「ディープな癒着構造」が自公連立政権の本質だった、密室協議(裏の世界)と選挙協力(表の世界)を通して「自公のきずな」はますます太くなった、維新と野党再編の行方をめぐって(その36)

毎日新聞公明党に関する連載記事(2014年8月5〜12日)は、大きくは(1)創価学会公明党の関係、(2)自公連立政権の内実、(3)公明党員・創価学会員の意識状況の3部構成からなっている。以下、それぞれの項目ごとに内容を紹介しよう。

まず創価学会公明党の関係だが、集団的自衛権の行使容認という結党以来の政策大転換にもかかわらず、学会と党がこの問題に関して真正面から議論した形跡が全くないということだ。それは、公明党の対応について学会婦人部の幹部が疑問を呈したのに対して、政治担当の副会長らが「学会は平和主義を掲げるが、政治の現場にいる公明党はその時々で現実的な判断をしなければならない」と取りなしたことにもあらわれている。この件に関して、原田会長は「うちはああいう意見を出した。あとは党の問題だ」とその場を収めたという。「ああいう意見」とは、学会広報室が行使容認については「慎重の上にも慎重を期した議論を求める」という5月段階でのコメントのことである(8月6日)。

以前にも書いたが、学会のこのコメントは単なる外部へのパフォーマンスに過ぎないのであって、もし本気で議論するのであれば、はるか以前の段階から内部討論を始めていなければならなかった。それが、行使容認に向けての自公協議がほぼまとまった時点で申し訳程度のコメントを発表し、「あとは党の問題」として丸投げしたのだから、学会幹部としては「あとはよきに計らえ」と暗黙の承認を与えたのと同じことだ。要するに、学会幹部も公明党も「同じ穴の狢」であって、両者は表向き「平和主義」を掲げながら、その実「与党利益」を確保する点では完全に歩調を揃えていたのである。

第2の自公連立政権の内実に関しては知らないことが多く、両党の想像以上の密着ぶり(ディープな癒着構造)が印象的だった。自公の「表の協議」は自民党高村副総裁と公明党北側副代表の間で行われていたが、その下ごしらえは自民党の大島前副総裁と公明党の漆原国対委員長の間で念入りに準備された。両者の「裏の協議」は早くも今年3月に始まり、その後も高村氏の依頼により要所要所で秘密会合が重ねられてきたという。国会討議や与野党協議を無視した自公密室協議はそれだけでも「裏の世界」なのに、その中でさらに二重三重の「裏の協議」が行われているわけだから、その癒着振りは尋常ではないというべきだろう(8月8日)。

毎日記事は、この癒着の構造を「自民との『きずな』」という美しい言葉で言い表しているが、保守との選挙協力による公明党の「与党化」の根は深い。1963年東京都知事選で公明党の前身・公明政治連盟自民党の推す(故)東竜太郎氏を支持したのが皮切りで、それが田中角栄元首相との因縁で抜き差しならぬものとなり、1999年の連立以降は選挙協力が「骨肉化」する。自公選挙協力は、自民党が一方的に得をしていると言われるがそんなことはなく、公明党比例代表に回る自民票は「各都道府県で平均5%程度」もあり、地方選挙でも公明党議席を支えていて、「協力はメリットだらけ」(学会関係者)といわれる(8月6日)。

第3の学会員・党員の意識状況であるが、この点に関する分析は必ずしも十分ではなく、記者の勉強不足は覆いがたい。公明党の「フツーの党化」が進むといったキャッチコピーはそれなりに読ませるものの、それを裏付ける取材記事に乏しく内容が物足りない。もっと現場を歩いてインタビューでもすればよかったと思うが、それだけの時間と余裕がなかったのだろう。それでも自民党との一体化が進むにつれて公明党の政策の独自性が薄れ(自民党と変わらないものになり)、党所属国会議員の顔ぶれもエリート官僚が中心になるなど、「庶民の党」の変貌振りは凄まじい(8月9日)。

もっともこの点に関しては、この10年のうちに発刊された宗教学者社会学者による優れた創価学会公明党分析の書が参考になる。島田裕己(宗教学、元日本女子大教授)の『創価学会』(新潮社、2004年6月刊)及び『創価学会公明党、ふたつの組織は本当に一体なのか』(宝島社、最新刊、2014年8月刊)、玉野和志(社会学首都大学東京教授)の『創価学会の研究』(講談社現代新書、2008年10月刊)がそれだ。この3冊の著作はいずれも新書版でありながら内容が充実しており、しかも社会学的視点から学会員や公明党員の階層的特性や意識が分析されていて頷く点が多い。たとえば、島田の最新刊には以下のような指摘がある。

創価学会が飛躍的にその勢力を拡大した高度経済成長の時代において、創価学会の会員になったのは、地方から都市部へ出てきたばかりの農家の次三男が中心だった。彼らは地方に残っていれば、保守的な風土のなかで自民党の支持者になった。その点で、創価学会の会員つまり公明党の支持者は元来保守的な体質を持っていた。(略)ただ、保守的多体質を持っている人間であっても、地方の農村にいた場合と都市に出てきた場合とではその境遇が違う。都市に出て創価学会の会員になった人間たちは、ほとんどが中小企業や零細企業の従業員、自営業者などで、社会的に恵まれない階層に組み込まれた。彼らは、大企業の労働者が中心の労働組合にも組織されなかった。その点で、社会的弱者であり、権力を奪われた労働者として反体制的な性格を持たざるを得なかった」
「そこに、創価学会の会員の『二重性』があった。彼らは、体質としては保守でも境遇としては反体制的で革新に近かった。創価学会が長年にわたって共産党と激しい鍔迫り合いを演じてきたのも、2つの組織が社会的な弱者にターゲットを絞ってきたからだった」(134〜136頁)

公明党が地方議会で与党に入り、さらに国政レベルでも連立政権に入って与党になることで、公明党を支持する学会員に対して直接的な利益を与えることが可能になった。それにより、それまで抽象的だった功徳がより具体性をもったといえる。(略)第2次安倍政権における経済政策は『アベノミクス』と呼ばれる。この政策に実効性があるのかどうか、その評価は難しいところだが、公共事業への投資が積極的に展開されることで、建設業に従事する人間が多い創価学会の会員のなかにはその恩恵を被っている者も少なくない。(略)政治を通して実際的な利益が得られれば、それは宗教的な功徳の獲得を支えてくれる役割を果たす。少なくとも利益が得られるならば、選挙活動に熱を入れようという意欲をかきたてることができる」(212〜213頁)。

もうここまで来ると、公明党支持者と自民党支持者の差は紙一重になる。自民党が土建業者を総動員して票集めするのと同じ構造がここにあらわれていると言ってよい。「大衆の党」「福祉の党」を掲げる公明党がこれまで重視してきたのは厚生(労働)大臣のポストだった。しかし何時のころからか、公明党国土交通大臣建設大臣)ポストを要求するようになった(太田国交相の留任は確実視されている)。党の政策の重点が「自民党化」してきたのである。(つづく)