市民団体による神戸市長選の総括文書について、神戸市長選座談会その6、(堺市長選、神戸市長選はどうなる、その11)

A: 神戸市長選を戦った市民団体から市長選の総括文書(案)が届いた。A4版50頁、5万字に達する膨大な文書だ。これほどの分厚い選挙総括はかって見たことがない。それも選挙参加者のいろんな意見を取り入れて、5回も改訂版を出している。

B: 第5版は11月25日付けだ。全国的に見ても、類を見ないものだろう。12月1日(火)の夜に神戸市産業振興センターで「神戸市長選の反省と展望」を語り合うための「たたき台」にするためだという。神戸の各政党が「談話」程度のコメントしか出せていないのと較べると、この市民団体の卓越した力量がわかるというものだ。

C: 現職側の選挙母体をはじめ、支援団体の政党や労働組合がまともな総括を出せないのは当然だ。「大義のない選挙」の総括はできないからね。「談話」程度でごまかすほかはないわけだ。しかし、それにしてもこの体たらくは恥ずかしいね。「神戸市の恥だ」といっても過言ではないよ。

A: それでは、総括文書(案)を読んだ感想をききたい。私は総括の内容もさることながら、そこに添付されているこの4年間の活動記録(苦闘の跡)に強い感銘を受けた。これだけの活動を続けてきた市民団体は全国のどこにもいない。

B: どこにそんなエネルギーがあるのだろう。普通は選挙前になってから急遽体制作りをして、選挙が終われば解散するのが通例だ。政党や労働組合と違って市民団体には金も専従者もいないのに。

C: それは総括文書の表紙に書いてあるよ。「神戸は変わるまで、震災復興は終わらない。」というものだ。当時の神戸市長が震災直後に被災者のことをそっちのけして、「神戸空港をつくる」と言ったのがよほど悔しかったのだろう。市民団体の中心メンバーは、震災復興に奔走してきた人たちが多いからね。

B: 市長選挙に勝利しないと「震災復興は終わらない」という気持ちはよくわかるね。なにしろ市長も市長なら、助役も助役だった。震災当時の助役は都市計画審議会会長も兼ねていたが、震災を「幸か不幸か」といったことで有名(悪名)になった極めつきの人物だよ。

A: そういえば、震災を「千載一遇のチャンス」とも言ったとかいわれているね。市街地が焼けた方が都市計画をやりやすいとでも思ったのだろう。それにしてもこんな連中の後継者がその後もずっと神戸市政を牛耳っているのだから、市民はたまらないよ。

C: 当時の神戸市政の背後に何があったのか知らないが、「幸か不幸か」の助役は、その後海岸で灯油をかぶって焼身自殺をしている。市長ポストをめぐる権力争いに敗れたからだともいわれているが、それにしても「市役所一家体制」の裏には多数の犠牲者が出ていることは市民に余り知られていない。 
A: もう一度、総括文書(案)に話を戻そう。私の率直な印象は、候補者の人物像が肯定的に描かれていること、選対を仕切った無党派市議たちが市民団体に対して徹底した排除行為に出たこと、それにもかかわらず市民団体が選挙運動に献身したことの3点だ。

B: 僕も同意見だ。選挙は候補者の人柄もさることながら、選対本部の団結がなければ絶対に勝利できない。また支援団体は対等平等の関係でなければ、選挙運動を盛り上げることもできない。この点で今回の神戸市長選は「世にも不思議な選挙」だったと言っていい。

C: 無党派の市議たちの思惑ははっきりしている。自分たちには選挙組織がないので市民団体を手足に使いたい。しかし市民団体が「革新系」だということが公になると、小沢民主党や橋下大阪府知事の応援を得ることが難しくなる。だから選対本部から排除して、指令だけを出すという一方的な行為に出たわけだ。

B: 不思議なのは、こんな選対のあくどい行為を肝心の候補者がどう見ていたかということだ。市民団体の総括では、そんななかで候補者が苦心惨憺して選挙活動をやっていたと同情的に描かれている。真相はどうなのだろう。

A: そこのところはちょっと理解しがたいね。世襲議員の場合、候補者が後援会の傀儡でしかないような選挙はたくさんあるが、今度の場合はそれに該当しない。むしろしがらみのない「フレッシュな新人候補」というのが売りだったはずだ。

C: 僕もその辺がよくわからない点だ。取り巻き連中の言いなりになるような候補者であれば、もうそれだけで市長候補としては失格だと言っていい。一方で市民団体と何回も懇談を重ねながら、他方で選対の妨害行動を傍観しているようでは、二重人格と言われかねない。それでいて、市民団体が候補者を評価しているのはなぜか。

B: 市民団体の方でも候補者に対する相当な「思い込み」があったのではないか。「あばたもえくぼ」でなければ、これだけ妨害されながら選挙運動を続けることはできないからね。

A: この点は次回の市長選にもかかわる重要な論点だ。もし候補者が市民団体の評価するような立派な人物であるとしたら、次回の選対をどう構成するかがカギになる。また候補者の人格にかかわる問題があるとすれば、候補者の人選そのものを見直さなければならないだろう。

C: 選挙というものは、確かに表向きは政策やマニフェストが判断材料になる。しかし究極の要素は候補者自身の人格であり、支持者との信頼関係が成立しているかどうかということだ。候補者を信頼することができれば、今行われている岸和田市長選挙のように、支援団体が政策協定にこだわらないで自主的に選挙運動を展開することもできる。

A: 12月の総括会議でどんな議論が交わされるか注目したいが、今回の市長選の最大の論点は、政策云々よりも「選対問題と候補者の関係」だろう。この点が明確に総括されない限り、次回の市長選の結果は目に見えている。忌憚のない議論を期待したいね。(続く)