安倍内閣・自民党の高支持率を分析する(2)、高村薫・高橋源一郎・内田樹氏の論説から、維新と野党再編の行方をめぐって(その5)

 社会不安がナショナリズムを台頭させ、安倍内閣の高支持率につながっているとの分析は、作家・高村薫さんの見解にも共通するものがある。高村さんは、朝日新聞のオピニオン欄・『耕論、消費される物語』(2014年4月22日)のなかで次のように語っている。

 「例えばグローバル世界では、人やモノの自由な往来が国境をなくしてゆくだろうと予想されていたのに、実際には世界のあちこちで「私たちの国」という物語が不安定になって、その穴埋めのために過剰な物語が生まれています。ナショナリズムの台頭もその一つです。社会不安が増したり、経済状態が悪化したりして、人びとが自信や幸福感を失うとアイデンティティーも揺らぎます。それを補うために、ことさら物語を増幅させているのが今の社会です。これまでと大きく方向性の異なる安倍政権が誕生したのは、新しい物語を語ってくれそうだという期待が有権者にあるからで、それが高い支持率の正体かもしれません」

 高村さんの分析視点はユニークだ。人間の社会があるところには必ず物語が誕生する。物語は人間が生きていくうえで欠くことのできないものであり、日本人のアイデンティティーの基盤を形成している。日本では、戦後続いた経済的な繁栄という物語が崩れた後、社会をまとめる物語がなかなかできない。1990年代以降、日本人は心の余裕がなくなって物語が内向きになり、節操がなくなった。「私たちの社会」「私たちの国」という物語が揺らぎ、その穴埋めに“過剰な物語”が次々と作られ、そして消費される。しかし、そこには外に向かって大きく開かれるという社会進歩がないーーー。

 高村さんの言う“物語”とは、(私なりに解約すれば)私たち国民の価値観とそれにもとづく社会像・国家像のことを指すのだろう。司馬流に言えば、「国のかたち」「社会のかたち」ということになるのかも知れない。いずれにせよ「私たちの社会」「私たちの国」のあり方は基本的に国民の価値観によって形作られるのであって、国民がささやかでも幸福を実感することができ、前途に何らかの希望を見出すことができれば、前向きの物語を生み出すことができる。

 だが、阪神大震災東日本大震災でさえも「喪失と癒し」という小さい物語として消費されるいま、そこには国民自らが物語を創造する力を失い、思考停止に陥っているという悲しい現実がある。そんな“社会的空白”に乗じて広告宣伝会社仕込みのノウハウを駆使した「新しい語り手」が現れ、それが政治舞台であたかも国民の期待を実現するかのごとく得意満面で弁舌をふるう――安倍内閣の高支持率の正体を高村さんはこう分析するのである。

 こんな社会状況を若者たちの世界を通して告発し続けている作家に同じく高橋源一郎氏がいる。高橋氏は朝日新聞の論壇時評・『市場原理の浸透、ブラック化する、この国』(2014年4月24日)のなかで教育現場の惨状やアルバイト漬けの学生生活を追った論考を取り上げ、そのなかの著者のひとり、鈴木大裕氏の「経済的合理性をすべての行動の基準と考える新自由主義の原理は、わたしたちの「心の奥底」まで浸透しようとしている」という一説を紹介する。そして自らも「わたしたちは自ら望んで「駒」になろうとしつつあるのかもしれない。わたしたちは、立ち向かわなければならないのだ。まず、私たちの自身の内側と」と結ぶのである。

 この点をさらに鋭く追及したのが思想家の内田樹氏だ。内田氏は、『さらば、独裁者、検証 暴走する安倍政権』(週間金曜日臨時増刊号、2014年4月17日発行)の巻頭論文で、「独善的な安倍政権が支持される理由、民主主義よりもカネが大事な日本人」と題しておよそ以下のような論旨を展開する。

 「安倍晋三首相の一番の危うさは、その独善性にあると思います(略)。こういう合意形成力の欠けた政治家はかっての自民党であれば、総理大臣になれたはずがない。それがなれるという点に今日の危機があります。何が変わったのか。左派は安倍首相の改憲志向や特定秘密保護法制定、集団的自衛権の行使を「右傾化・軍国主義化」というふうに復古的な動きととらえているようですが、それでは外交的な失敗にもかかわらず高止まりしている支持率は説明できない。国民は安倍首相のいったい何を気に入っているのか。「国民国家の株式会社化」という政策の方向が40代男性を中心とした国民層を惹きつけているのだろうと思います」

 内田氏の言う「国民国家の株式会社化」とは、経済成長が唯一無二の国家目標に掲げられ、社会制度はすべて経済成長に資するかどうかの基準で適否が判断される政治社会の出現を意味する。そこでは対話による合意形成、少数意見の尊重、弱者救済、富の公平な分配など、戦後の憲法体制が目指してきた民主主義制度や公共の福祉が否定され、効率的なカネ儲けのための意思決定が有無を言わさず優先される。安倍首相の支持率が落ちないのは、アベノミクスが「カネ儲けのしやすい国家」を目指していることが有権者に好感を持たれているからだーーー。

 内田氏の主張は現在の国民感情や社会情勢をよく説明していると思う。マスメディアに登場する常連たちは、ほとんどといってもいいほどアベノミクスの提灯持ちであり、「カネ儲けのしやすい国家」の信奉者だ。現在の日本は、「食えない民主主義」よりも「食える独裁」すなわちナチス政権を選んだかってのドイツ社会を髣髴とさせる。ワイマール共和国時代に空前の失業に直面したドイツ国民は、公共工事と軍事生産で「景気」を回復したナチス政権を熱狂的に支持し、社民党共産党は不毛の対立を繰り返してナチスの台頭を阻止できなかった。

 だが、問題はここからだ。日本全体を覆っているカネ儲けを至上原理とする国民感情の存在を認めた上で、「ならばどうするのか」という難題が私たちすべてに突きつけられている。内田氏は、国民国家の国家目的は「存続すること」であり、そのための装置としての民主主義、立憲主義、平和主義を守らなければならないと結んでいるが、具体的にどうするのか。

 私はその糸口として、ここ1年間の国民の護憲意識の変化に注目したいと思う。明日4月29日には、この国民意識の変化に期待を託した護憲円卓会議の発足記念シンポジウムが兵庫勤労市民センター(JR兵庫駅北)で午後1時から開催される。松本誠氏(元神戸新聞記者)がコーディネーター、政井孝道氏(元朝日新聞論説委員)、岡本仁宏氏(関西学院大学教授)、広原の3人がパネリストとなり、「私たちはいま、護憲のために何ができるのか」をともに考えようとするシンポジウムだ。関心のある方は会場を覗いてほしい。(つづく)