“関西風”の味付けになった「京都96条の会」の立ち上がりシンポ、「左派」と「中道リベラル」の連携以外に改憲勢力への対抗軸はない(その4)、改憲勢力に如何に立ち向かうか(21)

 8月6日の広島原爆記念日に開かれた「京都96条の会」の立ち上がりシンポは、2週間余りの準備にもかかわらず150名余の市民が詰めかける大盛況の集会になった。準備世話人隅井孝雄氏(ノートルダム女子大学客員教授、メディア論)が入念なプレスリリースを行い、京都新聞朝日新聞にシンポ開催のニュースが岡野八代氏(同大教授、政治思想史)の顔写真入りで大きく報じられたことが功を奏したのだろう。

 シンポは、まず中里見博氏(徳島大準教授、憲法)による、日本国憲法核武装を阻止することで脱原発政策の基礎となり、また戦争と言う最大の暴力を抑止する非暴力思想の淵源になっているとの基調講演「憲法脱原発・非暴力」で始まり、続いて岡野氏、アンヌ・ゴノン氏(同大教授、公共政策)、島岡まな氏(阪大教授、刑法)の3女性がそれぞれの専門分野から日本国憲法の思想史的背景、新自由主義による憲法理念の空洞化の実態、そして憲法民法・刑法の非整合性などについて興味深い論点を提示された。

 こう書くと、シンポは一見アカデミックな雰囲気の中で進められたような印象を与えるが、実態は“関西風”の味付けになったところが如何にも面白い。と言うのは、ほかでもない。岡野氏と島岡氏がともに「全日本おばちゃん党」の党員であり、なかでも島岡氏はその代表として「豹柄の制服」を着て参加されたからだ。また京都在住のおばちゃん党員が多数駆けつけられ、受付や会場整理などを手伝っていただいた。

 会場で配布された「全日本おばちゃん党」のパンフが実に面白い。結成されたのは昨年11月でまだ1年にもならないが、党員(女性のみ)はすでに3千人近くに達していて東京方面にも広がっている。その秘密は、本音で語るトーク大阪弁)の面白さ、「地上最強の生命体」と自称する抜群の行動力、そして行動の源となっている基本政策と行動綱領の確かさにある。

 ちなみに「維新八朔」に対抗してつくられた「おばちゃん党はっさく」の内容は次のようなものだ。
(1)うちの子もよその子も戦争には出さん!
(2)税金はあるとこから取ってや。けど、ちゃんと使うなら、ケチらへんわ。
(3)地震津波で大変な人には、生活立て直すために予算使ってな。ほかのことに使ったらゆるさへんで!
(4)将来にわたって始末できない核のごみはいらん。放射能を子どもに浴びせたくないからや。
(5)子育てや介護をみんなで助け合っていきたいねん。そんな仕組み、しっかり作ってや。
(6)働くもんを大切にしいや!働きたい人にはあんじょうしてやって。
(7)力の弱いもん、声の小さいもんが大切にされる社会がええねん。
(8)だからおばちゃんの目を政治に生かしてや!
 私はこのパンフを読み、島岡氏の発言を聞いて、96条の会をどのような形に発展させていけばよいかについて大きなヒントを得たように思う。そこには、護憲運動や政治革新運動を庶民の間に広げていくための宝物が一杯詰まっているような気がしたからだ。96条の会の活動は、平たく言えば「憲法の井戸端会議」、少し気取って言えば「憲法サロン」を開いて、そこにいろんな市民が自由に参加し、憲法を気軽に学べる(議論できる)場を提供することにあると考えるのである。

 もちろん、安倍政権がこの3年間に改憲国民投票に打って出る可能性は否定できない。しかしそうなれば、「憲法の井戸端会議」や「憲法サロン」はインターネットで結ばれた改憲阻止運動の“まち場拠点”に一変するだろう。9条の会も同様の行動に立ち上がるだろうから、京都には草の根の現場から市民が改憲阻止に立ち上がる無数のベースキャンプが形成されることになる。

 とはいえ、この井戸端会議やサロンの運営は難しい。それは松下政経塾のような特定の政治思想をたたき込む場でもなければ、特定の政治家が自らの政治基盤づくりのために利用する「政治塾」でもない。96条の会の井戸端会議やサロンは、(広い意味での)憲法の専門家と市民との間に成立する意見交流の場であって、しかも平易でありながら水準の高い議論の場であることが要求される。

 この課題に応えるためには、濃い中身を平易な言葉で語れる高度な能力を持った専門家の組織が必要になる。一部の有志だけに偏れば長続きしなから、一定数のしかも各分野にわたる専門家集団が必要だ。しかし「大学のまち」京都には多くの専門家・研究者が要るので心配はいらない。彼らと市民の間を結ぶ役割を96条の会が担うのであり、またそこにこそ存在の意義があるというべきだろう。(つづく)