台風18号とハリケーン・カトリーナ、橋下大阪市長とブッシュ前大統領を比較するのが目的ではない、彼らの“リーダーシップ”がもたらす結果を検証することが大事なのだ、堺市長選の分析(その15)、改憲勢力に如何に立ち向かうか(45)

 前回の日記ではただ単に事実関係を述べただけで、それがどのような政治的意味合いをもつものであるかについては論評しなかった。だが橋下大阪市長のとった行動は、(彼が願ってやまない維新の)堺市長選勝利への否定的影響はもとより、(彼自身は気が付いていないだろうが)自分の政治生命につながる致命的な誤りだったのである。

 台風18号の襲来で、京都・滋賀・福井3府県に「大雨特別警報」(かって経験したことのないような数十年に一度の大雨に関する警報)が出された9月16日、京都在住の私は未明から異常な強風と叩きつけるような大雨に怯えていた。テレビ・ラジオの気象情報はひっきりなしに警戒を呼びかけ、鴨川・桂川・木津川などが警戒水位を超えて氾濫の危険が迫っていることを伝えていたからである。

 大阪市でも市内を流れる大和川奈良県大和盆地が上流)が氾濫する恐れがあるとして、16日午前8時半に平野区住吉区などを合わせて13万1000世帯、約30万人に避難勧告が出された。大和川はこれまで「水質汚染ワーストワン」の公害河川としては知られていたが、ふだんは氾濫の危険があるような河川とは認識されていない。だからこそ、大阪市大和川の氾濫を危険視して30万人もの市民に“初めて”避難勧告を出したときは、避難規模の大きさから市民の不安が最高潮に達していたのである。

 これは公務員であれば常識だが、このような災害時それも避難勧告が出されるような非常事態には、関係職場に「緊急招集」がかけられることになっている。住民の生命と財産の安全を守ることが公務員の使命である以上、上司はもとより職場全員が最大の緊張感を以て臨まなければならない事態だからである。私も公立大学の責任者だったころ、大学が広域避難場所に指定されていたため、そのような事態への対策を常に怠らなかった。

 ところがどうであろうか。橋下大阪市長は、「市長の仕事は危機管理監への指揮。危機管理監から報告を受けて、判断を求められたら判断をする。それがトップの仕事」だとうそぶき、自宅でツイッターに(それも堺市長選に関連しての)耽っていたのである。それどころではない。彼は自らの行動を正当化するため、現場で陣頭指揮をしている堺市長に向かって「危機管理時にトップが現場に出るのは吟味が必要。そうでなければ単なるパフォーマンス」との中傷まで行う始末だ。

 これを聞いた大阪府政関係者(松井知事も自宅で“待機”していた)が控えめの発言ながら、「橋下市長の主張にも一理ありますが、竹山市長は予定していた選挙活動を中止し、氾濫した河川の視察に出かけています。堺市長選は維新の会が掲げる大阪都構想への参加の是非が最大の争点で、現職と維新新人の一騎打ち。負ければ、橋下市長の求心力低下は避けられない。後がないのは分かりますが、市民の不安を考えたら、もう少し配慮があってもよかったと思います」と批判したのは当然のことだろう。

 “歴史の教訓”に疎い橋下大阪市長は知らないであろうが、災害対応の誤りから政治生命を断たれ、政権交代に追い込まれた有名なアメリカ大統領にジョージ・W・ブッシュがいる。ブッシュ大統領は2005年8月26日の「ハリケーンカトリーナ」の襲来に対して取るべき対応を取らず、議会・政党・マスメディアはもとより、全米市民の非難の的になり惨めな退陣に追い込まれた。ブッシュ大統領は、地元自治体から矢のような催促を受けながら休暇中の自分の牧場から離れず、テレビ会議で非常事態宣言や災害宣言を発したものの、漸く災害現場に立ったのは8日後の9月2日のことだった。そして災害対策を表明したのは、それからさらに13日後の9月15日のことだったのである。

 大統領在任中は自分の責任を認めることがなかったブッシュが、珍しくその責任に言及した文章がある。引退後に執筆した『私の履歴書』の第2回目(日経新聞2011年4月22日)のハリケーンカトリーナが「史上最悪の天災をもたらした」との述懐だ。

「2期目の政権運営に取り組んでいた2005年8月、まったく別の試練に直面した。(略)カトリーナは史上最悪の天災をもたらすことになる。治安、衛生環境の悪化も現地の惨状に拍車をかけ、連邦政府は対応の不備を非難された。(略)2004年の選挙時には史上最高の得票を得て再選されたにもかかわらず、私の「政治的資産」はこの頃から急激に目減りし始めていた。支持率は急落し、野党・民主党だけでなく、与党・共和党の一部でも私に距離を置く空気が強まっていった。2005年秋に私の頭上を覆った暗雲は、結局、大統領としての任期を終えるまで晴れることはなかった」

 このようにブッシュ共和党政権がカトリーナへの対応によって命運を絶たれ、その後のオバマ民主党政権誕生の一大契機になった。このことは、オバマ大統領にとってもハリケーン災害対策などの成否が政権維持のための至上命令になったことを意味する。2012年10月、アメリカ東部を襲った「ハリケーン・サンディ」への対応に当たって、オバマ大統領が大統領選挙期間中にもかかわらず選挙運動を一時中止してまで陣頭指揮を執ったのはこのためである。

 橋下大阪市長が台風18号の襲来中も自宅を動かず、ツイッターに熱中していたことは、彼の「リーダーシップ」が何たるかを大阪市民はもとより堺市民に対しても赤裸々に示した。このことは、橋下氏が「台風18号述懐の記」を書くのはそれほど遠くないことを示唆している。(つづく)