阪神・淡路大震災20年のテレビ番組は力作が多かった、なかでも「新長田南再開発事業=巨艦商店街」の破綻を描いたルポ作品は圧巻だった、阪神・淡路大震災20年を迎えて(その17)

 例年は1月17日前後になると、申し訳程度に阪神・淡路大震災のテレビ番組が放映されるのが普通だ。しかし今年は違った。NHK、民放合わせて20本近い番組がつくられたのではないだろうか。一応全ての番組を録画しておいたが、余りにも多いのでまだ全部見終わっていない。でも知らないことも多く、また滅多に会えないキーパーソンのインタビューもあって大変勉強になった。おそらく今年が20年という節目であること、そして東日本大震災との関連で神戸の復興の行方が注目されていること、などがその背景にあるからだろう。

 人によって関心が異なるので一概には言えないが、私にとっては神戸市関係者(現役、ОB)が復興都市計画についてどんな発言するかに大いに興味があった。とりわけ新長田南再開発事業にマスメディアの注目が集まっていたので、20ヘクタールという巨大再開発事業がどのような意図のもとに計画されたのか、また20年後の(ゴーストタウン化しつつある)現状をどうみているのか、そしてこの現状を打開するためにいかなる対策を講じているのかなど、神戸市関係者の口から直接コメントを聞いてみたかったのである。

 まず不思議なことは、神戸市政のトップである久元市長が全く姿を見せず、また都市計画行政の責任者である住宅都市局長(都市計画局長)の発言も一切なかったことだ。マスメディアの前に出ると困るのか、とにかく神戸市政の最高責任者たちは「雲隠れ」したのである。しかしながら、震災から20年も経ちながら、市民の前で復興都市計画の総括もできないようではその見識が問われると言うもの、これでは市民から信託された責任を果たすことができない。

 その代わりと言っては何だが、マスメディアのインタビューを一身に引き受けさせられたのが、(気の毒ながら)住宅都市局市街地整備部の新長田南再開発担当部長だった。しかし立場上の発言とは言え、その内容は復興都市計画の誤りを一切認めない紋切り型のもので、官僚答弁そのものだった。いわく、震災直後に逸早く都市計画決定を打たなければ、被災地はどれほど混乱していたかわからない。いわく、安全な市街地にしなければ、災害に弱い街がいつまでも続くことになる。いわく、商店街が空洞化しているのは神戸に限ったことでなく、日本全体の経済状態の反映だ。また震災後に大きなスーパーが周辺にできることなど予測できなかった――などなど。

 これはインタビュー側の質問の仕方が原因かもしれないが、問題なのは市関係者の口からは肝心の再開発事業が20ヘクタールという「巨大再開発」になった理由について説明らしい説明が聞けなかったことだ。誰も復興都市計画の必要性を一般的に否定しているわけではなく、なぜあれほど大規模な再開発事業が新長田駅前で計画されたのか、なぜあれほど巨大な商店街が必要だったのかということが知りたいのである。しかし、この核心部分については何ら回答がなかった(語ることができないのだろう)。

 「巨艦大砲主義」という言葉がある。かっての世界大戦においては「戦艦大和」のような巨艦が決め手であり、相手艦隊を撃沈することのできる大砲(巨砲)を積んでいるかどうかが勝敗の分かれ目だといわれた。しかし時代は航空隊が主力になり、戦艦大和はあえなくその餌食となって海底の藻屑と消えた。同じようなことは、新長田の「巨艦商店街」にも当てはまらないだろうか。下町のよさを生かすべき場所に、まるで「戦艦大和」のような巨大商店街をつくることなど正気の沙汰ではない。しかし、それが「創造的復興」との美名のもとに一路推進されたのはなぜか。

 このことについては、震災数年後の段階で書いた私の2つの著書のなかで詳しく解説している。ひとつは『開発主義神戸の思想と経営―都市計画とテクノクラシ―』(編著、日本経済評論社2001年)、ひとつは「阪神・淡路大震災における震災復興都市計画の検証―20世紀成長型近代都市計画の歴史的終焉―」(原田純孝編、『日本の都市法Ⅱ、諸相と動態』、東大出版会2001年に所収)である。前者は、神戸市都市計画の推移を歴史的に分析して「巨艦大砲主義」のルーツを探ったもの。後者は、阪神・淡路大震災時の国の復興委員会(下可辺委員長)とのやり取りを通して、神戸市復興都市計画の「巨艦大砲主義」の内実を分析したものだ。

 神戸市復興都市計画における「新長田南再開発事業=地上2階・地下1階の3層からなる巨艦商店街計画」の破綻はすでに震災10年の時点で明らかになっていたが、今年20年の段階ではもはや抜き差しならぬ状況に陥った。過大な商業床は売却できず(地下や2階の床がまったく売れない)、一旦入居した商店主たちが転出した後は「シャッター通」になり(客足が少なくて商売が成り立たない)、残った商店主たちは過大な共同管理費(3層床を結ぶエレベータ・エースカレータの維持管理費、膨大な空調設備の運転費など)の払い戻しを求めて訴訟を起すなど、事業会計は破産状態に陥り、商店街は次第に「計画されたゴーストタウン」に化しつつあるからだ。

今回の関連番組で最も興味深かったのは、1月17日のNHKスペッシャル番組、『シリーズ阪神・淡路大震災20年(第1回)、大都市再生20年の模索」における当時の都市計画局長(後の市助役)の発言だった。この人物は市民の反対を押し切って都市計画決定を強行した張本人だが、今回は覚悟を決めたのか初めて番組の公開インタビューに応じ、率直な反省の言葉を述べた。前半はこれまで通りの「公式発言」の繰り返しだったが、終盤になって漸く「下町のよさを生かした計画にすべきだった」と本音を吐露した。私の知る限り、これは「歴史的発言」だと言ってよい。

 今からでも遅くはない。神戸市は率直に誤りを認め、新長田南再開発事業の本格的見直しに着手すべきだ。言葉は「リボーン計画」(生まれ変わり計画)とはいうものの、内容は小手先の修正に過ぎない「時間稼ぎ」などは直ちに中止し、根本的な再検討作業に入らなければ、数年後には「巨大なゴーストタウン」が出現することは間違いない。(つづく)