革新勢力の選挙総括における必要な視点は、仲間内での“内輪の論理”ではなく、それがどれだけ有権者に受け入れられたかという“開かれた論理”の検証なのだ、神戸の旧革新勢力は市民に愛想を尽かされた(3)、ポスト堺市長選の政治分析(6)

 拙ブログに対して、読者諸氏より貴重なコメントを(重ねて)よせていただいたことにまず感謝したい。私は何種類かのメーリングリストに参加しているが、時折(というよりはしばしば)激しい論争が起ることがある。冷静で客観的な論争ならまだしも、論争がエスカレートしていくと次第に感情的になり、ときには罵詈雑言の投げ合いに発展することも多い。だから、そんな場所では一切議論に参加しないことに決めている。だが拙ブログへのコメントに対しては、やはり論理を尽くして回答しなければならない。そんなことで前回と内容が重複するかもしれないが、角度を変えて私なりの「反論」を試みてみたいと思う。

 神戸市長選に関する私見に「同意できない」とするコメントに共通する傾向(特徴)は、候補者の政策や言動に関する問題(だけ)に関心が集中していて、選挙結果全体の分析が視野に入っていないことだ。「共産党候補のいうことは正しい」、「市民候補の政策は間違っている」、「共産党が候補を立てたのは当然だ」と党員や支持者が(コメント氏も含めて)考えるのはその通りだろう。政党は政策や主張がなければ存立し得ないし、選挙も戦えないからだ。

 だが、このことは選挙の一面を見ているにすぎない。敢えて言うならば、それは“内輪の論理”であり、仲間内だけで通用する見方でしかない。党員や支持者が個人的にそう考えるのは自由だとしても、社会的な存在である政党や政治団体の場合はそれだけでは済まされないのである。なぜなら、それらの政策や主張が“開かれた論理”として一般市民・有権者に広く受け入れられなければ、選挙には出ても当選できないという厳然とした(当たり前の)現実にぶち当たるからだ。

 だから、私は何よりも選挙結果を重視する。選挙結果からこの選挙は果たして正しい選択だったのか、候補者や政策の選択は適切だったかを考えるのである。政策や主張は「宙に浮いたもの」ではない。その時、その地域、その場所の雰囲気に合わせて総合的に考えて打ちだすものだ。誰かが考えた「革新の大義」を金科玉条にしてコピーするだけのことなら誰でもできる。問題はその政策や主張がその地域、その場所の市民社会に受け入れられるかどうか、すなわち“内輪の論理”が“開かれた論理”として通用するかを判断できるかどうかなのである。そして、選挙はその最大の機会であり、“民意”を計る最高のバロメーターなのだ。

 この点に関して私がコメント氏に尋ねたいのは、「共産党が候補を立てるのは当然であり、最良の選択だ」とする諸氏の意見と今回の選挙結果との整合性だ。もしそれらの意見が広く有権者にも受け入れられたのであれば、共産党候補の得票数が増えることがあっても減ることはない。ところが市民・有権者の審判であり民意でもある今回の市長選は(前回も含めて)、その正反対の結果を示しているではないか。このことを検証するために、過去2回の市長選とその直前の参院選挙における共産党の比例得票数を比較してみよう。

 まず、2009年神戸市長選の場合はどうだっただろうか。直前の7月に行われた参院選共産党比例票は75322票だった。それが神戸市長選では61765票となり、得票数は13557票、18%も減少した。しかし驚くなかれ、2013年の場合はもっと減少率が高い。参院選の72130票に対して市長選は僅か46692票しかとれず、得票数は25438票、35%もの激減となった。つまり神戸市内の共産党支持票のうち、前回は2割、今回は3分の1が共産党の「独自候補」に投票しなかったのである。このことは、共産党支持者でさえが「共産党が候補を立てるのは当然であり、最良の選択だ」とする共産党の選挙方針に疑問を持ち、“共産党離れ”を起こしていることを示している。

 過去数回の市長選を振り返ってみると、この傾向はもっと明白になる。共産党がはじめて市役所一家体制から実質的に離脱し(それまでは市長与党であり、神戸空港建設に対しても賛成していた)、対立候補を立てた1997年市長選は、阪神・淡路大震災後の市政批判の高まりもあって22万5千票(45%)もの大量得票を獲得した。その後も候補者一本化の努力は実らなかったものの、「反市役所一家体制」を掲げて戦った共産党の推薦・支持候補は、11万9千票(2001年)、10万6千票(2005年)とほぼ3割前後の批判票を結集して一定の存在感を示していた(ちなみに、私は両選挙で民間実業家などとともに両候補者を応援した)。この時点までは、神戸の共産党はまだ「市役所一家体制」の批判勢力を代表する存在だと見られていたのである。

 ところが、前回及び今回の市長選では市民・有権者の見方が一変した。共産党は机上の政策としては表向き「反市役所一家体制」を掲げていたものの、その実体は大きく変貌していたからである。理由は数多くあるが、神戸の共産党が日常活動において市役所一家体制を打破する具体的な成果を挙げられず、その硬直した政治姿勢と活動形態が市民に飽きられた(ダメだと思われた)のが最大の原因だろう。その結果、共産党は「市役所一家体制」の批判勢力を代表する椅子から滑り落ち、市政刷新を掲げる市民候補にその座を奪われることになったのである。

 この事態は、「革新の大義」の担い手を自負している共産党にとっては屈辱的であり、かつ存亡の危機として受け取られたに違いない。そこで神戸の共産党がとった態度は、自らの体質や活動形態を改善して出直すということではなく(それならよかったのであるが)、それとはまったく正反対の行動だった。それが今回の市長選で市民候補を攻撃し、これまでの共産党の方針に批判的な活動家を排除するという「スタカン」的対応になったのである。

 おそらくこのままでは、神戸の共産党は衰退の一路をたどるだろう。すでに今回の市長選における共産党候補の得票数は“泡沫候補レベル”にまで落ち込んでいることを直視しなければならない。ぽっと出の自民党市議の後塵を拝し、無名の一工務店主に詰め寄られるようでは、「革新の大義」が泣くというものだ。この事態をさらなる官僚的締め付けで乗り切ろうとするのか、それとも幹部が総辞職して出直すのか、神戸の共産党には北風が吹いている。(つづく)