自らの野望のためには「その場限り」(日替わり)で変節を繰り返す「橋下新党」は、間違っても国政政党になれない、「大阪維新の会」であれ「おおさか維新の会」であれ、橋下新党は所詮自民党の補完勢力(下っ端の雑巾使い)で終わるだろう、大阪都構想住民投票後の新しい政治情勢について(3)、橋下維新の策略と手法を考える(その57)

いまから思い出すのもおぞましいが、橋下氏が一方で「2万パーセントない!」と断言しながら、その舌の根が乾かぬうちに大阪府知事選に出馬した当時から、彼の本性(素性)はすでに明らかだった。橋下氏の本質は、自らの野望のためには手段を選ばない骨の髄までの「右翼ポピュリスト」(社会進歩に反動的な立場を取り、人間の劣情を煽って支持を獲得する大衆迎合主義者)であり、その場限りの舌先三寸で市民大衆(マスメディアさえも)を惑わせる稀代の「デマゴーグ」だというところにある。

橋下氏は、これまで状況に応じてカメレオンのごとく七変化し、ことあるごとに変相や擬態を繰り返して「権力の階段」を駆け上ってきた。地域政党大阪維新の会」(2010年)を立ち上げ、「日本維新の会」(2012年)を結党し、分党後は「維新の党」(2014年)の最高顧問に就き、そして現在は「維新の党」を離党して今年10月に発足する予定の「橋下新党=おおさか維新の会」を準備中だ。変転目まぐるしいというべきか、変節きわまりないというべきか。

わずか5年の間に結党・合併・分党・離党などを繰り返す橋下氏に対してはいまさらまともな政治哲学や政党理念など望むべくもないが、さすがに今回の離党劇だけはマスメディアからも大いに顰蹙(ひんしゅく)を買ったとみえる。「維新の党、党の体をなしていない」(毎日社説、2015年8月28日)、「橋下新党構想、あまりに勝手な分裂劇」(朝日社説、9月1日)、「政党の離合集散は政策本位で」(日経社説、同)など表現の違いはあれ、各紙が批判していることは共通している。

第1は、なぜ橋下・松井両氏が野党第2党の維新の党を離党して(割って)わざわざ新党をつくるのか、その大儀が全くないことだ。
「野党第2党の維新の党の分裂が必至の情勢だ。昨年9月の結党からまだ1年。前身の日本維新の会から通算して2度目の東西分裂劇だ。なぜ内紛続きなのか。わかりやすい説明をせねば、昨年の衆院選で1票を投じた838万人の有権者に顔向けできない」(日経)
「『結いの党』との合併で維新の党が誕生してから1年足らず。しかも『党を割らない』と橋下氏が明言した翌日、手のひらを返しての新党結成宣言だ。維新は51人の国会議員がいる野党第2党だ。橋下氏の言動はかって党を率いた立場としてはあまりに軽く、身勝手に映る」(朝日)
「野党第2党、維新の党で混乱が拡大している。党運営をめぐり橋下徹最高顧問(大阪市長)、松井一郎顧問(大阪府知事)が離党を表明、党は分裂含みとなった。国の進路を左右する安全保障関連法案が参院で審議されるさなかの内紛は、責任放棄に等しい。これでは政党としての体すらなしていない」(毎日)

第2は、橋下・松井両氏が維新の党の幹部でありながら党運営に責任を持たず、党を割る行動は無責任かつ身勝手極まるということだ。
「橋下氏の個人的な人気が支持基盤なのに、当人は国会議員ではなく、ほとんど東京にいないという党運営の仕組みにも無理があった。党執行部が決めた事柄を橋下氏があとからツイッターなどで批判して覆したこともあった」(日経)
「5月の住民投票大阪都構想が廃案になった際、橋下氏は『負けた。終わった』と語り、12月の政界引退を表明した。あの会見から3カ月余り。橋下氏は引退の意向を変えないとしているが、周辺では国政転換の可能性が公然と取りざたされる。一連の行動は引退などどこ吹く風といった様相だ」(朝日)
「合点がいかないのは松井氏の行動だ。柿沢氏は応援について謝罪している。それでも明確な党議違反でない行為に幹事長辞任まで求め、結局は離党する。歩調をそろえ離党する橋下氏の反応も過剰である」(毎日)

第3は、橋下・松井両氏が目指す新党が如何なる政治理念と政策目的を掲げるのか、その輪郭がいっこうに見えず曖昧きわまるということだ。
「大阪系の動きもわかりにくい。安保法案の衆院採決で賛成に回らなかった一方、橋下氏や松井一郎大阪府知事安倍晋三首相や菅義偉官房長官と会って、距離の近さをアピールする。与党入りを目指すのだろうか」(日経)
大阪維新は秋の大阪府知事大阪市長のダブル選で、大阪都構想を再び公約に掲げるのだという。大阪の課題を解決し、大阪と東京の二極体制をつくりたい、と橋下氏は言う。その思いが本当なら、なぜ住民投票の後、反対派と真摯に話し合おうとしなかったのか。空前の激戦だった住民投票後、大阪に必要なのは融和だったはずだ」(朝日)
「橋下氏は大阪都構想が否決され、『政治家引退』を表明している。今後どこまで大阪府知事選、大阪市長選に関わっていくのか」(毎日)

最後に、「橋下新党」の行方について政党の資質や要件について大きな疑問が投げかけられていることだ。
「これらの疑問を解消するには、これから何をするのかという政策本位の旗を立てることだ。自分たちの損得という政局的な打算ばかり透けてみえれば、有権者の理解は得られない」(日経)
「対立の構図を引きずり、最後は選挙でけりをつけようとする。橋下流の政治手法は熱烈な支持を得る一方、強い反対論も生み、住民投票では深刻な相互不信をもたらした。このやり方がいつまでも有権者に支持されるか。考えたほうがいい」(朝日)
「11月に予定する代表選で、党の路線を整理すべきだ。そこで合意が得られないのであれば、今度こそ、たもとをわかつのもやむを得ない」(毎日)

ここまで書いてきてわかることは、かっては自民・民主の2大政党制の弊害を打破するとしてマスメディアの脚光を浴びた「橋下維新=第3局の旗手」は、もはや自らの野望のためには手段を選ばない(変節を繰り返す)「カメレオン政党」でしかないことが有権者の間に広く行き渡っているということだ。そして橋下・松井両氏が今後如何なるパフォーマンスを駆使し、如何なるデマゴギーを撒き散らそうとも、この「カメレオン(変節)政党」のイメージは付いて離れることがないだろう。

私は断言する。国政政党としての橋下新党の名称を「おおさか維新の会」とすることが目下検討されているというが、この名称では(また如何なる名称でも)橋下新党は国政政党には絶対になれないと思う。理由は明白だ。まず安保法案の参院審議が終盤を迎える中で「カメレオン(変節)政党」の本質が暴露され、橋下新党は所詮は安倍自民党の補完勢力(それも下っ端の雑巾使い程度)にすぎないことが明らかになっていくからだ。

それからもうひとつ、「大阪維新の会」であれ「おおさか維新の会」であれ、こんな名称が大阪以外で通用するといまだに橋下氏らが思っていることが不思議でならない。京都で「大阪、おおさか」の名前を冠した政党が果たして支持されるのかどうかは、京都で1日でも暮らせばいやと言うほどわかるはずだ。では、兵庫では通用するのか。かって大阪維新の会の幹部が兵庫県下の首長選挙に乗り込んだとき、維新候補が「総スカン」を食って惨敗したことはいまだ記憶に新しい。

大阪の財界だって「やってみなはれ」とは言わないことは目に見えている。自らの野望と私利私欲に目が眩んだ連中だけが「橋下新党」の立ち上げに血道を上げているだけだ。彼らがこの冷酷な事実に気づくときが間もなくやってくるだろうし、私はその日が1日も早いことを祈っている。(つづく)