「寛容な改革保守政党」を目指す希望の党は、選別と排除の独裁ポピュリスト政党だった、国民世論は安倍内閣を拒否し始めた(11)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その83)

 小池新党「希望の党」に対する世論の風向きが急速に変わりつつある。小池氏が希望の党の代表に就任した頃の怒涛のような勢いは影を潜め、お洒落なスーツで包まれた彼女の姿の中からくっきりと独裁者のシルエットが浮かび上がってきたからだ。このままでいくと、選挙公示日あたりで希望の党の支持率が急落して失速する可能性もあながち否定できない。なにしろ選挙情勢の移り変わりが恐ろしく速いからだ。

 最近は連日各紙朝刊を読み、お昼のテレビ番組もほぼ欠かさず見ているが、日々刻々と情勢が変化していく様子が手に取るようにわかって面白い。ワイドショーのコメンテイターの発言がその日の情勢で大きく変わり、それが連鎖的に番組全体の空気に波及していくからだ。もはやNHKのニュースや解説などはもはや誰も見ていないのではないか。NHKは「時代遅れ」というよりも決定的に「情勢遅れ」なのだ。ニュースキャスターはアナウンサーと同じく結果を伝える(原稿を読む)だけで、情勢の動きも分析できなければ、まして事態の進展も予想できない。権力の動きを監視するというジャーナリズムの本質を見失っているからだ。

 小池新党ブームの第1の転換点は、民進党からの「合流者全員をさらさら受け入れるつもりはない」「安全保障政策や憲法改正で一致できるかどうかを選別し、できない場合は排除いたします」と小池氏が言い放ったときのことだった。前原民進党代表が希望の党に全員合流できると言っていたのが「ウソ」と分かっただけでもショックなのに、小池氏がそれに輪を掛けて「選別して排除する」と言ったものだから、「希望の党=選別と排除の党」というイメージが一気に広がってしまったのである。

 第2の転換点は、希望の党の公認を求める候補者に対して「政策協定書」という名の誓約書の提出を義務づけたことだ。その内容がまた恐ろしい。最終的には文章は若干修正されたものの、内容は原案とほとんど変わらない。私が恐怖感を覚えたのは1点や2点ではない。この文書全体の性格が、政党活動の基本である自由と民主主義を否定する強権的・抑圧的なものに思えたからだ。
 
 政党間の「政策協定書」とは、思想信条が異なり政策を異にする政党が互いに協議して合意に達した事項を定めたものだ。にもかかわらず、綱領も規約も持たない結成したばかりの「希望の党」代表の小池氏が、個人的信条にすぎない安全保障政策や憲法改正についての持論を候補者に押し付け、それを「誓約」しない限り公認しないというのでは、希望の党は「小池独裁=小池私党」そのものになる。野党第1党の民進党が「小池独裁私党」に屈服するなど、こんな異常な事態が世界のどこにあるというのか。

加えて、「党への資金提供=持参金」が誓約義務となっている点も看過できない。政党活動に資金が必要なことは当然だとしても、それは政党活動の一環としての募金活動や機関誌活動、党員納入などによって支えられるべきであって、公認料などとして請求すべき筋合いのものではない。こんなヤクザ組織まがいの上納金制度がまかり通ることになれば、金の有る無しが選別基準となって政治的な志しの有無は二の次にされ、金権政治の温床をつくるだけだ。

また「政策協定書」の中には、「外国人に対する地方参政権の付与に反対すること」という「選別・排除条項そのもの」がことさらに明記されている点にも驚く。経済社会の国際化が進み、国籍を問わず移動の自由と政治参加が飛躍的に進んでいる現在、このような外国人排除の姿勢は国粋主義イデオロギーの主張以外の何物でもない。ここにもまた、関東大震災における朝鮮人虐殺の歴史的事実を認めようとさえしない小池都知事の極右的体質が露呈しているというべきだろう。

しかし、情勢は急速に変化している。希望の党の公認候補第1次リストで分かったことは、小池代表が希望の党に公認申請せず無所属候補として立候補する野田氏、岡田氏、安住氏などには「刺客」を立てないものの、立憲民主党を立ち上げた枝野氏らのグループに対しては悉く「刺客」を差し向けるということだ。この事態は、希望の党の立党目的が「安倍1強体制の打破」ではなく、「リベラル潰し」にあることをあからさまに示している。敵は安倍政権ではなく野党共闘を進めてきたリベラル勢力なのであり、安倍政権の先鋒隊として野党共闘を分断し、民進党内のリベラル派を駆逐することが希望の党の役割なのだ。

前原民進党代表は10月3日、枝野氏が立憲民主党を旗揚げし、民進党希望の党立憲民主党に分裂したことについて、「全てが想定内だ。政権交代可能な状況をつくらないといけない。自分の判断は正しかったと思っている」と平然と語ったという(10月4日、各紙)。地元京都で前原氏の素性をよく知っている私などは全く驚かないが、そうでない人々は前原氏のこの発言で漸くその意図(謀略)がわかったのではないか。今後、前原・小池両氏が描いた謀略シナリオの全貌が明らかになるにつれて、前原氏の居場所は次第に無くなっていくだろう。

また、希望の党の「政策協定書」に誓約して公認候補となった前民進党議員は、選挙戦で「変節」の理由を説明しなければならない苦しい立場に追い込まれるだろう。国民や有権者を見くびってはいけない。「策を弄するものは策に溺れる」というが、一夜漬けの独裁ポピュリスト政党・希望の党の運命はそれほど長くないことを肝に銘じる日がからずやってくるだろう。私はその端緒の火蓋が今回の総選挙で切られることを期待している。(つづく)