観光公害は〝観光災害〟に突然変異する、新型コロナウイルス肺炎が拡大する最中の中国春節を迎えて、安倍内閣支持率下落と野党共闘の行方(17)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その194)

 124日から中国の旧正月(春節)が始まり、大量の訪日観光客が京都へも押し寄せている。京都はいま市長選の真最中で、「観光公害」が最大の争点として浮上していることは既に述べた。現職候補と地域政党候補は、京都はまだ受け入れの余地ありとして交通混雑やマナー違反などの当面の問題を解決すれば観光客受け入れ可能という立場だが、革新系候補は「総量規制」を打ち出すなど対決点は明確になってきている。

 

 これまで京都市による観光促進キャンペーンが功を奏していたのか、市民の間では訪日外国人観光客が増えることに対して歓迎することはあっても反対する空気はそれほど大きくはなかった。ところが、年間5千万人(うち外国人700800万人)を超える大量の観光客が押し寄せるようになったころから、次第に「観光公害」という言葉が使われるようになり、問題は単にゴミ対策や交通混雑対策だけでは済まなくなってきたのである。ホテルや民泊の建設ラッシュで地価高騰して市民が住めなくなるとか、京都の風情が壊されて「京都が京都でなくなる」とか、訪日観光客の急増が市民生活にとっては必ずしも「いいことばかり」ではないことが明らかになってきたからだ。

 

 それでも、今回のような新型コロナウイルス肺炎が中国で発生することは想定外であり、しかも感染が拡大するなかで大量の中国人観光客が日本を訪れるような事態が起こるとは誰も想像していなかった。2003年に中国でSARS(重症急性呼吸器症候群)が発生した時にも同様の懸念はあったが、当時は入国ビザの要件が厳しく中国人観光客は桁違いに少なかったので、それほど大きな問題にならなかったのである。

 

 ところが、今回は様子がまったく違う。安倍政権の観光立国政策によって入国ビザの要件がここ数年の間に「戦略的」に緩和され、ごく普通の中国人観光客なら誰でも自由に訪日できるようになった。京都を訪れる外国人観光客の3割を中国人観光客が占めるようになり、中国人観光客が京都観光に対して与える影響は以前に比べて格段に大きくなったのである。このことは、日中両国の国際親善関係からすれば結構なことかもしれないが、それは両国の間で観光交流にともなう「ウインウイン関係=相互互恵関係」が成立していることが前提となる。観光交流が両国間の理解を深め、経済的にも社会文化的にも相互利益につながるような条件が満たされていることが、インバウンド観光の前提条件だからである。

 

 しかし、今回の新型コロナウイルス肺炎拡大中の訪日観光に関しては中国側に極めて問題が多い。毎日新聞(125日)によれば、感染者が集中する湖北省武漢市において、11217日に開かれた湖北省人民代表大会(議会)では新型肺炎対策は議題にすらならず、19日は武漢市内で4万余りの世帯が料理を持ち寄る伝統行事「万家宴」が通常通り開催されていた。さらには感染者が急拡大していた21日夜、医療現場では関係者が必死の対応に当たっているというのに、湖北省幹部は武漢市公会堂で各界の代表と春節の祝賀行事(歌舞団ステージ)を楽しんでいた。そればかりではない。武漢市が封鎖された23日午前、北京の人民大会堂では集氏ら国家指導部が勢揃いして歌や踊りを鑑賞していたというのである。

 

 このように国家や地方政府が然るべき新型肺炎対策を取らず、一部の地域だけを「封鎖」して中国全土の春節移動を放置し、海外旅行に対してもそれ相応の措置を講じないような状況の下では、そのしわ寄せは渡航先の各国に押し付けられざるを得ない。新型肺炎の潜伏期間が1週間以上とあれば、中国人観光客が日本に入国して京都観光を楽しんでいる間は発症しないことも考えられ、その間に国内各地でウイルスが撒き散らされる可能性もある。中国人観光客が去った後に、国内各地で新型コロナウイルス肺炎が発生することもあながち否定できないのである。

 

 これまで私は、京都観光の問題を主として「オーバツーリズム」(観光公害)の文脈で理解してきた。しかし今回の新型肺炎問題は、観光公害がある突然に〝観光災害〟に変異することを教えてくれた。観光問題を「日常問題」として捉えるばかりでなく、「非常時問題」として考えておかなければならないことを教えてくれたのである。(つづく)