堺市の自立したまちづくりのためには、自民党は“開発保守”から“環境保守”へ脱皮(変身)しなければならない、堺市の都市構造の歪み(2)、堺市長選の分析(その10)、改憲勢力に如何に立ち向かうか(40)

 日本の支配政党・自民党は、「保守党」の看板を掲げながら地域開発・都市開発の先鋒になってきた政党だ。「保守」とは日本の好ましい伝統を守り、美しい日本の自然を守るのが本来の筋だ。ところが驚くべきことに、日本の伝統と自然を先頭に立って破壊してきたのが他ならぬ「保守党=自民党」だった。自民党は、頭の先から爪の先まで「開発政党」だったのである。

 日本の支配勢力は、国家が主導して国土と地域を開発するという“開発主義”を国策としてきた。戦前は天皇の官僚と軍隊が開発主義を主導し、海外では植民地建設を、国内では軍事産業育成のための大規模開発を推進した。しかし敗戦で海外植民地の全てを失い、国内都市の大半が焼尽に帰し、国土が根底から破壊された戦後日本では、開発主義の矛先は国内に向かう他はなかった。

 戦前の植民地建設(大東亜共栄圏)にかわって、戦後は“高度経済成長政策”が開発主義の次の「錦の御旗」になった。その先鋒が全国各地での臨海コンビナート建設を中核とする大規模工業基地の建設である。全国各地の大都市周辺の海岸はすべて埋め立てられて、「鉄とコンクリート」の要塞と化した。京葉臨海コンビナート建設のために東京湾が埋め立てられ、堺・泉北臨海コンビナート建設のために大浜・浜寺・五色の浜など世界屈指の堺の白砂青松の自然海岸が姿を消した(私は子どものころ、親せきのあった浜寺海岸に泳ぎに行っていた)。

 当時は、沈下する関西経済の振興のためには、重化学工業地帯を堺・泉北で開発する以外の方法がないとの政府・財界の触れ込みだったが、歴史はそれが「真っ赤なウソ」だったことを教えている。堺・泉北臨海コンビナートがもたらしたものは凄まじいばかりの自然破壊であり、堺市民や小中学校の児童・生徒を苦しめた激しい喘息だった。

 関西経済復興の主柱になるはずの堺・泉北臨海コンビナート地帯は、その後「重厚長大」から「軽薄短小」の産業構造変化の波に取り残され、巨大な製鉄所、化学プラントなど関連工場はスクラップと化した。草茫々の工場跡地の再開発は容易でなく、最新鋭のパネル工場すらが早くもリストラの対象になっている。自然を乱暴に破壊した地域開発・都市開発がいかに短命であるか、いかに地域の持続的な開発可能性を奪うものであるか、その現実が堺市民の目の前でリアルに展開されているわけだ。

 「歴史にイフはない」というが、もし浜寺海岸一帯の白砂青松の海岸が埋め立てられず現在も残されていたら、堺市は世界屈指の先進的な大都市リゾート地域に発展していたであろう。すぐれた環境は優れた産業を引き寄せる。そこで働く人びとが優れた環境を望み、旧来の公害にまみれた工業地帯など見向きもしないからだ。世界をリードする先端産業が優れた環境を維持している地域に集中することは、もはや世界の常識なのである。

 かって「開発と環境は互いに矛盾する」といわれた。環境を保護することが産業誘致の障害になり、地域の発展の邪魔になるという理屈だ。“開発保守”である自民党がその先頭に立ったのは言うまでもない。だが今は違う。「開発は環境と両立する」のである。その意味で、自民党が本当の開発を進めたければ“開発保守”から“環境保守”へと脱皮(変身)しなければならない。

 橋下維新のいう「大阪都構想」はかっての関西経済復興の触れ込みを想起させる。橋下維新のいう開発構想は地域の自然や環境を生かした開発ではない。それとは逆に、地域の伝統や自然を徹底的に破壊することで成り立つカジノリゾートや娯楽産業などの「ラスベガス型開発」なのだ。“開発保守”はいまや橋下維新の独壇場となった。大阪自民党は辛うじて踏みとどまり、「反大阪都構想」のなかで次の行方を模索している。

 “環境保守”としての自民党の進路は明快だ。堺市自治を守り、政令指定都市の条件を生かした“環境を生かしたまちづくり”を進めることだ。かって私がイギリスで都市計画の研究をしていたころ、時代はサッチャー政権の全盛時代だった。しかも私が住んでいた地域は、ロンドン北部のサッチャーの選挙区・フィンチリーだった。フィンチリーやその周辺一帯の行政区はロンドン市街地をとりまく広大なグリーンベルトのなかにある地域であり、いうまでもなく保守党の強固な地盤である(郊外はミドルクラスが独占していて、労働者階級は市内密集地に住んでいる)。

 サッチャーは「規制緩和政策」を推進するため、グリーンベルト地帯の開発規制を外し、住宅開発を進めようとした。ところがこの規制緩和に最も強く反対したのが“環境保守“としての地元保守党組織だった。私はその反対集会にも行ったが、もしサッチャー政権が規制緩和を強行すれば首相との対決も辞さないとの空気だった。いま堺自民党や大阪自民党は“環境保守“へ脱皮(変身)する時なのである。(つづく)