「大阪の将来をどうする! 大阪の将来ビジョンを考える市民フォーラム」(略称、大阪ビジョンフォーラム)を立ち上げ、市民の政策論議を深めよう、来る都構想住民投票は政策対決だけでは勝てない、市民の政策論議の積み重ねが必要だ、大阪ダブル選挙の行方を考える(その15)

 反維新陣営がダブル選に完敗して以来、ろくさまに選挙総括をしないまま(できないまま)大阪自民の混乱が続いている。というよりは、大阪維新への対決姿勢が薄れ、これまで否定してきた重要案件への態度が変わり始めたのだ。12月8日の読売、9日の朝日・日経など各紙は、大阪府大・市大の統合議案に対して自民が賛成方針に転換したことを伝えている。ダブル選の大敗を受けて議会での対応を協議した結果、「何でも反対と見られるのはよくない」との意見が上がり、市議団は8日昼に開いた会合で賛成に回ることを確認したという(朝日新聞、12月9日)。

 両大学の統合議案は2013年に橋下市長が議会に提案したが、大阪維新を除く全会派が「議論が不十分」などと反対し、いったん否決された案件だ。しかし今年10月、橋下市長と松井知事が「世界的な大学間競争に勝ち抜くために必要」として再び府市両議会に提案したもので、2年前も現在も「議論が不十分」との状況は全く変わっていない。それが「反対」から「賛成」に180度転換するのだから、大阪自民はその場の政治状況に応じて政策を変えることになる。これでは、政策などないに等しい。

 「大学が大きくなれば、世界的な大学間競争に勝ち抜ける」といった橋下氏らの発想も問題で、安易な企業合併の論理と何ら変わらない。パナソニックとサンヨーが合併していったいどんなことが起こったのか、大阪の人は良く知っているはずではないか。要するに、パナソニックのリストラにサンヨーが利用されただけで、全国各地のサンヨー工場は解体されて土地建物が叩き売られ、パナソニックの赤字の穴埋めに使われただけなのだ。それでいて、パナソニックのリストラが止まったわけではない。その後も不採算部門は容赦なく整理され、企業規模は全体として著しく縮小したのである。

 「企業が大きくなれば、世界的な企業間競争に勝ち抜ける」といった考え方を信奉する経営者など、もはや世界中のどこを探してもいない。そんな「図体」だけにこだわる中身のない考え方は、「前世紀の化石」だと言ってもいい。GE(ゼネラル・エレクトリック)のCEО、ジャック・ウェルティが言ったように、合併は「選択と集中」のためであり、不採算部門は整理して(選択)、将来性のある部門に資源を投入する(集中)ために他ならない。つまり、「リストラ」をするために企業統合を推進するのである。

 「大学の世界間競争」というお題目も怪しい。というよりは、危険極まりない粗雑な発想だと言っていい。英米の民間調査会社から「大学世界ランキング」といったレポートが毎年出され、東大が世界第何位といったニュースがよく話題になるが、こんなレポートを信用する研究者などどこにもいない。だいたい大学の研究成果や教育成果をどんな尺度で計るというのか。企業なら売上額といった共通尺度があるが、大学にはそんな共通尺度はないのである。

また最近では「大学の地域貢献」がしきりに強調されるが、こんな地道な活動は大学世界ランキングの指標のどこにも反映されない。公立大学の使命のひとつは「地域貢献」であるはずだが、「大学の世界間競争」に目を奪われると、大学教員は研究室に閉じこもってひたすら英語論文を書かなくてはならない破目に陥る。これでは学生の教育も地域への貢献も果たせなくなって、公立大学の存在意義がなくなる。地域の中で独自の役割を果たし、それが世界的に評価されるのが公立大学の役割なのだ。

 おそらく大学世界ランキングでは、国際学会で発表された論文数、大学の予算額、研究スタッフの人数などが参考にされるのだろうが、全ての学問分野の成果が英文の論文数で計れるわけがない。自然科学分野では英語が世界共通語になっているが、人文科学分野では(当然のことながら)それぞれの国の言語が基本になっている。国内で出版される膨大な文献書籍は、その国の言葉で語らなければ意味がない。その国独自の歴史や文化をなぜ英語で表さなければならないのか、子供でも分かる話なのだ。橋下氏らの発想は、「国立大学には人文科学系学部は要らない」との通達を出した安倍内閣の浅はかな考え方に通じるもので、大阪府大と市大を統合すれば、人文系学部の大幅なリストラに乗り出すのではないか。

 そんなことよりも私が注目した記事がある。12月8日の大阪ダブル選に関する朝日新聞の調査記事だ。この記事は、都構想住民投票が否決されたにもかかわらず、大阪ダブル選は「大阪都構想」再挑戦を掲げた大阪維新の会候補が圧勝した背景を探ったもので、ダブル選全体に共通する重要な分析視点を提供している。記事の内容は、大阪市24区の中で都構想住民投票反対が多数になった13区を対象に、住民投票賛成率と維新候補得票率の差をグラフであらわし、典型的な反対多数区を選んで、住民投票では反対票を投じたが市長選では維新候補に投票した高齢者にインタビューしたものだ。

 それによると、「大阪市をなくすほどの大事には反対したが、改革姿勢があまり見えない反維新候補には投票しなかった」というのが全体の結論になっている。つまり、柳本候補は「制度いじりよりも中身だ」として地道な政策論議を展開したが、それが大阪市民の目には(高齢者でさえも)「改革に消極的」だと映ったらしい。橋下氏らの「改革を続けるのか、元に戻すのか」という最終盤の選挙スローガンに有権者が巻き込まれて「維新=改革派」「反維新=改革消極派」とのイメージが広がり、それが勝敗の帰趨を決することになったというわけだ。

 大阪が直面する問題は深刻で、一朝一夕に解決できる課題は少ない。だから、地道で具体的な対策を続けるほかはないのだが、日々生活困難に向き合う市民にはそれがいかにももどかしく感じられるのだろう。「もっと早く、もっと大胆に」というのが市民の率直な願いであり、この点で反維新派陣営の展開した政策キャンペーンは必ずしも市民の生活感情にマッチしたものとは言えなかった。「大阪をどうする!」といった大胆な将来ビジョンを示し、それを具体化するために「当面こうする!」といった政策提起が必要だったのだ。

 とはいえ、こうした「大阪将来ビジョン」が一朝一夕にできるわけがない。中央リニア新幹線を作る、カジノリゾートを作る、関西空港と新大阪を結ぶ地下鉄を作るといった「ハコモノ」のオンパレードなら話は簡単だが、そんな絵空事を信じる市民がいない以上、「大阪の将来ビジョンとはどういうものか」といったビジョン哲学も含めて市民の認識を深める他はない。

 来るべき都構想住民投票は3年後に予定されているそうだ。とすれば、3年間をかけて市民の間で「大阪の将来ビジョン」を語る場をつくり、その積み重ねの中から大阪市の存続を前提とする政策を練り上げるしかない。幸い大阪の研究者は、都構想住民投票とダブル選を通して活発な政策論議の場を提供した。この継続的な議論をさらに発展させて、「大阪ビジョンフォーラム」を立ち上げ、草の根からの将来ビジョンをつくり上げてほしい。(つづく)