「上手の手から水が漏れる」とはこのことだろう、内閣支持率好調の安倍政権が思わぬところで足を掬われた、国民世論は「脱安倍」へと着実に向かい始めた(12)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その43)

  拙ブログでも、コメント諸氏の間では「安倍晋三記念小学校」や「安倍昭恵名誉小学校長」の話題でも持ちきりだ。このところブログを書く時間が取れず、間合いが開いているので、コメント諸氏が痺れを切らしているのがよくわかる。いろんな雑用が重なり、身動きが取れなくなっているので自戒しなければならない。

 そんなことで、今日1日は学校法人「森友学園」をめぐる問題に集中することにした。その手始めに、まず午前中はNHKの衆院予算委員会国会中継をじっくり観た。印象的だったのは、いつもは傲慢で挑発的な安倍首相の顔がこれまでになく硬直し、答弁も最初から最後まで受け身に回っていたことだ。国有地売却担当の財務省理財局長などは顔面が蒼白になり、法的手続きには問題がないとの形式的答弁を繰り返すばかりで事実上答弁不能の状態に追い込まれていた。これを観た多くの国民はその場の光景だけでも、さぞかし安倍政権を取り巻く「底知れない暗闇の世界」の存在を感じ取ったことだろう。

 それにしてもこの問題は不可解であるものの、ある意味では「わかりやすい」問題だといえる。安倍内閣の高支持率を支えてきた「地球儀外交」や「アベノミクス」など天下国家レベルの政策論議ではなく、政治家や権力者が官僚と結託して国民の財産を関係者にただ同然の値段で払い下げるという、利権がらみの極めて「わかりやすい話」だからだ。しかも、そこに首相自身と昭恵夫人の名前が出てくるのだから、「安倍ファミリー」が絡んだ問題としてひと際国民の目を引く条件を備えている。

 安倍ファミリーだけではない。安倍首相子飼いの稲田防衛相が、渦中の森友学園理事長に昨年「防衛相感謝状」を贈っていたことも発覚した。森友学園が経営する幼稚園園児が自衛隊員を歓迎したり、保育士が自衛隊体験入隊したりしたことが感謝状贈呈の理由だという(毎日新聞、2017年2月24日)。園長などが保護者に「ヘイトスピーチ」とも言える文書を配布するなど、とかく問題の多い幼稚園に対して防衛相が直々に感謝状を贈ることは、安倍政権の支持組織である日本会議など「右翼一家共同体」が、政府の「身内」として格別に処遇されていることを示すもので、国民の顰蹙を買うことだろう。

 今後、この問題が安倍政権を揺るがす「一大スキャンダル事件」に発展していくのか、それとも与党勢力が一致団結して火消しに走るのかは、今のところまったく予測がつかない。本来なら昼や夜のトークショーの目玉として取り上げられてしかるべき話題だが、目下、金正男暗殺事件が画面を独占していることもあって、まだそれほど大きなテーマにはなっていない。しかし事柄が単純であり、しかも国民が大好きな「大岡裁き」の格好の題材にもなるだけに、もし曖昧な幕引きをしたら事態は一挙に炎上する可能性も秘めている。

 そうでなくても最近は、文部科学省の組織的天下り斡旋にもみられるように官僚機構の腐敗は目に余るものがある。この問題を契機にして財務省国土交通省に飛び火することにでもなれば、安倍政権の統治能力がもろに問われることになり、内閣支持率が一気に低下することにもなりかねない。トランプ大統領との親密ゴルフや夫婦同伴での会食など、これまで世界の耳目を惹きつけて得点を稼いできた安倍政権が、この種の胡散臭い(わかりやすい)問題で足を掬われることは本人にとっては不本意なことであろうが、しかしそれは自らがまいた種でもある。

 日本会議など極右勢力を支持基盤とし、その代表選手である稲田氏を防衛相に抜擢した安倍首相のことだ。こんな不始末な事件が発生しても、相手側に対する抗議や批判は極力避けていて必要最小限のことしか言わない。また財務省国交省など関係省庁の内部調査も行わず、会計監査院に全ての責任を押し付けて、自分はあくまでも責任逃れをする構えだ。

 だが、国民は「私や妻がこの案件に関係していることはない。もしそんなことがあれば、総理大臣はもとより国会議員も辞める」と国会で公言した安倍首相の言葉を決して忘れてはいない。また自衛隊南スーダン派遣問題に関しては、「自衛隊員に万が一死傷者が出れば、総理大臣を辞任する」との大見得も切ったことも忘れていない。内閣支持率が好調なこともあって、これだけの大問題が発生している(発生する可能性がある)にもかかわらず、このような「自分の首を絞める」言葉を平気で連発する態度には危ういものがある。

 しかし、世論は移ろいやすい。トランプ大統領との親密会談で一段と内閣支持率を上げて得意満面だった首相の顔が、一夜にして硬直するほど情勢は流動しているのである。次の内閣支持率がどのような結果になるか、コメント諸氏の批判にもめげず、私やその動向を注視している。(つづく)