愛媛・今治(頭)隠して加計(尻)隠さず、柳瀬前総理秘書官の参考人答弁を聞いて思うこと、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その114)

昨日5月10日、全国注視の的の柳瀬前総理秘書官国会答弁をテレビ中継で見た。午前は衆院、午後は参院での国会参考人としての答弁だ。短い時間での応答だったが、柳瀬氏の言う「個別案件への答弁」ではなく、「(疑惑の)全体像」を浮かび上がらせる貴重な場となった。以下、柳瀬氏の答弁要旨を記そう。 
(1)「加計学園の事務局の方から面会の申し入れがあり、(2015年)4月2日だったと思うが面会した」と、柳瀬氏は加計学園関係者との面会を最初からあっさりと認めた。そればかりではない。2月から6月ごろにかけて加計学園関係者と首相官邸で3回も会ったことを認めた。疑惑の核心である加計学園との面会を認める「正面突破作戦=お尻丸出し」の答弁だ。
(2)一方、愛媛県今治市職員との面会については、これまで「お会いした記憶はございません」とひた隠しをしてきたが、今回もまた「(手元に)名刺はない」「10人近くの同席者の中に愛媛県今治市の方たちがいらっしゃったのかもしれない」と言葉を濁した。加計学園との関係を隠すために、その糸口になる愛媛・今治との面会をひたすら「頭隠し」してきたので、いまさら答弁を覆すことができなかったのだろう。
(3)その上で、「なぜもっと(加計学園との面会について)早く答弁しなかったのか」と問われると、「ご質問いただいたことに一つ一つお答えしてきた結果、全体像が見えなくなり、国民の皆様に大変分かりづらくなった」「国会審議に大変なご迷惑をおかけし誠に申し訳ない」と訳の分からない謝罪をした。安倍首相の疑惑を隠すためには、「全体像を明らかにするわけにはいかなかった」と素直に言えばよかったのだ。
(4)愛媛県職員が作成した文書に柳瀬氏が「首相案件」との発言をしたとの記述があることについては、事実そのものを否定することは難しいと考えたのか、そのことの意味は、安倍首相が国家戦略特区の推進に熱意を示していたことを踏まえての一般的な趣旨説明にすぎず、今治市などの特定プロジェクトに関するものではないとかわした。苦しい言い訳だった。
(5)加計学園関係者との面会が「特別扱いではないか」との追及に対しては、「政府の外の方からのアポイントには時間が許す限り会うよう心がけていた。秘書官時代に断ったことはない」と、多忙極める総理秘書官が誰にでも気軽に会って話を聞くような(あり得ない)答弁を繰り返した。総理秘書官が誰と会ったかを示す「官邸入廷記録がなぜないのかは知らない」「自分も側近スタッフもメモを取っていない」とガードを張った上の強弁だった。そのくせ「国家戦略特区の関係で会った民間の方は加計学園だけ」と認めたのは、語るに落ちるというものだろう。
(6)最大のポイントである加計学園関係者との面会についての安倍首相への報告に関しては、安倍首相と加計学園理事長が「友人関係とは認識していた」としながらも、面会の事実について一切報告していなかったと何度質問されても首相の関与は認めなかった。野党議員からは「ありえない」「首相秘書官失格だ」などと厳しいヤジを浴びながらの苦し紛れの答弁だった。

 柳瀬氏の一連の答弁を聞いていて一番印象に残った場面は、柳瀬氏が「記憶を調整して国会答弁に臨んでいる」との報道記事に関する感想を聞かれたときのことだ。柳瀬氏は、色をなして「そんなことはしていない」と反論し、「自分は一貫して同じことを述べてきた」と主張した。政府与党が念入りに調整して柳瀬氏の参考人招致に臨んだことは周知の事実であるにもかかわらず、柳瀬氏がなぜかくもこのことに強く反応したのか。

それは、「記憶にございません」という虚構答弁の本質を「記憶を調整する」という報道記事が余すところなく暴いていたからだ。証人喚問や参考人招致で常套手段となっている「記憶にございません」のフレーズは、もはや国民の誰もが虚構答弁の方便だと知っている。それでも答弁する本人は、あくまでも白を切り通すことで自己主張の一貫性を維持していると思うことができる。しかし今回は、その自己主張の元になる「記憶を調整」しなければならない究極の事態に追い込まれたのである。

あの記事が報道されて以来、柳瀬氏に対しては「記憶が戻ってきたか」「記憶を取り戻せたか」「どんな記憶を思い出してどんな記憶を忘れたか」などなど、揶揄の対象にされることが多くなった。このことは官僚の端くれとしても我慢がならなかったのであろう。そこを衝かれたので柳瀬氏はいきり立ったのだ。それにしても、柳瀬氏の記憶を調整して加計学園との面会を認めるという正面突破作戦はどんな政局判断から打ち出されたのだろうか。

ひとつは、もはや柳瀬氏がウソをついていることが愛媛県職員の面会録で白日の下にさらされ、虚構答弁の一貫性を維持できなくなったこと。もうひとつは、柳瀬氏が記憶を調整しなければ国会運営が暗礁に乗り上げ、働き方改革法案をはじめ重要法案の審議が捗らなくなったからだ。いわば財務省の佐川氏と同じく、経産省の柳瀬氏も「トカゲの尻尾切り」よろしく切り捨て、「トカゲの本体」である安倍首相を守り切って次の政局への転換を図るという苦肉の策が講じられたのだろう。

だが、最大の難関は「加計学園との面会を首相に一度も報告しなかった」という柳瀬氏の主張(記憶)が果たして国民に通じるかと言うことだ。すでに、愛媛県知事からは「なぜ正直に言わないのか」との反論が出てきているし、与党内部や政府部局からも「秘書官が首相に全く報告をしないとは考えにくい。国民が納得できるとは到底思えない」と批判が起こっている。再び柳瀬氏が記憶を調整する日が来るかもしれない。しかしその時は、安倍政権が崩壊する日であり、安倍首相が「記憶と共に去る日」なのである。(つづく)