戦後70年、「ポスト成長時代」の神戸市政のあり方を考える、「冴えない神戸」から如何にして脱却するか、まずは市役所一家体制と「お抱え委員(学者)」の多い審議会の刷新が必要だ、阪神・淡路大震災20年を迎えて(その18)

 いろんな所を回り道したが、どうやら最初の出だしに戻ってきたようだ。拙ブログの「神戸シリーズ」は、もともと「冴えない神戸」をどうするかという問題意識からスタートしたのだから、やはりもう一度この原点に立ち戻って何らかの決着を付けなければならない。でもこのような大それた課題は、とても私ひとりが取り組めるようなものではない。そこで最近参加した神戸市政に関する幾つかの勉強会のなかで得た知識を土台にして、私なりに考えてみようと思う。

 阪神・淡路大震災の前までは、私は神戸市住宅審議会メンバーの一員としてそれなりに市政情報を知る立場にあった。たとえば宮崎市政5期目の終盤、後継者として宮岡助役が頭角を現した頃のことだ。審議会前後の雑談のなかでもこのことがもっぱら話題になり、庁内雀たちの関心もそのことに集中していた。事実、審議会答申の場に現れた宮崎市長の姿を見て(後ろから支えられて摺り足でしか歩けなかった)、「あれではもうもたない」とか、「まだやる気らしい」とかの噂が乱れ飛んでいたのを目の当たりにした。

 また、こんなこともあった。審議会にずっと欠席を続けているある女性委員(数年間に1度だけは出席したことがある)が相変わらず「定位置」を占めているので、「こんな不届きな委員は外してはどうか」と言ったところ、「とんでもない。この人はVIPで外せない」との返事が即刻事務局から返ってきた。聞けば、ある女性団体の幹部で宮崎市政に大きな影響力を持つ人物だとか、こんな些細なことを通して何となく市役所内部の状況がわかったつもりでいたのである。

 だが阪神・淡路大震災を機に(具体的には震災後1年の時点で書いた神戸市批判の拙著が当局の逆鱗に触れて)審議会メンバーから外れた瞬間から、市役所の内部情報が一切入ってこなくなった。だからこの20年間は、「外野席からの神戸市政ウォッチャー」として時折発言を続けてきたにすぎない。勿論「外野席」であるからこそ分かることもあるから、さほど不自由はしない。「グラウンド」にいては見えないことも「外野席」からはよく見えることもあるからだ。

 それにしても、神戸市の研究者や専門家の扱い方(使い方)は並大抵のものではない。神戸市の庁舎(旧館)2階には市政資料室があり、各種の審議会資料が並んでいるが、これらの資料を繰ってみると審議会メンバーリストのなかから神戸市政の構造が自ずと浮かび上がってくる。審議会は数え切れないほどあるが、なかでも重要なのは総合基本計画審議会や都市計画審議会などで中心メンバーは厳選され、しかも10年、20年にわたって継続的に委員に就任している人が多い。私もよく知っているある神戸大学関係者などは、「大学にいるよりも市役所にいる時間の方が長い」と言われるほど有名な人物で、重要審議会の他にも幾つもの審議会委員に名を連ねている(昔は審議会の兼務数に制限がなかったので、17審議会の委員を務めている猛者もいた)。

 それどころではない。上記の中心メンバーの多くは大学をリタイアしてからも学識経験者の肩書きで重用され、なかには神戸市の外郭団体の役員として処遇されているメンバーもいる。これは市労連出身のОBが市の外郭団体の役員として(高給で)養われ、現役の労組幹部に睨みを利かせているのと同じ構造だ。市から給与を支払われている人物が「学識経験者」だとか「○○大学名誉教授」という肩書きで審議会の重要ポストに就けば、市当局の代弁者として結論を導くことになるのはごく自然なことだ。こんな御用学者の域を超えた「お抱え学者」が牛耳る審議会からは斬新な発想も生まれないし、ましてや政策転換などは「夢のまた夢」というしかない。

 これまで神戸市では、市議会では「オール与党体制」(現在は新社会党共産党に所属する議員は抜けている)を維持し、審議会は気心の知れた研究者を自家薬籠中のものとして扱い、事業実施に当たっては数々のコンサルタントを関係業界、住民団体などに派遣して「市民参加」を演出するなど、市当局の意向を100パーセント反映させる仕組み、すなわち「市役所一家体制」が数十年にわたって続いてきた。これが神戸市政の「性」となり「習い」となり、役人が市民を操縦する体質が形成されてきたのである。

 だが公共投資の財源(起債を含めて)が有り余るほど潤沢な高度成長時代は大規模プロジェクトとビッグイベントで市民を惹きつけることができたが、そのツケが回ってきた「借金まみれ」の現在はそんな条件は全くなくなった。職員の3割もがリストラされて意欲を失い新規財源を期待できない現状では、「神戸型開発・経営方式」を支えてきた市役所一家体制を刷新し、「ポスト成長期」にふさわしい行政哲学を見つける以外に、「冴えない神戸」の現状から脱出する途がなくなったのだ。

 最近参加した神戸市政に関するある勉強会で提起されたことは、「高度経済成長期(人口増加期)が遠くに去り、重化学工業の衰退と生活文化産業の低迷という神戸経済の構造変化にともない、これまで公共デベロッパーとして多大な成功を収めてきた神戸市政が都市経営戦略と都市経営システムの転換を求められている」ということだった。(つづく)