京都市長選始まる、子育て問題と観光公害対策が2大争点に浮上、安倍内閣支持率下落と野党共闘の行方(15)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その192)

 

 京都市長選が始まった。人口150万人近い大都市でありながら、選挙期間は僅か2週間の短期決戦だ。3人の候補者が掲げた膨大な選挙公約も市民の関心に沿って急速に絞られていく。選挙告示日前後の各陣営の様子を伝える新聞報道を見ると、程度の差はあれ「子育て問題」と「観光公害対策」が2大争点として浮上している。両争点は、直ちに取り組まねばならない喫緊の課題であると同時に、京都の将来にかかわる中長期的な戦略課題でもあるからだ。子育て問題を解決しなければ人口減少を防ぐことはできないし、観光公害に適切に対処しなければ京都の「まち」が壊れてしまうからである。

 

 地元紙・京都新聞は、この点に関して目覚ましい働きをしてきた。約3年前の2017年4月から「暮らしと京都観光」というテーマで、非日常を楽しむ観光客と市民の日常の調和を考えるキャンペーン報道をスタートさせ、この間の記事は300本近くに達するという(京都新聞2020年1月19日)。門川候補が「観光公害」という言葉を避けながらも、「観光先進都市から観光課題解決先進都市へ変えていく」と言わざるを得なくなったのは、地元メディアの功績だろう。

 

 しかし、門川候補の上記の公約は論理的にも実際的にも矛盾に満ちている。本来の観光先進都市というのは、国連世界観光機関(UNWTO)がいうように〝持続可能な観光〟を追求している都市のことであり、京都が「観光先進都市」であれば、「解決課題=観光公害」など発生するはずがない。観光公害の発生を可能な限り防止し、その拡大を抑える観光政策を計画的に実践している都市が〝観光先進都市〟なのであり、「観光課題解決先進都市?」なんていう怪しげな造語は聞いたこともなければ見たこともないのである。世界中でそのような目標を掲げている観光都市が果たして存在するのか、世界中の観光都市のいったいどこか「観光課題解決先進都市」なのか、門川候補の公約は世界の観光都市に通用する観光政策コンセプト(考え方)なのか、門川候補は確かなエビデンス(証拠)を示してほしい。

 

 これは偶然でも何でもないが、私が寄稿している京都の月刊誌『ねっとわーく京都』においても、京都の観光政策のあり方が以前から大きなテーマになっていた。そこで京都新聞と同じ頃、2017年4月号から京都観光をテーマにした連載を始めることになり、第1回は「インバウンド旋風が吹き荒れている~このままでは京都は危ない~」とのタイトルでスタートした。この連載は約10年前から連載している拙稿コラム、『広原盛明の聞知見考』の第72回目に当たるが、それ以降2020年2月号「本物の観光都市、いわゆる観光都市、いま市民の選択が問われている」(第103回)に至るまで、系統的に京都の観光政策を取り上げてきた。

 

 京都新聞と拙稿の視点に少し違いがあるとすれば、同紙が身近な問題の発掘に重点を置いているのに対して、(1)拙稿は京都の観光政策と安倍政権の「観光立国政策」との関係に分析の重点を置いていること、つまり門川観光政策は京都独自の政策というよりも国の影響が強い点に注目していること。(2)観光政策と人口減少の因果関係に注目していることである。拙稿が京都市の中でも人口減少が最も深刻化している東山区に焦点を当ててきたのはそのためだ。東山区の現状は、京都市全体の先行現象でもある。「今日の東山は明日の京都」なのである。いか、私の趣旨を簡単に紹介しよう。

 

(1)東山区の観光客の増加は基本的にいいことだ。でも、受け入れ可能なキャパシティ(環境容量)を超えて増えすぎるのは困る。環境を損なわない「程よい量」の観光客を持続的に受け入れ、観光客のニーズと地元の人たちの生活を両立させることが地域の末永い繁栄につながる。これは、京都観光全体についても言えることで、東山区だけの問題ではない。

 

(2)しかし、現在の状況はもはや「観光ブーム」(実体のある観光需要の増大)を超えて「観光バブル」(投機絡みの仮需要の爆発)に転化しているのではないか。政府や京都市の掲げる数値目標(観光客数、観光消費額など)は、この際一儲けをしようとする「観光ビジネス」のために役立っても、それをそのまま受け入れることは歴史的に形成・蓄積されてきた京都の貴重な地域資源(自然、景観、文化、生活など)を損なう恐れがある。

 

(3)京都観光の魅力の根源は、京都という都市の「品格」の高さにあると思う。京都はどこかの都市のように「爆買い」に来る街ではないのである。高度成長時代には全国でも同じように開発の嵐が吹き荒れたが、京都は市民の努力によって辛うじて都市の品格が守られてきた。大阪が「壊しながらの開発」、神戸が「埋めながらの開発」、京都が「守りながらの開発」(木津川計、元立命館大学教授)といわれるのはそれゆえだ。

 

(4)京都という都市の品格は、京都市民のライフスタイル(暮らし方、生活文化)の反映であって、社寺や文化財が沢山あるから(だけ)ではない。だから、市民の生活が「観光バブル」のために脅かされ、市民が地元に住めなくなれば、社寺や文化財もやがては「遺跡=廃墟」になる。京都は清水寺と門前町の関係がそうであるように、両者が共存共栄することで、京都という都市の品格を長年にわたってともに支えてきたのである。

 

(5)東山山麓から鴨川にかけて広がる東山区は、京都の中でも最も「京都らしい」地域である。東山区は京都の品格と魅力が凝縮されている地域なのだ。東山区が廃(すた)れれば京都も廃(すた)れる。東山区の地元住民の生活を守り、観光客を程よく受け入れる(適度にコントロールする)ことは、京都全体の品格を維持することにつながると言える。

 

だが、門川市政によって引き起こされたオーバツーリズム(観光公害)の弊害は、東山区の激しい人口減少に直結している。京都市選挙管理委員会から発表された2020年1月18日現在の選挙人名簿登録者数(有権者数)は117万2521人、前回の市長選から1万9098人(1.7%)増えている。これは18歳以上の市民が有権者になったことの影響だが、唯一減少しているのが東山区だ。前回3万1653人の有権者が18歳以上を加えても3万50人に1603人減少(▼5.1%)しているのである。

 

ちなみに、東山区の合計特殊出生率(1人の女性が産む生涯平均子ども数)がどれほど低いかというと、厚生労働省の『平成20年~24年、人口動態保健所・市区町村別統計の概況』(2014年2月発表)によれば、全国1888市区町村の中で東山区の合計特殊出生率は「全国最下位=ワースト1位」の0.77であり、東山区は唯一0.7台を記録した全国切っての「子育て困難地域」なのである。人口を世代にわたって安定的に維持するためには、1人の女性が2.07人(以上)の子どもを産むことが必要であり、それを「人口置き換え水準」と云うが、東山区の合計特殊出生率0.77は僅かその3分の1程度の水準でしかない。1世代を30年サイクルとすると、このままでは世代が変るごとに(30年間で)人口の3分の1近くが減っていくのだから、事態は極めて深刻だと云わなければならないだろう。(つづく)