「森友疑惑」の解明を裁判所や検察(だけ)に委ねてはいけない、これは国会はもとより国民自身が究明しなければならない疑獄事件なのだ、国民世論は「脱安倍」へと着実に向かい始めた(19)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その50)

 「森友疑惑」すなわち森友学園への国有地払い下げや小学校認可を巡る不正や疑惑がいよいよ司法の場でも取り上げられることになった。4月6日の各紙が伝えるところによると、
(1)小学校校舎の建築については、森友学園が国や大阪府などに金額の異なる契約書を提出して補助金を騙し取ったとして、補助金適正化法違反容疑での告発状を大阪地検特捜部が受理。
(2)校舎建築費が支払われていないとして、建築業者が支払いを求めて提訴。併せて、当該建築物と敷地および籠池理事長自宅や敷地の仮差押えも受理。
(3)国有地の払い下げについては、不当な安値で売却し国に損害を与えたとして、財務省近畿財務局職員(氏名不詳)に対する背任容疑での告発状を大阪地検特捜部が受理。
(4)国有地払い下げや小学校認可を巡って、政治家に金品を贈ろうとした贈賄申し込み容疑での告発状が出され、受理をするかどうかについては地検が目下検討中とある。

 加えて、大阪府は4月5日、学校法人「森友学園」めぐり国有地を売却した財務省近畿財務局の職員と小学校の設置認可事務を担当した府職員のやりとりの調査結果を公表した。松井知事はこれまで、近畿財務局が森友学園関連で大阪府を訪れたのは2回だとしていたが、今回は2013〜15年に財務局職員が5回府庁を訪れたことを明らかにした。朝日新聞4月6日の詳報によると、
(1)財務局職員2人が最初に大阪府庁を訪れたのは2013年9月12日。財務局側から「(学校の)認可はいつおりるのか」と聞かれた。
(2)同年11月19日にも財務局職員2人が訪れ、小学校の実現可能性を尋ねる照会文を持参。府側は「正式な認可申請が出ていない段階で回答は難しい」と答えたが、財務局側から「それでも構わないから照会文を受け取ってほしい」と言われ、受け取った。
(3)2014年10月2日には、担当課長級の「統括管理官」を含む数人が府庁を訪問。統括管理官は、私学審で小学校認可が継続審議になった直後の2015年1月8日にも訪れた。府の担当者が「いつ(私学審の)答申が得られるかわからない」と説明すると、財務局側は「審議会の結論を出す時期など、ある程度事務局でコントロールできるのではないか」と語った...という。

 近畿財務局と大阪府のやりとりが公表されたその日に、大阪地検特捜部が近畿財務局職員(氏名不詳)に対する背任容疑での告発状を受理したことは、偶然とはいえ非常に興味深い。財務局側の異常ともいえる「親切さ=前のめり姿勢」を見れば、統括管理官など近畿財務局担当職員が本省(財務省)の指示(忖度)を受け、国有地払い下げを条件に森友学園小学校の設置認可を府側に急がせようとしていた(迫っていた)ことは紛れもない事実であり、大阪地検特捜部にとっても有力な証拠資料になるはずだ。

 それにも増して文科省ならともかく(それでも大問題になるが)、財務省の所管でもない私学小学校の設置認可になぜかくも近畿財務局が介入するのか、それも「森友疑惑」を解く重要なカギになる。これらの事実は、全てを森友学園の教育思想に感銘した安倍首相や昭恵夫人への「忖度」の一言で片付けることの難しさを物語っている。もし検察の本格的な事情聴取が始まれば「結託」(忖度ではない)の事実が明らかになるであろうが、問題はそこで「幕引き」されるかどうかが次の焦点になる。

 問題は、検察が告発を受理したとしても起訴するかどうかは必ずしもわからないことだ。これまでの政治事件の多くが不起訴になり(甘木元経済産業大臣のような口利き贈賄容疑が明らかな事件でさえも)、検察審査会が起訴相当と判断しても起訴に持ち込むのは容易でない。それに告発状を受理してから事情聴取に移り、起訴不起訴の結論を出すまでには相当な時間がかかる。この間に国民の関心が失われれば、検察が受理したとしてもそのまま「お蔵入り」にならないとも限らない。

 検察としても森友学園に対する告発は受理するが、財務局職員に対する告発は受理しないということになれば、国家権力に対して「忖度」したという批判は免れないことになる。そこで、ここは一応告発だけは受理しておき、ほとぼりが冷めた頃に不起訴にするといった見方も成り立たたないわけではない。要するに、検察や裁判所だけに事態の真相解明を委ね、国民がそれを観ているだけではこの問題は解決できないのである。

 検察や裁判所は、政権から独立した権威として然るべき正当な判断を示してほしい。しかしだからといって、司法に国民の判断を委ねるわけにはいかない。政権はもとより司法への批判を含めて国民が主権者としての見識を示すことなしには「森友疑惑」は解明できない。それほどこの事件は安倍政権の本質に迫る疑獄事件なのであり、教育勅語復活を否定しない復古主義歴史修正主義への戦いなのである。(つづく)