党勢の伸長と後退は、国民・有権者の〝大局的判断〟で決まる、支配勢力が全てを操作できるわけではない、志位委員長はこの危機を打開できるか(その2)、岸田内閣と野党共闘(62)

 8月2,3両日にわたって開かれた共産党の全国都道府県委員長会議は、志位委員長や小池書記局長の発言が報道されただけで、討論の詳しい内容はわからない。ただその中で、福岡県委員長の「特別発言」が志位委員長の「中間発言」の次に掲載された(赤旗8月4日、分量もほぼ匹敵)ことは、それがどれだけ党指導部に重視されていたかがわかるというものである。そこには、志位委員長らが望んで止まない党勢拡大運動の「先進事例」が体現されていて、県委員長の発言はそれに応えるものだった。県委員長が第1の教訓として挙げたのは、「党機関での徹底した政治討論」だった。その発言のキモを紹介しよう。

 ――福岡西部地区での政治討論の一番のポイントは、支配勢力が党の綱領・規約、さらに党幹部という、いわば党の心臓部に切り込んできているときに、これを党勢拡大ではね返すのだという断固たる提起を地区委員長がやったこと、まさに党づくりの実践に結びつけて政治討論をやったことにあります。(略)若き地区委員長なのですが、彼女の断固たる提起、わが党の心臓部への攻撃が行われているときに、それに対して130%の党づくりで応えていく、そのためには毎月8割の支部が入党者を迎えること、毎月37名の党員拡大が求められているのだ、みなさんよろしいですかと、鬼気迫る提起がされました...。

 

 地区委員長の提起は、「党勢後退は支配勢力の反共攻撃によるもの」「現在の反共攻撃の特徴は党の心臓部(綱領と規約、指導部)への攻撃であること」「攻撃に対する反撃は党勢拡大しかないこと」など、これまで志位委員長が繰り返し述べてきたことをそのまま伝えるもので、志位氏が強調する「革命政党の気概」を示すものであった。また、この断固たる提起があって地区での党員拡大の躍進が始まったことは、党指導部に「わが意を得たり」との感慨をもたらしたこともまちがいない。

 

 私は福岡の実情を知らないので、地区委員長の提起が妥当なものであったかどうかは判断できない。しかし先日、友人たちの間でこのことが話題になったとき、そこで出た意見は意外にも志位委員長らの期待を裏切るものだった。それは「鬼気迫る提起」と表現した県委員長の言葉が、老友たちの間に予期せぬ否定的な反響(反発)を巻き起こしたからである。彼らが「鬼気迫る提起」から受け取った印象は、いわく「これは戦場での決死隊や切り込み隊長の命令と同じだ」「いや、売り上げが上がらないブラック企業の吊し上げ大会の雰囲気に近い」「この発言を聞いて、おれは真っ先にビッグモーターのことを思い出した」などなど勝手放題なものだったが、そこにはここまでしないと進まない党勢拡大運動への鋭い批判が横たわっているというべきだろう。

 

戦中戦後の混乱期を命からがら潜り抜けてきた焼け跡世代にとって、「鬼気迫る提起(命令・詰問)」といった表現は、肌身を凍らせる響きとしか聞こえない。戦後の高度経済成長を第一線で担ってきた連中にとっても、この表現は「24時間死ぬまで働けますか」といった過労死を連想させるものでしかない。このような時代錯誤の表現は、反発や拒否感を招くことはあっても受け入れられることはまずない。こんな簡単なことがどうしてわからないのだろうか。

 

 まして、現代社会を生きている若者や市民にとって、こういった表現は「別世界」の言葉のように聞こえて、共感を得ることなどおよそ不可能だろう。党内でも仲間内の一部のメンバーには通じても、それが全党的な決意を促す「行動モデル」になるとはとても考えられない。それに高齢化が一段と加速している全国の各支部では、最近赤旗を読まない読者が増えている。〝熱中症警戒アラート〟が全国的に発令されているこの時期に、毎週「この土日 全支部が行動し、党勢拡大で党攻撃へ回答示そう」との大見出しを掲げる赤旗は、高齢者の外出を自粛させるどころか街頭に駆り立てることしか考えていない――と見られているためだ。

 

こんなところへ、若い地区委員長から「毎月8割の支部が入党者を迎えること、みなさんよろしいですか」などと詰問されたら、それが「革命政党の気概」だと言われても、大半の党員は多分その場からいなくなってしまうに違いない。また、二度とそんな場には出たくないと思うだろう。「わしらを殺すんか!」と高齢者に言われても仕方がないような党勢拡大運動はもはや限界にきているのであり、「鬼気迫る提起」をしても通じなくなっているのである。

 

第28回党大会以降の「130%の党づくり」を目指す党勢拡大運動は、連日連夜の厳しい締め付けにもかかわらず逆に後退に後退を続け、その傾向は現在に至るも変わっていない。このまま事態が推移すれば、志位委員長をはじめ党指導部の責任は免れず、半年後に迫った第29回党大会では厳しい批判が起こる情勢が必至となっている。こんな事態を避けるためには、少しでも党勢後退の勢いを弱め、その原因は支配勢力による〝反共攻撃〟によるもので、党指導部の所為ではないとの主張を浸透させなければならない――などと誰かが考えてもおかしくない。それが「党勢後退は支配勢力の反共攻撃によるもの」「現在の反共攻撃の特徴は党の心臓部(綱領と規約、指導部)への攻撃であること」「攻撃に対する反撃は党勢拡大しかないこと」という〝政治対決の弁証法〟の展開になったのである。

 

弁証法とは物の考え方の一つの型であり、「物の対立・矛盾を通してその統一により一層高い境地に進むという、運動・発展の姿において考える見方」(岩波国語辞典)とされる。志位委員長は、これを自分流に解釈して〝政治対決の弁証法〟といった新語をつくり出し、支配勢力の反共攻撃が強くなるほど党は鍛えられ、それを上回る政治勢力に成長する。だから「革命政党の気概」をもって党勢拡大運動を推進し、その目標を達成しなければならないと主張する。だが、ここでいう「支配勢力を上回る政治勢力」とは、共産党が独自で自公勢力を上回る党組織になることではないだろう。共産党の主張や政策が広く国民・有権者の支持を得ることで、他の野党と連携して国政や地方政治で多数派を形成し、政策実現の道筋をつけることが本来のその意味である。つまり、共産党が掲げる主張や政策に対して広く国民・有権者の支持や共感を獲得することが目的であって、党勢拡大はその手段にすぎない。

 

ところが、現在の党勢拡大運動はそうなっていない。党勢拡大そのものが自己目的化し、とにもかくも党員と赤旗読者をどれだけ増やすか(どれだけ減らさないか)ということだけが追求されている。加えて、国民・有権者からの共産党に対する常識的な批判までを「支配勢力の反共攻撃」と見なし、さらに志位委員長に対する批判を「党の心臓部に対する攻撃」と拡大解釈して、これに反撃するのが「革命政党」の役割であり、党勢拡大運動だというところまでエスカレートしてきているのである。

 

共産党が非合法だった時代ならともかく、現在は日本国憲法のもとで政党結社の自由が求められ、多様な政治信条を掲げる政党が国政レベルでも地方レベルでも活躍している時代である。どの政党が伸長するかは一も二にも国民・有権者の支持にかかっているのであり、支配勢力が操作できるものではない。国民・有権者を支配勢力に操作される対象だと見なすことは、国民・有権者の愚民視につながる。社会からの批判を〝支配勢力の反共攻撃〟と見なすことは、国民・有権者が支配勢力によって操作されていることを前提としている。こんな見方しかできない政党が、いまだ存在することに驚くほかないが、今後の事態の展開が容赦ない結果をもたらすだろう。次回党大会(2024年1月)までに共産党の党勢がどう推移するか、またそれほど遠くない時期に実施される総選挙で共産党がどれほどの得票を確保できるか、歴史の審判は刻々と迫っている。(つづく)