〝革命政党〟を掲げて野党共闘を追及する矛盾、日本共産党第8回中央委員会総会報告を読んで、共産党党首公選問題を考える(その16)、岸田内閣と野党共闘(57)

 日本共産党第8回中央委員会総会(8中総)が終わった翌日、6月26日の赤旗は1面トップで「革命政党として統一と団結固める」という特大見出しを掲げた。赤旗にはそれまで「政治をもとから変える」というフレーズがしばしば登場していたが、それが〝革命政党〟を意味する言葉とは必ずしも説明されていなかった。ところが、志位委員長は「結語」の中で、「自民党政治があらゆる面で行き詰まりに直接し、国民のなかに閉塞感が強まる中で、それにつけこむ形で『改革』を叫ぶ維新の会などへの幻想が広がる状況がある」として、「異常な対米従属・財界中心という日本政治の二つのゆがみを『もとから変える』――(革命政党としての)日本共産党の綱領的値打ちを太く押し出した論戦に取り組む」ことを強調したのである。

 

志位報告の感想を特集した赤旗の党活動欄(6月27日)には、冒頭に「政治対決の弁証法、革命政党は肝」との見出しが掲げられ、視聴者からの「報告の根幹は『日本共産党は革命政党であるという再認識』だったと思う。革命は強力な相手側の攻撃を避けては実現できない。支持者に語り、しっかりと共通理解していきたいと思う」(京都府在住)との感想が掲載された。ちなみに〝革命〟とは、「被支配階級が支配階級を倒して政治権力を握り、国家や社会の組織を根本的に変えること」(岩波国語辞典)である。

 

 このことと関連して、志位委員長は「いま支配勢力によって行われている党の組織のあり方――民主集中制、党指導部のあり方に対する批判・非難は、まごうことなき反共攻撃だ。反共攻撃を反共攻撃ととらえず、『やりすごそう』となれば、党はどんどん押し込まれることになる」と述べ、正面から攻勢的に打ち破る立場を確立してこそ躍進の道が開かれると強調した。また「委員長が長すぎるのが問題だ」との批判・攻撃については、「日本共産党そのものへの攻撃ととらえ、力を合わせて打ち破ろう」と訴えた(「結語」、赤旗6月26日)。

 

なぜいま、志位氏は殊更に日本共産党が〝革命政党〟であることを強調するのだろうか。その答えは志位委員長の幹部会報告の中にある(赤旗6月25日)。

 ――「なぜ共産党はこんなにバッシングされるのか」の問いに答えて。わが党がかくも攻撃されるのは、端的に言えば、日本共産党が革命政党であるからです。つまり現在の体制を大もとから変革する綱領を持ち、不屈に奮闘する党だからであります。古い体制にしがみつく勢力にとっては、もっとも恐ろしい、手ごわい相手だからこそ攻撃が起こっているのです(略)。日本共産党に対する攻撃は、わが党が革命政党であることの証であり、誇りをもって打ち破ろうではありませんか。

 

 ここには、最近とみに高まってきている共産党への批判を(すべて)支配勢力からの「反共攻撃」だと見なし、党の体質や活動スタイルに対する国民や有権者の批判を真摯に受け止めようとしない閉鎖的組織の特徴がよくあらわれている。またその原因をオープンに議論して究明することなく、共産党がただ〝革命政党〟だからというドグマ的理由で議論を封じようとする官僚的姿勢も目立つ。志位委員長をはじめとする党指導部への批判に対しても、指導部への批判は「日本共産党そのものへの攻撃」すなわち「反共攻撃」だという口実で、指導部の責任に一切言及しない高圧的態度も驚くほど際立っている。要するに、日本共産党が〝革命政党〟だと言えば、(党内では)誰も異議申し立てできないと踏んでいるのである。

 

 それからもう一つ、志位氏が今頃になって〝革命政党〟をもち出すのは、維新が「新しい政治改革」をキャッチコピーに支持を広げていることへの危機感があるからだろう。しかし、維新の「改革路線」を解明して批判することは自由だが、これを野党一般の「改革路線」そのものの否定に広げ、その代わりに「革命路線」を打ち出すとなると、そこには大きな問題が生じる。日本共産党が他の「改革政党」とは異なる本物の「改革政党=革命政党」であることを強調すればするほど、野党間のズレは大きくなり、野党共闘の可能性はますます小さくなっていくからである。

 

 共産党はかって社会民主主義政党を「改良主義=体制内野党」と見なし、自らは体制変革をめざす「前衛政党=革命政党」だと位置づけていた。1958年党規約は「日本共産党は、日本の労働者階級の前衛部隊であり、労働者階級のいろいろな組織のなかで最高の階級的組織である」、1994年党規約は「日本共産党は、日本の労働者階級の前衛政党であり、労働者階級のいろいろな組織のなかでもっとも先進的な組織である」と明記されていた。前衛政党とは一般的に「社会変革を目指す運動において、大衆を先頭で率いるべきとされる政治党派」(『政治学事典』弘文堂)だと理解されているので、共産党の規約が独善的として各政党から批判の的になったことは想像に難くない。第22回党大会(2000年11月)において党規約が改正され、共産党は「労働者階級の党」であり「国民の党」ということになったのはそのためだろう。

 

 しかし、党綱領から「前衛政党」が削除されても「自共対決」という政治方針は変わらなかった。自公与党と共産党との力関係が(象とアリのように)余りにも違い過ぎて「対決」には程遠いものだったが、政治的には自民政治に真正面から対決するのは共産党だという建前で、その他野党との共闘関係は重視されてこなかったのである。ただ、2016年参院選で安保法制廃止、立憲主義回復という大義で市民と野党の共闘体制が全国32の1人区でつくられたときから、「自共対決」は「自公対市民と野党共闘」に移行し、新しい政治対決の構図と野党連合政権への展望が生まれたかに思われた。しかしその後、立憲と共産が2017年衆院選で後退したことから各党の独自路線が強まり、共産は泉路線に見切りを付けて〝革命政党〟を掲げるまでになったのである。

 

 だが、共産が〝革命政党〟を持ち出して党内の引き締めを図っても、党外の国民や有権者が納得するとは到底思えない。志位委員長の続投を始め党の体質が変わらなければ「130%の党づくり」は成功しないだろうし、「赤く小さく固まる」だけだ。来年1月の第29回党大会での党勢報告がその全てを物語るものになるだろう。(つづく)