少子高齢化・人口減少が一段と加速し、新聞購読数が激減している中で、〝党勢拡大〟を追求する矛盾、「成長型モデル」から「持続可能型モデル」への転換が必要、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その4)、岸田内閣と野党共闘(69)

 かねがね思うことだが、共産党は政治の動きには素早い反応を示すが、社会の動向や時代の流れに関しては恐ろしいほど鈍感だ。目下、党の命運がかかっているとして連日ハッパをかけている〝党勢拡大大運動〟にしても、その視野は党周辺の狭い「拡大対象者」に限られていて、日本全体が直面している少子高齢化や人口減少の動きにはほとんど目を向けていない。少子高齢化の急速な進行が党勢拡大にいったいどれほど大きな(否定的)影響を与えているのか、これまで通り党勢拡大を続けていっても果たして成果が得られるのか、党勢拡大運動が若者層に忌避されてブレーキになっていないのか、などなど――、誰もが抱く疑問や問題意識が(党勢拡大一本やりの)赤旗の紙面からはいっこうに伝わってこないのである。

 

 日本人口の少子高齢化と減少はいま、世界でも類を見ないほどの規模と速さで進行している。とりわけ共産党が「世代的継承」の不可欠な拡大対象としている若者層の動向を「18歳人口」の推移で見ると、第2次ベビーブーマー(団塊ジュニア世代)が18歳になった1992年に205万人のピークに達して以来、その後は30年間にわたって直線的に減少し、2021年には114万人に半減している(総理府統計局)。さらに、国立社会保障・人口問題研究所(社人研)が今年4月26日、2020年国調に基づき公表した「日本の将来人口(2023年推計)」によると、日本の総人口は50年後には現在の7割に減少し、2022年に80万人を下回った出生数は、2043年に70万人割れ、2052年に60万人割れと減少を続け、2070年には50万人に落ち込むとされている。つまり、2022年に生まれた子どもが18歳になる2040年には、現在の114万人がさらに80万人(7割)に減少するのである。

 

共産党の党勢の推移をたどると、1960年代と70年代は大衆的前衛党の建設が進んだ「躍進」の時代であり、党員数は60年代初頭の8万8千人、70年代初頭の28万人、80年代初頭の48万人(ピーク)と急増した。しかし、80年代は現勢を維持したものの、90年代に入ると「停滞」が目立つようになり、それ以降は2000年初頭に40万人割れ、2010年初頭に35万人割れ、2020年初頭に30万人割れと「後退」一途に転じている。これまでの党史によれば、党勢は偏(ひとえ)に〝政治対決の弁証法〟に規定される政治現象であって、党勢の消長はすべて党活動の結果を反映するものとされてきた。言い換えれば、党活動の奮闘如何によって党勢が決まる(決められる)との判断の下で、政治闘争に打ち勝つためには党勢を拡大しなければならないとする原則が生まれ、党勢拡大運動が常態化することになったのである。

 

しかしこのような党勢拡大を基調とする「成長型モデル」は、人口増加時代には通用したとしても、人口減少時代にそのまま適用できるとは(とても)考えられない。とりわけ人口が激減すると予想される今後の状況下では、やみくもな党勢拡大運動は却って高齢党員の疲弊や中堅党員の離反を招き、逆効果になることすら予想される(すでにその兆候は濃厚にあらわれている)。大局的にみれば、これまでもっぱら党活動の成果と見なされてきた党勢拡大も、その動きは基本的に日本人口の動向に規定されているのであって、それを無視した(時代の流れに逆らう)方針は持続性を持ち得ないのである。

 

それでは、日本人口は如何なる様相を示しているのだろうか。1960年代から70年代にかけての人口推移を見ると、60年代前半から70年代後半までは毎年100万人を超える人口増加が恒常的に続き、年少人口(0~14歳)比率は総人口の20数%を維持し、老年人口(65歳以上)比率は10%未満にとどまるという「人口ボーナス期」(生産年齢人口が従属人口をはるかに上回る状態、社会保障負担が少なく経済振興資源が豊富)が続いていた。その後、80年代から90年代にかけて人口増加数が50万人を割るようになると、年少人口比率は20%を割って10%台に落ち込み、老年人口比率が10%を超えて20%近くに急増するなど、「人口オーナス(重荷)期」(生産年齢人口と従属人口の差が縮小し、社会保障負担が急増して財政硬直化が進む)の兆候があらわれるようになった。そして2000年代にはもはや人口増加の勢いはまったく影をひそめ、2010年代からは本格的(不可逆的な)人口減少が始まったのである。

 

これを共産党の党員数の推移と重ね合わせると、60年代と70年代の「躍進期」は「人口ボーナス期」に相当し、90年代からの「停滞期」は「人口オーナス期」とほぼ重なり、2000年代からの「後退期」は日本人口の減少と軌を一にするようになったと言える。党指導部が「政治方針は正しいからやれる!」「自民党の悪政下で党勢拡大の条件は広がっている!」「やる気を起こせば党勢拡大は可能だ、やらなければならない!」といくら叱咤激励しても党員数の減少が止まらないのは、この〝地殻変動〟ともいうべき人口減少の動きに対して党勢拡大運動が到底抗しきれないからである。

 

 また、党員数の減少とともに赤旗読者数も大きく減少している。赤旗読者数が党員減少をはるかに上回る速度で減少しているのは、新聞業界が現在直面している急激な部数減少傾向と大きく関係している。IT革命や所得低下の影響で一般紙を購読しなくなった世帯が、赤旗だけを特別扱いして購読するとはあまり考えられないからである。「日刊紙」はともかく「日曜版」が廉価ということで爆発的に増加した時期がかってあったが、現在の高齢世帯や低所得世帯ではそれとても難しくなっている。それが、現実なのである。

 

日本新聞協会資料による年間発行部数の推移は、1960年2440万部、70年3630万部、80年4640万部、90年5190万部と30年間で2倍以上の成長を遂げ、1997年の5376万部がピークだった。その後2000年代初頭までは5300万部台を維持したが、2000年代半ばから減少傾向があらわになり、2010年に5000万部割れ(4932万部)、2018年に4000万部割れ(3990万部)、2023年に3000万部割れ寸前(3085万部)となって減少が止まらなくなった。1960年から2000年までの40年間で2900万部(年平均73万部)増加したが、それ以降の23年間は2300万部(年平均100万部)近い減少となり、今後はますます減少傾向が加速するのではないかと懸念されている。

 

21世紀に入ってから僅か四半世紀足らずの間に新聞発行部数が半分近くにまで激減した背景には、IT革命による若年世帯の急激な「新聞離れ」に加えて、高齢単身世帯の急増にともなう「非購読世帯」の広がりが大きく影響している。その結果、これまで世帯ごとに購読していた新聞数が大きく減り、1世帯当たりの部数は21世紀に入って1部を割り、2022年には0.53部(半数近く)にまで落ち込んでいる。実に全世帯の半分が「非購読世帯」となり、拙宅の周辺でも若い人たちの家庭では(全部と言っていいほど)新聞を購読していない。

 

赤旗読者数の推移を党員数と同じく追ってみると、60年代初頭の10万人からスタートして、70年代初頭に180万人、80年代初頭に355万人と「躍進期」には飛躍的な増加を記録している。この数字は、日刊紙だけではなく日曜版も含んでいるので一般紙との正確な比較はできないが、当時は一般紙だけでなく赤旗も急成長していたことは間違いない。80年代冒頭の第15回党大会において不破書記局長は、「第14回大会決定は『百万の党』の建設を展望しつつ、当面『五十万の党、四百万の読者』の実現という課題を提起した」「80年代には、わが党が戦後、党の再建以来目標としてきた『百万の党』の建設を必ずやりとげなければなりません」「『百万の党』とは決して手の届かない、遠い目標ではありません。日本の人口は1億1千万、『百万の党』といえば、人口比で1%弱の党員であります。私たちは、大都市はもちろん遅れたといわれる農村でも、少なくとも人口の1%を超える党組織をもち、こうして全国に『百万の党』をつくりあげることは、必ずできる目標だということに深い確信をもつわけであります」と豪語していたのである。

 

しかしこの頃が党勢の絶頂期で、80年代は300万人台の赤旗読者を維持したものの、90年代に入ると300万人を割り、2000年代には200万人割れ、2010年代には150万人割れ、2020年代には100万人割れと雪崩(ながれ)のように「後退」傾向が止まらなくなった。一般紙の発行部数のピークは1990年代後半だったが、赤旗読者数はそれよりも10数年も早く頭打ちとなり、ピーク時からの減り方も一般紙の4割(▲42%)に比べて7割(▲72%)と倍近く大きい。おそらくその背景には、一般的な「新聞離れ」の傾向に加えて「政党離れ」が働いているのではないか――、というのが私の推測である。時代の変化につれて、「国民政党」だといいながら党勢拡大を連呼する赤旗への違和感が大きくなり、共産党の権威主義的体質への忌避感も相まって赤旗読者数が激減しているのであろう。

 

党勢拡大運動一本やりの「成長型モデル」の時代は終わった。少子高齢化が加速し、人口が不可逆的に激減していく時代においては、それに柔軟に対応できる「持続可能型モデル」への転換が求められる。次回はその内容について書くことにしよう。(つづく)