公明党が維新の「大阪都構想」の住民投票に協力するなんて、これはもう「狐(維新)」と「狸(公明)」の騙しあいだ、だがその裏には安倍政権と維新との間に国会での協力関係の「密約」があったのではないか、2014年総選挙を分析する(その14)

 12月26日、読売新聞のスクープ記事以来、大阪では蜂の巣をつついたような騒ぎになっている。なにしろ「公明潰しをライフワークにする」、「公明にやられたまま、人生を終わらせるわけにはいかない」とこれまで口を極めて公明党を罵倒してきた橋下市長の「大阪都構想」に対して、こともあろうに公明党が都構想の制度設計を行う法定協議会の再開を条件に、都構想の是非を問う住民投票の実施に賛成する方針を固めたというのである。

 私はこの記事を読んだとき、一瞬自分の眼を疑った。自らが掲げる政策に「公党」としての責任を持ち、その政策実現のために政治活動をするのが政党だと思い込んでいた私にとって、公明党がこれまで反対してきた維新の「大阪都構想」に対して、ある日突然態度を翻す(ひるがえす)なんてことは想像もできなかったからだ。こんなことが罷り通れば、今後公明党の言うことは一切信用できなくなり、「ウソつき公明党」と言われても仕方がなくなるだろう。

 しかし、公明党には「ウソつき」の数々の前歴がある。その極め付きは、「平和の党」を党是としながら自民党安倍政権の与党として集団的自衛権の行使容認に踏み切り、それでいながら現在においても「憲法をまもる我が党の姿勢には変化はない」と強弁しているのがその代表的事例だろう。また「庶民の党」を掲げながら消費税増税に際しては「今でしょ」と自民党の肩を押し、10%への再増税に対しても「軽減税率の導入」を口実にして安倍政権の露払いを努めるとか、とかく例には事欠かないのである。

大阪府市両議会の公明党は、これまで自民、民主、共産などの野党とともに維新が単独で作成した都構想の制度案(協定書)を性急だと断じ、協定書の中身についても特別区にさほどの権限がなく、財源が不透明などと批判してきた。そして今年10月の大阪府・市両議会では正式に反対の態度を表明し、同案は、公明、自民、民主、共産4党の反対によって否決された。また衆院選後、公明党大阪本部幹事長の小笹大阪市議は、「国民が求めているのは景気回復と福祉。都構想ではない」「橋下氏の手口にまどわされないようにしたい」と話していた(読売新聞、2014年12月27日)。

ところがその舌の根が乾かないうちの12月26日、公明党は突如として「大阪府市ともに維新が第1党だという事実は重い」「行政の停滞を解消しないと、有権者の背反を浴びかねない」といった訳のわからない理由を持ち出し、態度を豹変させたのである。いったいその裏に何があったのか。小笹氏自らが語った事実は、橋下氏らが公明党と会談した前日の24日、公明党大阪府本部の幹部が公明党の支持母体・創価学会の本部に呼び出され、維新との妥協を説得(強要)されたのだという(読売、同上)。

一説によれば、その背景には菅官房長官創価学会幹部に維新との協調を働きかけ、それを受けた学会幹部が動いたことがあるらしい。もしこのことが事実だとすれば、今回の大阪での公明党の豹変は、次期国会での安保法制の審議に重大な影響を及ぼす恐れがある。というのは、自公与党は衆院憲法改正発議に必要な3分の2以上の議席を確保しているが、参院では3分の2に届かず、維新など改憲勢力との協力が不可欠だからだ。

私が察するに、橋下氏が大阪での窮地から脱するためには公明党との協力関係を復活させることが第一であり、このため菅官房長官に対して国会での自民党への協力と引き換えに公明党との仲介を依頼したのではないか、ということだ。安保法制議案や改憲発議への協力と引き換えに、大阪で公明党が維新に妥協することを持ちかけてというものだ。このことが単なる噂なのか、それとも実質的な政治取引であり「密約」なのかは、これからの国会審議の中で明らかになるだろう。

しかし、維新が今後安保法制議案や改憲発議で自民党に全面協力することは、公明党にとっては「諸刃の刃」になることを忘れてはならないだろう。公明党は自らが与党の一員でありながら、その時々の政策決定において「キャスティングボード」を握ることを望んできた。また維新が公明党のポジションを脅かすことを極度に警戒していた。だから今回の総選挙で維新が勢力を増大できなかったことを安心材料とみていた。ところが今回の仲介を契機に安倍政権が維新との協力関係を深め、公明党を牽制するようになると、公明党は与党の中での地位を失う恐れも出てくる。そこまで情勢を先読みして創価学会本部が乗り出したわけでもないだろうが、政治は「一寸先が闇」だからこれからのことはわからない。

とはいえ、窮地に立たされたのは大阪の公明党だ。これまで維新に投げかけていた批判がこれからは全て自分に返って来る。支持者にこの「豹変」振りをどう説明するのか、また「変節」との批判にどう反論するのか、次回はこの点について書きたい。(つづく)