衆院京都3区の補選は、京都の「民進党にお灸をすえる」選挙だ、民進党がおおさか維新の会を「敵」だと言う補選は不毛の選挙で喜劇にもならない、2016年参院選(衆参ダブル選)を迎えて(その20)

 不倫問題の発覚で宮崎健介元衆院議員(自民党を離党)が辞職したことに伴う衆院京都3区の補欠選挙が間近に迫った。告示日は4月12日、投開票日は4月24日だ。自民党共産党が候補擁立を見送ったこともあって、立候補したのは民進党現職、おおさか維新と日本のこころの新人2人、そして諸派・無所属の新人3人が加わって計6人となった。4月3日には民進党候補の事務所開きも行われ、京都選出の民進党国会議員が勢揃いした。

 傑作なのは前原衆院議員(民主党元代表)の挨拶だろう。自民党が候補擁立を断念したことを踏まえて、「本来の敵は自民だが、今回の敵は野党か与党かわからないおおさか維新だ」とおおさか維新を牽制したという。選対本部長の福山参院議員も「大阪のことは大阪でやっていただければ結構だ」と口をそろえた(毎日新聞2016年4月5日)。どこの誰かもわからない泡沫候補が乱立する中での選挙戦だから、地元の有権者も白け切っている。選挙戦を盛り上げるためには「敵」をつくらなければならない。その標的がおおさか維新だというわけだろう。

 そう言えば、読売新聞も民進党とおおさか維新の「対決」を強調している。4月4日の朝刊は「民進とおおさか維新軸、衆院京都3区補選12日告示」と見出しで、おおさか維新の関係者が大挙して京都入りしたとか、ビラを精力的にばらまいているとか、とかくおおさか維新の姿を大きく見せようとして苦心しているのである。たしかに地元の伏見大手筋商店街では、緑色のジャンパーを着たおおさか維新の運動員がビラを撒いている。だが、私の見るところ買物客のほとんどはビラを受け取らないで素通りしていく。その前で客待ちしているタクシー運転手などは「大阪が京都に来てもアカンのや」と言っていたが、どうやら大阪の運動員たちも勝手が違って戸惑っているようだ。

 そんなときに現れたのが朝日新聞編集委員の曽我豪氏だ。前回の拙ブログでも取り上げたように、曽我氏は4月3日の政治コラム「日曜に想う」で4月24日投開票の衆院補選について述べ、「北海道は首相が力説する通り『自公対民共』という与野党の主軸が全面対決する闘い」、「京都は民進党とおおさか維新の会の対決が前面に出る野党の主軸を争う闘い」だと位置づけた。前原氏でさえおおさか維新を「与党か野党かわからない」と言っているのに、曽我氏はおおさか維新を堂々と「野党」として扱い、京都3区補選は民進とおおさか維新の「野党の主軸を争う闘い」だと規定したのである。曽我氏はいったい何時から読売新聞とコラボするようになったのか。

 私は選挙事務所開きの前原氏のあいさつを読んで、一瞬「与党か野党かわからない」のは自分たち京都の民進党のことではないのかと思った。前原氏らが牛耳る民進党京都府連は、府議会でも京都市議会でも自民・公明と並ぶ「純与党」であり、政策も体質も同じで何ら変わらない。国政でも前原グループは「民進党保守系」と言われ、「与党か野党かわからない」行動をとり続けている。その張本人がおおさか維新を「敵」と言うのだから、これは笑えないジョークだという他ない。まさに「目糞、鼻糞を笑う」類の話なのである、

 読売紙は、連載「政治の現場、野党融合」(第4回、2016年4月5日)で、衆院補選で前原氏が果たした役割を次のように書いている。
 ―前原氏が民主党京都府連の会合で「共産党に協力を依頼するか、一切交渉せずに独自に戦うか」と補選の対応を問うと、全地方議員が「交渉せず」を支持したという。前原氏自身も、共産党との選挙協力は「絶対に受け入れられない」との立場だ。岡田代表共産党との連携を進めているのに対し、前原氏は「共産党はシロアリ、(協力すれば党の)土台が崩れる」と言い放ったこともある―。

 京都の民進党の態度はその後も一向に変わらない。学者や弁護士でつくる市民団体が4月3日に京都市内で開いた集会は、安保法制廃止に向けて国政選挙での「野党共闘」を盛り上げるためのものだったが、衆院補選に立候補する民進党現職は姿を見せず、選対本部長の福山参院議員が出席したものの「京都では共産党と共闘できない。今後も選挙で戦うわけだから」と言い切り、会場を唖然とさせた。

 いま私の手元には「京都はいったいどうなっているのか」との問い合わせが全国から相次いでいる。同じ衆院補選とは言いながら、北海道5区とはあまりにも情勢が違い過ぎるのでどう考えればよいか多くの人が戸惑っているからだろう。共産党の志位委員長は3月20日の京都駅前の街頭演説で、「京都の民主が連携を拒む中、『野党は共闘』と言う市民の声に応えた」と訴えたが、市民の声とはいったいどこの市民の声なのか、京都市民の多くは納得していない。

 衆院京都3区の補選は、民進党とおおさか維新の「野党対決」でもなければ、福山氏が言うように「自民党にお灸をすえる」ための選挙でもない。「与党か野党かわからない」勢力が自民・共産が候補を擁立しないスキに乗じてただ単に議席をかすめ取ろうとして争っているだけだ。こんな不毛な選挙は今まで見たことがないし、野党共闘大義からいっても許されることがあってはならないだろう。

私は端的に言って、衆院京都3区の補選は京都の「民進党にお灸をすえる」選挙だと思っている。5野党が合意した野党共闘の原則を踏みにじり、党利党略選挙を強行する京都の民進党には立憲主義の立場も何もあったものではないと思うからだ。京都3区の有権者はこんな民進党にお灸をすえなければならない。少なくとも私個人としては「積極的棄権主義」を掲げて行動するが、果たして多くの有権者はどう考えているのだろうか。読者諸氏のご意見を伺いたい。(つづく)