大阪出直し市長選は“橋下不信任投票”だった、今後は大阪維新の会の“解体・崩壊過程”が本格化するだろう、大阪出直し市長選をめぐって(その13)

 今回の出直し市長選の本質を一口で言えば、それは橋下市長の“不信任投票”だったということだろう。橋下氏は「選挙に勝って、民意を失った」のだ。それは何よりも当選した橋下市長が記者会見に現れず、代理の松井知事がたった1人で苦し紛れの会見に応じたことにも象徴されている。橋下氏は公職選挙法にもとづき当選したものの、実態は“不信任投票”と言う有権者の手荒い洗礼を受け、市民から「総スカン」を食って民意を失ったのである。

 選挙結果のあらゆる数字がそのことを示している。当日有権者数は211万5千人、投票総数は49万9千票、投票率は過去最低28.5%をはるかに下回る23.6%の史上最低となった。しかも驚くべきことには投票総数の14%に当たる6万8千票が無効票、うち4万5千票が“白票”だったことがこの選挙の本質を白日の下にさらすことになった。白票は各紙の解説にもあるような「行き場を失った」票では決してなく、わざわざ投票所まで行って「橋下ノー」と意思表示した人たちの貴重な1票だったのである。

 だから投票総数から白票数を引くと実質的な投票総数は45万4千票になり、投票率は21.5%にしかならない。実に有権者5人のうち1人しか投票しなかったことになり、この結果、橋下氏の得票数は前回市長選75万票から37万7千票へ文字通り半減した。有権者数に占める得票数の割合である絶対得票率も35.7%から17.9%へ半減し、橋下氏の言う「究極の民主主義=民意」は水泡に帰したのである。

 橋下氏はもとより大阪維新の会もこの結果を深刻に受け止めざるを得ないだろう。出直し市長選が事実上の“橋下不信任投票”に終わったのだから、その衝撃は一方ならぬものがあるに違いない。これで橋下市長は市議会と市民の双方から不信任を突き付けられたことになり、残された道は辞職して政界から消えるか、残任期間を“死に体”で過ごすか、二つに一つしかなくなった。でも潔い橋下市長のことだから、このまま居座ることはないと思いたい。そしてかねてからの約束通り、出直し市長選に敗れれば松井知事とともに「政界から身を引く」ことで有終の美を飾ってほしい。

 改めて振り返ってみると、今回の出直し市長選は最初から最後まで盛り上がらず、市民・有権者から徹頭徹尾そっぽ向かれた選挙だった。その象徴が、市内一円に立てられた選挙掲示板に「たった1枚」のポスターしか貼られていないという荒涼たる光景だろう。「たった1枚」のポスターとは言うまでもなく橋下候補のものだが、そこには「全ては次世代のために」というわけのわからないコピーが書かれているだけで、「大阪都構想」の文字は影も形もなかった。大阪都構想に対する圧倒的支持を得るために出直し市長選を強行した当の本人が、選挙ポスターにその「大義」を掲げないとはいったいどうしたことか。

 “盛り上がらなさ”はすでに期日前投票にもあらわれていた。告示日翌日の3月10日から期日前投票が始まったが、初日に投票した人の数は947人と前回ダブル選4256人の4分の1にも満たず、市長選単独だった前々回1504人に比べても大幅に下回っていた。大阪市選挙管理委員会は3月17日、期日前投票1週間分の中間発表をしたが、投票者数は3万2千人で前回市長選の同時期7万3千人の44%だった。そして3月22日現在の最終投票者数は9万4千人、前回23万8千人の40%弱に止まった。

 市選管は、このままでいくと市長選として過去最低投票率だった1995年の28.5%を下回るかもしれないとの危機感から投票率アップに躍起になった。最低投票率を上回るためには、市内有権者数211万5千人の28.5%すなわち60万人以上が投票所に足を運ばなければならない。しかし投票数は50万票足らずで投票率は23.6%に止まり、2011年市長選の60.9%、2005年出直し市長選の33.9%はもとより、過去最低投票率の28.5%にも遠く及ばなかった。

 くわえて、選挙期間中も橋下維新の一丁目一番地の政策である「大阪都構想」への赤信号がずっと点灯し放しだった。その第1は、新たに維新派府議1人が離党するとの意向を表明したことだ(各紙、3月13日)。維新府議団は、昨年12月のОTK(大阪府都市開発)株式の外資売却をめぐる府議会採決で造反した4人を除名して以降すでに過半数割れしているが、さらに5人目が離党すると言うのである。しかもこれが引き金になって同様の動きが今後活発化する可能性もあるというから、維新幹部は“離党ドミノ”を懸念せざるを得ないほどの切羽詰った状況に直面しているらしい。

 この動きが単なる離党問題ではない点が重要だ。出直し市長選で、橋下候補は大阪都構想の制度設計を話し合う特別区設置協議会(法定協)のメンバー入れ替えを公約に掲げ、維新は選挙後に議案を府議会に提出する予定だった。しかし当該府議が離党すれば、維新は過半数を得るために他会派から3人以上の賛同を得る必要があり、府議会での議案可決は一段と困難さが増すことになった(事実上不可能になった)。

加えて決定的だったのは、橋下市長が予算審議を放り出して選挙に出馬した市長不在の中、骨格予算となった大阪市の新年度予算案が「骨格とはいえ肉がついている」との理由で、公明、自民、民主、共産各派によって3月14日の本会議で修正可決されたことだ。予算を総額6億6千万円削減するというこの修正は、橋下前市長肝いりの公募校長採用の関連予算などを削るというものであり、橋下市政の根幹を否定するものでそのダメージは大きい。反橋下派幹部は、「大事な予算審議を放り出して大阪都構想が争点と言われるような選挙をやるのは場外乱闘だ。ここが議論の場だろう」と皮肉ったという。

最大の問題は、維新幹部が懸念するように出直し市長選後に“維新離党ドミノ”が本格化することだろう。来年4月の統一地方選議席の目途がつかない維新府議大阪市議の大半は、古巣の自民党に戻るか(認められればの話だが)、無所属で出馬するかの厳しい選択に迫られている。維新に残留したままでの当選がおぼつかないのであれば、「ただの人」にならないためには維新を離れるほかはない。また今回の出直し市長選で候補擁立を見送った反橋下派からは、来年12月の大阪市長選に「(反橋下)4会派で足並みをそろえて候補を出したい」との表明が行われた(日経新聞、3月24日)。大阪維新の会はこれからが“解体・崩壊過程”の本番に突入するのである。(つづく)