「平和の党」から「現世利益の党」への変質によって、公明は実質的に自民の下部組織となった、公明党が集団的自衛権の行使容認についての閣議決定に加担した本当の理由、維新と野党再編の行方をめぐって(その25)

 2014年7月4日の日経新聞には、公明党が安倍政権の集団的自衛権の行使容認に加担した興味深い(本当の)理由が書かれている。それは、安倍首相が6月初旬、「(集団的自衛権の行使容認に協力しなければ)次の総選挙は支援しなくてもよい」と創価学会幹部に通告してきたことから始まった。驚いた学会幹部は、「学会の支援なしに選挙を戦えるのか」と問い返したというが、首相は「構わない」といっこうに取り合わなかったという。

 周知の如く、公明党の集票力は全国で700〜800万票に達する。衆院選の300小選挙区で割れば、1選挙区当たり2万票を超える「固い票」が期待できるわけだ。創価学会は、全国で僅か9小選挙区での自民候補見送りによる選挙協力と引き換えに(自民党と関係の深い北側副代表や大田国交相は当該小選挙区の当選議員)、その他の大部分の小選挙区で自民候補を支援するという(一見、割に合わない)選挙協力を結んでいる。激戦の小選挙区で自民候補が当選できるのは、創価学会が「下駄を履かせてくれる」からというのが通り相場になっており、それがどれほど貴重な票であるかは、議員自身が一番よく知っている。選挙になると、自民候補が真っ先に駆けつけるのが創価学会であり公明党であるのはそのためだ。

 私はつねづね、「公明はなぜこんな割に合わない選挙協力を自民と結ぶのか」と不思議に思っていた。対等な選挙協力なら、譲り合う選挙区が同数でなければならない。それが僅か9選挙区での自民の支援を得る代わりに、残り300近い選挙区で公明が一方的に自民を支援すると言うのだから、誰が考えても理屈が通らない。しかしそこには、公明の「万年与党化=現世利益の党」としての変質があったのである。

 これはどんな地方議会でも言えることだが、自民が主導権を握る地方議会で公明が野党であるような関係を見たことがない。公明は「コバンザメ」よろしく必ず与党の席に座り、自民に協力して「与党利益=現世利益」を享受しようとする。与党の地位を利用して自民と取引を重ね、当局に圧力をかけて「党利党略」を実現しようとするのである。その現世利益が「トリクルダウン」(滴り落ち)の原理で公明支持者や創価学会信者の間に下降し、選挙時の頑張りや奮闘の栄養源となるわけだ。つまり、「公明党=万年与党化=現世利益の獲得」という図式が成り立たなければ、もはや公明は政党として存立し得ないほど「現世利益の党」としての体質に染まってしまっているのである。

 したがって国会議員選挙における自民への選挙協力は、地方議会における公明の「与党利益=現世利益」の見返りであって、これを表向きの選挙協力関係だと捉えると実態を見誤ることになる。この体質は、公明が国政で自民と連立政権を組む遥か以前から地方での万年与党化によって蔓延しており、それが国政レベルでの自公連立政権に発展したと考える方が自然だろう。だから、安倍首相の「次期総選挙で選挙支援は要らない」という通告は、公明にとっては地方議会での「与党を外す」という恫喝と映り、創価学会が震え上がって公明に集団的自衛権の行使容認への加担に踏み切らせたと言うわけだ。

だが、創価学会も一筋縄ではいかない謀略集団だといわなければならない。「平和を愛し、その実践のために活動する熱心な宗教団体」との外観を装いながら、与党協議が始まる直前の5月17日には各紙の質問に対し、わざわざ集団的自衛権の行使容認について、「本来、憲法改正手続きを経るべきである。慎重のうえにも慎重を期した議論によって、歴史の評価に耐えうる賢明な結論を出すことを望む」との文書回答を出し、その支配下にある公明党が「歴史に耐えうる賢明な結論」を出すのではないかとの期待を抱かせた。いわゆる「陽動作戦」である。

それが僅か1ヵ月半後の閣議決定の翌日7月2日には掌を返したように態度を一転させ、集団的自衛権の行使を可能とする憲法解釈変更の閣議決定について、創価学会は「公明党憲法第9条の平和主義を堅持するために努力したことは理解している」、「今後、国民への説明責任が十分果たされるとともに、法整備をはじめ国会審議を通して、平和国家として専守防衛が貫かれることを望む」との見解を文書で示した(産経新聞、7月3日)。

創価学会の見解は公明党にとっては絶大(絶対)だ。閣議決定前の6月28日に開いた地方代表者との会合では慎重論が相次いだにもかかわらず、創価学会の見解が出された後の7月5日の全国県代表協議会では異論・反論がピタリと止み、地方の異論は収束した。山口代表は集団的自衛権の行使を容認した閣議決定について、「国民を守る隙間のない安保法制の方向性をまとめ、平和主義を堅持する結論を導いた」と強調したという(毎日新聞、7月6日)。

これまで私は、公明支持層のなかにある「集団的自衛権の行使容認反対」の世論を重視してきた。それが公明党地方代表の意見となり、北側・山口氏など執行部の策動を覆す潮流に育っていくのではないかとの期待を抱いていたからだ。ところが創価学会公明党の政治姿勢を評価する声明を出すや否や異論・反論がピタリと止み、「結果オーライ」の盲従組織になったのだから幻想が一気に冷めた。創価学会員もまた「平和の理念」を掲げるよりも「現世利益」を重視する現実主義(実利主義)集団へと変質していたのである。

このことをあらわす興味深い世論調査がある(産経新聞、7月1日)。この世論調査は、公明党集団的自衛権の行使容認を受け入れた背景を探ったもので、主として公明支持層の動向を分析したものだ。それによると、公明党支持層のうち集団的自衛権について「使えるようにすべきでない」との回答が44%で前回の40%を上回り、また「必要最小限度で使えるようにすべきだ」が48%で前回の51%を下回ったにもかかわらず、「自民党が連立政権を組む相手としてふさわしい政党」の質問には、公明党支持層の実に83%が「公明党」と回答し、「連立を組む必要はない」は僅か13%だった。調査全体では連立の相手として「公明党」と回答したのは20%だから、いかに公明党支持層が自民党との連立維持を望んでいるかが明らかになったと言うべきだろう。

この数字を見ると、公明党執行部(だけ)が「平和の党」を投げ捨てて集団的自衛権の行使容認に走ったと結論するにはいささか戸惑いを感じる。実は公明党支持層も万年与党化による「現世利益の党」の恩恵にあずかり、知らず知らずの間に「平和の党」の理念を忘却していたことを窺わせる結果だからだ。産経新聞は得意げに、「集団駅自衛権に関する与党協議は終始、自民党のベースだったが、公明党支持層の動向が見透かされていたといえそうだ」と結論している。(つづく)