権のアキレス腱」とも言える歴史認識をめぐる失言の連続でさぞかし当惑していることだろう。でも麻生氏は安倍内閣の副首相である以上、「真意を誤解した」とかの小手先の弁明は通用しない。安倍首相が「麻生に続け」とばかり失言を重ねるとは思わないが、参院選後の安倍政権のスタートが一歩躓いたことは間違いない。(つづく)