朝日新聞編集委員・曽我豪氏の「記者のコツ」(『日曜に想う』2016年4月3日)は安倍首相の背後から政局を見る「コツ」のことか、的外れ(的外し)の政治コラム(衆院補選の論評)を論評する、2016年参院選(衆参ダブル選)を迎えて(その19)

 朝日新聞4月3日の曽我氏の政治コラム、「首相のコツ、記者のコツ」を読んで驚いた。4月24日投開票の衆院補選は「北海道は首相が力説する通り『自公対民共』という与野党の主軸が全面対決する闘い」、「京都は民進党とおおさか維新の会の対決が前面に出る野党の主軸を争う闘い」だというのである。

 曽我氏は、朝日新聞東京本社の政治部長を務めた朝日を代表する政治記者だ。と同時に、安倍首相がマスメディア関係者を招いて酒食を共にするときには必ず顔を出す「アベ友」でもある(有名だ)。「アベ友」が政治記者の顔で書く記事やコラムは気を付けなければならない――、これはマスメディア界の常識だとはいえ、一般読者がそこまで気づいているわけではない。だから曽我氏が特大の政治コラムでこんな論評をすると、多くの読者は「朝日が書くことだから」とそのまま信じてしまうことにもなりかねない。

 駆け出し記者のコラムなら、「的外れ」と笑って済ませることができるかもしれない。しかし、「アベ友」の曽我氏となるとそうはいかないだろう。このコラムは単なる「的外れ」ではなくて、明らかに事の本質の「的外し」を狙った性質(たち)の悪い政治コラムだからだ。そこには安倍首相の意に沿った政局解説を意図的に広めようとする明確な意思が見て取れる。つまり夏の参院選(衆参同日選)の前哨戦となる衆院補選の意味を矮小化し、その結果がどうであれ安倍政権への波及を食い止めようとする明確な意図が働いていると見るべきなのだ。

 まず「北海道は首相が力説する通り『自公対民共』という与野党の主軸が全面対決する闘い」だという見方についてはどうか。私は北海道5区の選挙情勢についてはそれほど詳しくないので是非とも読者の方々に補強していただきたいが、この見方だと野党統一候補が政党間の協議(だけ)で決まったような印象を与えることになり、単なる与野党対決型選挙に矮小化されてしまう。しかしこれまでの経過を見る限り、野党統一候補は安保法に反対する国民運動を反映した成果であり、「野党共闘選挙協力」を求める市民団体の力強い働きかけがなくては絶対に成立しなかった。

つまり、北海道5区の衆院補選は単なる「与野党対決」ではなくて、その背後には野党統一候補を応援する広範な市民が選挙戦に加わっているのであり、安倍首相が最も恐れる「野党・市民共闘」が成立しているのである。曽我氏は、北海道衆院補選の本質(キモ)である「野党・市民共闘」を意図的に「自公対民共」の政党対決に矮小化する(すり替える)ことで、野党と市民が共闘する選挙戦の広がりを食い止めようとする安倍首相の「走狗」としての役割を見事果たしているのである。「アベ友」の面目躍如というべきか。

 次に「京都は民進党とおおさか維新の会の対決が前面に出る野党の主軸を争う闘い」だという見方についてはどうか。これなどは、地元有権者の私ならずとも呆れてものが言えないほどの噴飯物の珍説だ。まず第1に、おおさか維新の会が「野党」などとは誰もが思っていない。第2に民進党とおおさか維新の会が選挙戦で「対決」しているなどとも思っていない。曽我氏がもし本気でそう思っているのなら政治記者の肩書は直ちに返上しなければならないし、意図的にミスリードしているのであれば事実を伝える新聞記者としては完全失格だ。

 おおさか維新の会は、安倍政権の最も忠実な紛れもない与党補完勢力だ。この間の国会運営を見ても、あらゆる局面で「自公お対野党」の与野党対決の構図が明らかになっている。おおさか維新の会が維新の党から分裂したのも、安倍政権の働きかけで改憲勢力の一角に加わるためだった。これほど明確な事実に目をつぶり、あろうことかおおさか維新の会を「野党」と位置付ける曽我氏はいったいどんな目をしているのだろう。

 衆院京都3区の補選で民進党とおおさか維新の会が「対決」しているなんて、これも全くの作り話(虚構、デマ)だという他ない。ウソを言うなら休み休み言ってもらいたいと思う。京都の民進党を牛耳っている前原氏と、おおさか維新の会の橋下元代表が肝胆相照らす仲であることは周知の事実なのだ。これまでも橋下氏が分裂騒ぎを起こすたびに前原氏はエールを送り、橋下氏との新党結成を目指して数々の策動を繰り返してきた仲なのである。

例えば2014年6月、橋下氏が日本維新の会を分党して新党(維新の党)を結成したとき、民主党の前原氏は読売テレビの番組に出演し、橋下氏との将来的な合流について「(確率は)100%」と述べて強い意欲を示している(時事ドットコム、2014年6月7日)。また前原氏はその後記者団に対し、「大きな野党をつくるためには民主党が基軸にならないといけない。日本を良くしたいという思いで、今の維新とは(同じ政党で)やれる」と述べている(MSN産経ニュース、2014年6月7日)。「同じ穴の狢(むじな)」が喧嘩することなど絶対ない。それが生物界の法則である。

憂鬱なことにこの2、3日、京都3区では候補者の街宣車が走るようになった。我が家の前の道路にも民進党やおおさか維新の会の街宣車がときどき来るようになったのだ。しかし、民進党は現職候補者の国会活動の実績(踏切改善、バス事故防止策など)を強調するばかり、おおさか維新の会は大阪でやった「身を切る改革」を京都でもやると言う程度で、安保法制や消費税など国政上の課題はほとんど語らない。まして両党候補が論戦を通して「対決」している光景などお目にかかったことがない。選挙民が「大義のない補選」に対して白け切っていて誰もが関心を示さないので、候補者も街宣車もいっこうに熱が入らない。ただ各党それぞれに参院選(衆参同日選)の事前運動をやっているにすぎないのである。

 曽我氏は末尾で選挙取材に関する「記者のコツ」として、「選挙の街頭演説は前から見ていたのではダメで、すべからく後ろから見るべきもの」と語っている。そして「というわけでこの春、北海道と京都で街頭演説に行き合ったらぜひ、後ろからの見物をおすすめします。政局の行く末が垣間見えるかもしれません」などと結ぶのであるが、私なら曽我氏にこうすすめたい。「安倍首相の背後から国民を見ないで、真正面から国民を見てほしい」と。(つづく)