今回の神戸市長選は“党派選挙”ではなくて“市民選挙”だった、選挙結果を率直に認めることが革新勢力の再生につながる、神戸の旧革新勢力は市民に愛想を尽かされた(その4)、ポスト堺市長選の政治分析(7)

 今回もまた、多くの方から長文のコメントを寄せていただいた。神戸の市民力の高さを示すもので、拙ブログに対する反論から学ぶべき点は余りにも多い。おそらくこの“ウェブ討論”を読んだ方々は、私の論点設定の仕方や議論の重点の置き方などについていろんな感想や疑問を持たれたことだろう。また、コメント諸氏の指摘や主張についても同様の感想を持たれたのではないか。

 結論的に言えば、これで本ブログ上の“ウェブ討論”はそれなりの目的を果たしたと言える。論争に決着をつけるのがそもそもの目的ではなく、多様な論点が浮かび上がることで、自治体の首長選ひとつとってみてもこれほどの多様な視点があることへの理解が少しでも進めばよいと思うからだ。このことを前提にしたうえで、少し立ち入った意見を述べよう。

 コメント諸氏と私の論点の食い違いを一言でいえば、それは「神戸市における市役所一家体制を打破するためには、候補者はどんな人物でも構わないのか」ということに尽きるだろう。この論点の食い違いは、2つの内容から成っている。第1は、神戸市の市役所一家体制のもたらす問題点についての認識の差にもとづくものであり、第2は市民候補に対する評価視点の相違によるものだ。

 前回でも書いたように、神戸市長選の際立った特徴は投票率が著しく低いことだ。市長選といえば「おらが町の代表」を選ぶ最も身近な選挙だから、国政選挙より投票率が上がってもなんら不思議ではないはずである。にもかかわらず、21世紀に入ってからの4回の神戸市長選投票率はいずれも30%台に低迷しており、市民・有権者の3分の2は市長選に参加していない。これは「選挙に行かない」ことで政治不信をあらわす大都市有権者の一般的傾向に加えて、自民党石破幹事長も言うように「神戸市独自の事情」が関係している。

 神戸市独自の事情とは、言うまでもなく戦後一貫して続いてきた「助役出身者でなければ市長になれない」という“市役所一家体制”(市役所利益共同体)がいまだ強固な根を張っており、それ以外の候補者が立っても当選は無理だと市民が最初から諦めていることを指している。神戸市においては選挙を通して市長が選ばれるという民主主義が事実上機能していないのであり、市役所一家の利益を代表する“世襲候補”が選挙という名の信任投票を受けてきたにすぎないのである。これは深刻な住民自治・地域民主主義の危機である。

 コメント氏は、私見を「市役所一家体制を打破するためには、候補者は(市役所出身でなければ)どんな人物でも構わない、誰であってもよりましなはず」といった(単純な)文脈で理解しているが、それは市役所一家体制のもたらす“巨悪”の実態を必ずしも十分に認識していないことから生じる誤解であろう。また、この“巨悪”を倒すにはどれほどのエネルギーが必要かということへの理解が必ずしも十分ではないからだと思う。

 このことは、今回の市長選で市民候補のために奮闘した市民活動家の多くが、阪神大震災当時およびそれ以降の神戸市の反市民的・非人道的態度に対してエンドレスの抗議運動を続けてきた人たちであることに象徴されている。たとえば、阪神・淡路大震災の発生から僅か2カ月後、避難所となった小学校に20数万人もの被災者が寒さと空腹に耐えているその時、神戸市はこれに反対する人たちの“人間の鎖”を強制排除し、被災地の「復興計画」と称する都市計画決定を強行した。またこのための準備作業として、都市計画局は被災者の救援活動を放棄して震災発生の翌日から市街地の調査に当たった(この都市計画決定の責任者である助役がその後市長候補への権力争いに敗れ、海岸で焼身自殺をしたという悲劇まで発生している)。

 「復興計画」と称する都市計画決定の結果の一つが、現在ゴーストタウン化しつつある新長田駅前都市再開発事業の無残な姿だ。そのなかでは借金までして入居した商店主たちが、シャッター街と化した商店街のなかで苦悩の日々を送っている。しかも神戸市はこの再開発地区の管理運営を大手流通業者に丸投げして法外な管理費を徴収し、商店主たちの度重なる抗議にもかかわらず一切の謝罪を拒否して入居者を破産状態に追いやっている。その実態は過日のNHKテレビ(仙台放送局製作)で放映され、多くの市民に衝撃を与えたことは記憶に新しい。

 くわえて、大震災の最中にあって不要不急の神戸空港の建設を“希望の星”と叫んだ市長の声も忘れるわけにはいかない。そして、これに抗議して始まった30万人もの空港建設再検討を求める住民投票直接請求署名運動をろくに審議することもなく、多勢を頼んでファッショ的に否決したのも市役所一家体制だった。市民の反対運動を押し切って建設した神戸空港がその後どのような経緯をたどり、日々巨額の赤字を累積して市財政にどれほどの負担を与えているか、またその結果が市民サービスのどれほどの切り捨てにつながっているか、少しでも考えてみればすぐにわかることだ。

 一方、候補者問題についてはどうか。私は市民候補との直接の面識はないが、市民候補の人柄や政策については信頼する友人たち(阪神・淡路大震災後、一貫して市役所一家と闘ってきた市民活動家たち)が語る候補者像と共産党がいうのとではまるでイメージが違う。『しんぶん赤旗』によれば、市民候補に対しては「隠れ維新」「みんなの党推薦」「ブラック企業との癒着」などなどありとあらゆる罵詈雑言が浴びせられたが(読むに堪えなかった)、それならなぜこれほどの“極悪人物”が共産党候補の3倍半も得票するのかがわからない。また共産党もこのことを一切説明していない。いや、できないのである。

 私は、今回(および前回)の神戸市長選における市民候補の存在を党派的視点からではなく「選挙制度=民主主義」そのものを取り戻す本質的視点から高く評価している。市役所一家体制の支配が市民の選挙行動にも及んだ結果、過半数の市民が選挙から離れ、市長選は文字通り形骸化していた。それが“勝てる市民候補”の登場によってはじめて「選挙らしい選挙」が行われるようになったのである。

 ところがどうだろう。狭い了見の党派選挙にこだわるあまり、「選挙制度=民主主義」そのものの危機が見えなくなった革新勢力は、市役所一家体制批判すなわち市民の民主主義的要求を受け止められなくなっていたのである。神戸市政における民主主義の擁護と復権を掲げたのは、他ならぬ「役所の代表を選ぶのか? 市民の代表を選ぶのか?」をメインスローガンにして戦った市民候補であり、「革新の大義」を掲げる共産党候補ではなかった。そのことが市民候補への共感と得票につながり、共産党候補との大差になったのはけだし当然というべきであろう。

 11月5日、遅まきながら「あったか神戸の会」は選挙総括を発表した。そこには「得票数の激減」という冷厳な敗北の事実に対する一切の分析や言及がなく、ただ「一人ひとりの市民との旺盛な対話活動の遅れを克服できなかった」ことが敗因だと記されているだけだ。こんな程度の総括であれば、「次の市長選は対話活動に頑張ろう」との方針を打ち出されるだけで、また同じ結果が繰り返されることは目に見えている。

 大切なことは、今回の神戸市長選は“党派選挙”ではなくて“市民選挙”だったことを謙虚に学ぶことだ。選挙結果を率直に認めることが革新勢力の再生につながる。事実から目をそむけては失うばかりで、そこからは何も得られない。(つづく)