中山泰秀自民党大阪府連会長は首相官邸から派遣された「オール大阪」壊しのトロイの木馬だった、おおさか維新を野党分断カードに起用する安倍戦略が着々と進行している(1)、大阪ダブル選挙の行方を考える(その11)

大阪ダブル選投開票日から4日、漸く全体の選挙構図が見えてきた。すぐにもブログを書くつもりだったが、毎月寄稿している京都の月刊誌、『ねっとわーく京都』(2016年1月号、12月3日頃発売)の原稿締め切り日が重なったこともあり、今日までなかなか手がつけられなかった。同誌にはダブル選の結果を書くため特別に締め切りを遅らせてもらったこともあって、24日まではそれに掛かりきりだったのである。

詳しい内容は同誌を読んでほしいが、タイトルは「安倍自民に屈した大阪自民〜都構想住民投票『オール大阪』はなぜ崩れたのか〜」というものだから、およそ内容は察しが付くだろう。この間、拙ブログでも自民党大阪府連の選挙方針について幾度も強い疑問を表明してきたが、それが現実の結果になったのだから、中山泰秀氏は表向き栗原・柳本陣営の指揮をとりながら、その実は「首相官邸から派遣されたトロイの木馬」の大役を果たしたことになる。今回はこの複雑な選挙構図を中心にして書いてみたい。

今回の大阪ダブル選は、呆気にとられるほどの大阪維新の完勝だった。投票率は知事選が45・5%(前回から7・4ポイント減)、市長選が50・5%(同10・4ポイント減)で前回に比べて減ったとはいえ、最近の大都市圏の首長選挙は軒並み4割前後に低迷していることからみれば、十分に有権者の意向を反映していると言える。また得票結果は、知事選では松井202・5万票、栗原105・1万票でほぼダブルスコア、市長選では吉村59・6万票、柳本40・7万票でこれも3:2の大差がついた。

半年前の大阪市民を対象とする大阪都構想住民投票は、有権者数210・4万人、投票数140・6万票、投票率66・8%で、賛成69・5万票、反対70・6万票だった。今回のダブル選は、有権者数212.8万人、投票率50・5%、投票数107・5万票だった。都構想賛成69・5万票と吉村59・6万票の差は9・9万票、都構想反対70・6万票と柳本40・7万票の差は29・9万票となり、吉村票が都構想賛成票の86%を確保したのに対して、柳本票は反対票の58%しか確保できなかった。なぜ柳本氏は都構想反対票を固められなかったのか。

都構想住民投票は党派選挙ではなく、大阪市を解体して大阪府に統合するという「大阪のかたち=統治機構」を変える我が国初めての拘束型住民投票だから大阪市民の関心も高く、投票率も高かった。それに都構想を推進する橋下氏ら大阪維新とそれに反対する「オール大阪」の対立が熾烈で、市民の関心を嫌が上にも掻き立てた。結果は僅差で反対票が賛成票を制したものの、これほどの僅差になったのは自民支持層の票が割れたためであり、この時から自民支持層は都構想賛成派と反対派に分裂していたのである。

私は大阪都構想をめぐる大阪維新自民党大阪府連(以下「大阪自民」という)の対立を「国家保守=国益(支配層)中心の新自由主義国家主義」と「地元保守=地元利益を重視する伝統的保守主義」の対立だと捉えていた。しかし大阪維新に加担しなかった大阪自民のなかにも「国家保守グループ」が多数存在しており、彼らは選挙地盤の関係で大阪自民に所属しているだけで、橋下氏らとは思想的に極めて近い関係にあったのである。

その代表的存在が中山泰秀氏だ。中山氏はかって安倍首相が事務局長をしていた「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の中心メンバーであり、歴史教科書、慰安婦問題、南京事件等に関して歴史修正主義的立場から否定的な発言を繰り返してきた人物として知られる(有名だ)。同会は、米国下院の対慰安婦謝罪要求決議案の委員会可決に対して、「慰安婦は性奴隷などではなく、自発的に性サービスを提供した売春婦に過ぎず、虐待などの事実もない」として抗議し、決議案への反論を米国下院に送致すると記者会見(2007年6月)までしている。この点に関しては、安倍首相や中山氏は橋下氏らと「一心同体」だと言ってもよい。

また、中山氏は「憲法改正賛成」「女性宮家創設反対」「選択的夫婦別姓制度導入反対」などを政治信条とし、日本会議神道政治連盟などの国会議員組織に所属する「ウルトラ右翼」でもある。こうした経歴を評価されてか、第1次安倍内閣では外務大臣政務官、第2次・第3次安倍内閣では外務副大臣に任命され、安倍首相の「子飼い」を自認するまでになっていた。この中山氏がダブル選の直前、都構想住民投票で「オール大阪」の指揮を執った竹本府連会長のポストを突如奪い取ったのだから、これが官邸人事であることは誰が見ても明らかだろう。

その後の中山氏の言動は安倍首相の期待に違わないものとなった。府連会長に就任した中山氏は開口一番、反共丸出しの姿勢で「5月の『大阪都構想』の住民投票のように、イデオロギーが相反する政党と一緒に街宣活動をしてはコアなフアンを失う。他党に呼びかける前に自己を確立し、自身の足元を固めることだ。今月12日の府連会長就任時にも『こちらから共産に支援要請することはない』と述べた」などという始末(毎日新聞10月29日)。選挙戦の冒頭早々から「オール大阪」の分断作戦に乗り出したのだ。

その後も中山氏の「オール大阪」壊しの発言は続く。以下は、その模様を伝える各紙記事の抜粋である。
―「自民色が強すぎる。これでは動きにくい」。民主関係者は不満の矛先をダブル選直前に自民府連会長となった衆院議員の中山泰秀に向けた。中山は、住民投票で他党との連携を官房長官菅義偉らに批判されたことを意識し、「足元を固める戦い。他党に応援を頼むことはない」と強調。応援は自民本部のみ求め、街頭などで「自民党総裁安倍晋三に成り代わりお礼を申し上げる」と繰り返した。幹事長の谷垣禎一や地方創生担当相に石破茂ら「党の顔」が次々と応援に入り、一定の挙党体制は演出できた。ただ、橋下らと気脈を通じる首相の安倍や菅からは「打倒大阪維新」の明確な肉声が大阪で発せられることはなかった(産経新聞、11月24日)。

自民党色の出し方も課題だった。当初は住民投票で連携した「反大阪維新」包囲網の再現を狙った。だが、10月に就任した中山泰秀自民党府連会長は、共産など他党との連携を否定する姿勢を鮮明にした。演説では「安倍晋三首相に成り代わって」とあいさつ。自民党幹部や閣僚の来援に力を入れた。演説には他党支持者も足を運んだが、中山氏が「自民」を連呼すると、「もう、ええわ」と変える姿も見られた(朝日新聞、11月25日)。

―ちぐはぐな選挙戦術も敗因の一つだ。竹本直一・前府連会長は共産党も含めた非維新の連携を重視したが、10月12日に就任した中山泰秀・新会長は、自民を前面に打ち出す戦略に転換。現場は最後まで混乱した。「自共が共闘しているとの批判があるが、一緒なのは維新と共産だ。安全保障関連法にそろって反対した」。東住吉区で今月10日に開かれた自民推薦の市長選候補・柳本顕氏の個人演説会。中山氏が柳本氏を自主支援する共産への批判も交えて維新を攻撃すると、共産支持者もいた場内はざわついた(毎日新聞、11月25日)。

これでは選挙戦はまともに戦えないだろう。ダブル選の栗原・柳本陣営の最高責任者・中山氏が自陣営の支援者を攻撃するのだから勝てるわけがない。それでも中山氏は最後まで奮闘した。栗原・柳本候補の落選のために、である。(続く)