安倍内閣・自民党の高支持率を分析する(9)、保守主義と右傾化は似て非なるものだ、文芸春秋の「安倍総理の『保守』を問う」シリーズから、維新と野党再編の行方をめぐって(その12)

 安倍首相が「本来の保守」から逸脱していると考える回答者に共通する特徴は、彼らが戦後憲法体制に自信と誇りを持ち、その基盤の上に日本の平和と経済発展が築かれてきたことに確信を持ち、そしてその延長線上に日本の将来を展望していることだ。また「保守主義」と「右傾化」は似て非なるものとの認識を共有し、「右傾化」を伴わない保守主義のあり方を追及している点でも、「戦後レジームからの脱却=戦後憲法体制の否定=右傾化」を立脚点とする安倍政権とは対極的な位置にある。以下はその一節である。

 「戦後、日本は米国に追随して平和の中に地位を得ようと行動してきたにも拘わらず、中国の台頭によって最近は地位低下が著しい。劣等感さえ覚えるようになってしまった。その反動が平和を捨てさせ、武装陣営での地位獲得へと突き動かしている。こんな日和見主義的右傾化では再び国を危うくするに違いない。本来の保守ならば武力なしで戦後、国家を守ってきたことに誇りと自信を持つべきだ。米国は軍事力で世界の秩序を維持しているが、軍事は軍事で滅びる。それに代わるものとして日本は、かって石橋湛山らが唱えた産業、貿易、自由を基盤にした『小日本主義』的思想を確固として打ち立てるべきではないか。それは決して単純な理想主義ではなく、国を滅ぼさないと言う意味で保守的現実主義だ」(作家、江上剛

 「私は以前から、日本は『平和国家再宣言』をすべきだと主張している。『剣は持つ。けれども自らは抜かない』と宣言し、『植民地主義帝国主義とは一線を画す』態度を明らかにする。戦後七十年、平和憲法のもとでまったく戦争を起こさなかった国なのだと、自信を持って言うべきだ。寛容でありながら強い国の姿を示すことこそ、弱腰外交にならず近隣諸国の信頼も得られる道である。人に人格があるように、国には“国格”がある。いまの日本はまさに国格が問われていると言っていいだろう」(元ソニー社長、出井伸之

 「日本の歴史や伝統を尊重することは大切なことだし、そうした本来の保守主義は尊重されるべきであろう。しかし、だからといって中国や韓国を不必要に反発させるような言動は責任ある立場にある政治家は控えるべきだろう。『保守主義』と『右傾化』は似て非なるものであるということをしっかりと認識すべきなのではないだろうか」(元大蔵省財務官、榊原英資

 自民党ОBや現役の政治家のなかにも安倍政権を「本格的保守政権」とは見なさない勢力が少なからず存在する。残念なことに現在、それらは安倍政権に対する目に見える形の対抗勢力として姿を現していないが、護憲運動の高まり次第では自民党内の安倍倒閣勢力として浮上する可能性は十分ある。また場合によっては、与野党を横断する“護憲救国内閣”の中核になってもおかしくない存在と言える。文芸春秋誌の今回の企画に寄稿した現役・ОBの自民党政治家はそれほど多くないが、それでも彼・彼女らの勇気ある発言は、これからの護憲運動にとって注目すべき存在であることには変わりない。以下はその一節である。

 「保守とは、一つにこの国のかたちを大切にすることであり、一つにこの国の伝統を守ることであり、一つに急激な改革を行わないことであろう。戦後、日本は新しい憲法で二度と戦争をしないことを誓った。専守防衛自衛隊は持っても他国に行って武力を行使しないと宣言した。安倍さんはこれを変えたいと考えているのか。陸海空軍を堂々と備えて交戦権を持つ、世界のどこにでもある『普通の国』にしたいと考えているのか。(略)戦後七十年の歩みは重い。その間、平和が保たれてきたことは画期的なできごとである。それを誇りとし、いよいよユニークで個性的なこの国のかたちに私たちは自信を持って歩んで行っていいのではないか」(元内閣官房長官武村正義

 「保守とは何か。保守革新のイデオロギー対立が終焉して以降、日本における保守とは、強いて言えば『地域』であるというのが私の考えだ。『地域を守ろう』という意識のある人とそれに従う人々の集まり。つまり、中心になってあれこれ苦労している人と、そういう存在こそが重要と思って協力している人の集まりが『地域の保守』である。それに対して『理念の保守』というものがある。『新自由主義』だとか『天皇制に賛成』、『日米安保容認』などと主張するだけの保守である」(元自民党幹事長、加藤紘一

 「過去は連続と断絶を繰り返しながら現在につながる。いずれの過去を取り出し、評価することも否定することも可能である。そうした恣意的な作業の中にあっても、そこにあるはずの普遍的本質を愚直に見つけ出そうとすること、その本質部分を常に自分たちが生きる現在進行形の人間社会と融和させようとしてたゆまぬ努力を続けることが、私にとっての『保守』の姿勢である。温故知新の姿勢であり、そのスピード感は決して拙速ではない。(略)時代は変化するものだが、それを後退ではなく成長、そして成熟に向かわせることが『保守』に求められる正しい働きだと考える。『戦争の二十世紀』をどのような二十一世紀に成長、成熟させていけるのか――『保守』の責任の重さを改めて痛感するところである」(自民党衆議院議員・総務会長、野田聖子

 もうこれ以上、意見を紹介することは止めるが、要するに私が言いたいことは、現在、改憲を遮二無二進めようとする安倍政権は戦後の保守体制に中でも「異質・異常」な存在であり、経済人や自民党議員ですらが「本来の保守」とはみなしていないということなのである。言い換えれば、国会の議席数だけを見れば改憲勢力は絶対多数派に見えても、その内実は必ずしも改憲一色ではないということなのだ。問題はその内部矛盾を如何に読み解き、それに対応する戦略戦術を護憲勢力がどう生み出すかに懸かっていると言うべきだろうが、なかなかいい知恵が浮かんでこないのが実情だ。

 京都96条の会でもこの点についてはいつも議論している。過日の世話人会では護憲運動を身内にとどめないで積極的に広げていこうということになり、その第一歩として改憲の帰趨を握る公明党創価学会に対して働きかけてはどうかという意見が出された。周知のごとく公明党自民党との関係は「下駄の雪」ともいわれて予断を許さないが、それでも5月17日に創価学会広報室から出されたコメントによれば、「集団的自衛権に関する基本的な考え方は、これまで積み上げられてきた憲法第9条についての政府見解を支持する」、「したがって、集団的自衛権を限定的にせよ行使するという場合には、本来、憲法改正手続きを経るべきだと考える」というもので、これを文字通り解釈すれば創価学会公明党とは対話が可能だということになる。彼らとの対話が実現すれば、いずれにしても結果は報告したい。(つづく)