安倍内閣支持率下落と野党共闘の行方(1)、支持率下落は一時的現象か、本格的下落のはじまりか、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その178)

 

 安倍首相主催の「桜を見る会」や「前夜祭」をめぐって俄かに政治情勢が流動化してきた。安倍首相自身の狼狽ぶりが尋常でないことは、ぶら下がり記者会見に(自ら進んで)何度も応じていることでもわかる。それもエビダンス(証拠)を一切示すことなく「問題はなかった」と弁明するのだから、聞いている方がしらけるのも無理はない。

 

 一方、真相究明のための国会審議の方は「国対が決めること」として逃げまわり、自ら進んで説明責任を果たそうとしない。任命した閣僚の辞任(更迭)に際しても本人が説明責任を果たすべきとして、首相自身は任命権者の責任を一切語らなかった。辞任した閣僚の方は予定通りその後ダンマリを続いているので、これでは何が問題で閣僚が相次いで辞任(更迭)したかが全て闇の中だ。

 

 こんなことは世論が絶対に許さないだろう...と思って、その後の世論調査の結果を注視していたところ、最初に出た11月12日発表の時事通信社(11月8~11日実施)の結果を見て心底驚いた。安倍内閣の支持率が2閣僚の辞任や大学入試への英語民間試験の導入見送りなど政権の不手際が相次いだにもかかわらず、前月比4.3ポイント増の48.5%、不支持率は同3.6ポイント減の29.4%となり、支持率が上昇していたのである(マジか!)。この結果は時事通信の方も意外だったのか、「一方、政府は13日に首相主催の『桜を見る会』を来年度は中止することを決定したが、調査期間とは重なっていない」とわざわざ注釈を付けている。

 

 全国紙など大手メディアが一般的に採用している世論調査は、「RDD方式」(ランダム・デジット・ダイヤリング)といわれるもので、乱数表に基づいて無作為に電話番号をつくり、固定電話と携帯電話に電話をかけ、18歳以上の有権者に質問して回答を得るというものだ。これに対して時事通信社の世論調査は、全国18歳以上の有権者に個別面接方式で調査するので回収率も高く、調査精度も高いとされている。今回も、調査は台風19号の影響を受けた一部地域を除く全国18歳以上の男女1986人を対象に個別面接方式で実施され、有効回収率は62.5%だった。 

 

 閣僚が1週間のうちに不祥事で相次いで辞任するという深刻な事態にもかかわらず、内閣支持率が逆に上がるといった現象はとうてい信じ難いが、結果がそうなのだから現実として受け止めるしかない。「国民がバカだから」などと言ってしまえば思考(分析)はそこで完全停止するから、原因を探るしか次に進む道はないのである。

 

 もっとも安倍首相の方はこの結果を逸早く知らされていて、胸をなでおろしていたのではないか。13日に首相が来年度の「桜を見る会」を中止すると急きょ発表したのは、時事通信社の世論調査をみて「大したことはない」と判断したからだろう。問題の「桜を見る会」を中止して幕引きすれば、国民はすぐに忘れると(この時点では)多寡を括っていたのである。事実、政党支持率の方は、自民が前月比2.6ポイント増の30.1%で断トツ1位を維持し、それに比べて立民は同2.7ポイント減の3.1%で公明3.7%を下回る始末、その他野党はいずれも2%以下で見る影もない。「支持政党なし」の無党派層が55.5%を占める状況が動かなければ(俗に言う「山が動く」状態)、安倍政権はこれからも〝安泰〟と踏んでいたのである。

 

 ところがその後、これまで50%台の高支持率(質問の仕方で各紙の数字は変わる)を維持してきた読売新聞と産経新聞の世論調査に少し異変があらわれた。前回と比較すると、読売(15~17日実施)は「支持する」が55%から49%へ6ポイント減、「支持しない」が34%から36%へ2ポイント増、産経(16、17日実施)は「支持する」が51.7%から45.1%へ6.6ポイント減、「支持しない」が33.0%から37.7%へ4.7ポイント増となり、時事通信とは逆の結果が出たのである。支持率40%台の朝日新聞(16、17日実施)も「支持する」が45%から44%へ1ポイント減、「支持しない」が32%から36%へ4ポイント増となった。首相が来年度の「桜を見る会」中止を決定してから、程度の差はあれ支持率が下落し、不支持率が上昇したのである。

 

 問題は、これが「本格的な下落のはじまり」と言えるかどうかだ。この点に関しては、今月20日で首相在職日数(通算)が歴代最長となる安倍首相の政権運営の実績に関する総合評価が判断材料になる。質問の仕方は違うが、3紙とも同趣旨の質問をしているので比べてみよう。回答の選択肢は、「大いに評価する」「ある程度(多少は)評価する」「あまり評価しない」「全く評価しない」の4択である。

 

 「肯定的評価」(大いに+ある程度)と「否定的評価」(あまり+全く)の比率を比べてみると、読売65%対33%、産経63.0%対34.9%、朝日62%対36%と驚くほど共通している。つまり、国民(有権者)の安倍長期政権の実績に対する一般的評価は2対1の割合で肯定側に傾いていて、それが支持率の一時的下落をカバーする政治的土壌(回復ポテンシャル)になっているのであろう。しかしこれから先は、各紙の政治姿勢を反映する質問が並ぶ。

 

 産経は、個々の政策について「評価する」「評価しない」を問い、(1)景気・経済対策33.0%対50.8%、(2)社会保障政策26.5%対53.1%、(3)外交・安全保障政策50.3%対33.7%との結果を示しているが、それ以上踏み込んだ質問はしていない。また、首相主催の「桜を見る会」については渦中の問題であるにもかかわらず責任を問うのではなく、「来年度の開催中止を決めた政府判断の評価」にすり替えている。つまり、首相責任につながる質問は一切避け、否定側に傾いている個々の政策評価の原因や背景を深堀することなく、歴代最長の首相在職期間に対する全体的評価を以て、安倍政権の政策評価に換えるという世論操作の意図が透けて見えるのだ。

 

読売は、安倍内閣の経済政策・アベノミクスに対する評価は一応聞いているが(経済がよくなったと実感22%、実感していない71%)、それ以外は個々の政策評価の是非を問うことを避け、「安倍内閣の政策で評価できると思うものをいくつでも選んでください」という形式で政策評価の相対化を図っている。結果は、経済政策19%、財政政策9%、高齢者向け社会保障16%、子育て支援や教育の無償化44%、外交や安全保障32%、働き方改革23%、憲法改正14%、その他・とくにない16%という漠然としたものだ(これでは政策評価に関する質問とはとうてい言えない)。また、「桜を見る会」や民間英語試験の導入問題に関しても、産経と同様に責任の所在を問うのではなく、「来年度の開催中止」「大学入試導入見送り」の政府対応が適切であったかとの評価を求めている。いずれも「もう問題は終わった」としてチャラにしようとする露骨な魂胆が表れていて、見苦しいことこの上ない。

 

 一方、朝日は安倍長期政権の実績、「桜を見る会」や民間英語試験に関する責任問題にまともに踏み込んでいる。「長期政権にふさわしい実績を上げているか」(上げている41%、上げていない44%)、「国の税金が使われている『桜を見る会』に多くの安倍支援者が招かれていたことは」(大きな問題だ55%、それほどでもない39%)、「安倍首相の『招待者の取りまとめなどに関与していない』との説明は」(納得できる23%、納得できない68%)、「英語の民間試験活用に」(賛成35%、反対49%)などである。

 

 しかし、問題の本格的な展開はこれからだろう。いくら読売・産経が「済んだこと」にして問題をチャラにしようとしても、新しい事実が次から次へと出て来るのだからとても幕引きなどはできない。今後もまた、引き続き各社の世論調査が行われるだろうから、その時の結果が現状からどのように変化するのかが注目される。

 

加えて、今月24日に行われる高知県知事選挙の結果も大きな影響を与えるだろう。共産系候補を野党統一候補にして戦われている県知事選挙は今までにも例がないだけに、関心は著しく高い。野党各党党首はともかく野田・岡田両氏までが応援に駆け付けていると言うのだから、前代未聞だと言っていいぐらいの政治現象がそこに展開している。乞うご期待である。(つづく)

第28回共産党大会決議案を読んで思うこと(その2)、前衛党意識の下で設定される選挙目標の現実性や如何に、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その177)

 「850万票、15%以上」という総選挙得票目標は、2015年1月の第3回中央委員会で初めて打ち出された壮大な目標だ。前年2014年12月衆院選で606万票、11.4%の成果を挙げたことで自信をつけ、これまでの「650万票、10%以上」の目標を一挙に3割増に設定したのである。実際の得票数606万票は、第26回党大会(2014年1月)で決定した「650万票、10%以上」に対して1割弱足りないが、「基本的に」達成されたということで次の新たな目標が設定されたのだろう。

 

 これほどの強気の目標設定の背景には、前回でも指摘したように本格的な「自共対決時代」が到来したという時代認識があったと思われる。志位委員長は幹部会報告として次のように述べている。

「今回の総選挙が日本の政治の新しい段階――本格的な『自共対決』の時代の到来を告げるものとなったということであります。どういう意味で『本格的』といえるのか。それは、この選挙で唯一躍進したのが日本共産党だけだったという事実だけによるものではありません。いま、内政においても、外交においても、自民党政治に代わる新しい日本の進路を示している政党は、日本共産党以外には一つもありません。政治を変えようと思ったら日本共産党しかない。そういう政治情勢の大きな変化が、目に見える形で起こっていることを強調したいのであります」

 

報告の中で強調されている「自民党政治に代わる新しい日本の進路を示している政党は、日本共産党以外には一つもありません。政治を変えようと思ったら日本共産党しかない」という(唯我独尊的な)認識は、第22回党大会(2000年11月)の規約改正で削除された〝前衛政党〟の面影を彷彿とさせる。事実、それまでの党規約では、「日本共産党は日本の労働者階級の前衛政党であり、はたらく人びと、人民のいろいろな組織のなかでもっとも先進的な組織である。また、日本の労働者階級の歴史的使命の達成をみちびくことをみずからの責務として自覚している組織である」、「党は革命の事業を成功させる保障である党を量、質ともに拡大強化し、大衆的前衛党の建設と統一戦線の結集、発展のために奮闘する。とくに未来の担い手である青年の役割を重視し、青年・学生のあいだでの活動をつよめる」と記されていた。こうした自信と自負が、本格的な「自共対決時代」の到来という時代認識となり、自民政治と対決する共産党に支持票が集まるとの展望(期待)を抱かせたのだろう。

 

確かに、2014年衆院選は波乱の総選挙だった。「第3極」と称された中間政党が大きく後退したことで政治構図に一大変化が生じたのである。2014年総選挙は、政治に失望した有権者が大量棄権して投票率(59.3%→52.7%)が史上最低となり、投票総数が6018万票から5323万票へ695万票も減少したことをまず押さえておかなくてはならない。その上で2012年衆院選と2014年衆院選の政党別比例代表得票数を比較すると、みんなの党がなくなり(524万票→ゼロ)、日本維新の会(1226万票→838万票)と自由党(342万票→102万票)が大きく票を減らしたことが特筆される。

 

しかし、自民(1662万票→1766万票)、公明(712万票→731万票)、民主(963万票→978万票)は票を減らさず(得票率は増加)、共産党(369万票→606万票)は行き場を失った票の一部の「受け皿」になっただけにすぎない。いわば、政治構図の一時的な流動状態が生じただけで、これを「自共対決時代」の本格的な到来だと規定するのは、いささか無理があったというべきだ(大きな勘違いだった)。

 

現実は厳しく、結果はすぐに明らかになった。2014年衆院選と2017年衆院選を比較すると、自民(1766万票→2011万票)、公明(731万票→698万票)、立憲(旧民主978万票→1108万票)との得票数の推移にもみられるように、自民と立憲が得票数を伸ばしているのに対して、共産(606万票→440万票)は「自共対決時代」以前の状態に戻ったのである。だが、「850万票、15%以上」という目標設定を変更することはなかった。民主連合政府を樹立するためには、共産党が中軸にならなければならないと前衛党意識の残像がそうさせるのであろう。

 

政治変革を目指す政党が政治課題の旗を高く掲げるのは当然のことだ。また、それを実現するためには、それ相応の政治勢力でなければならない。それが「850万票、15%以上」という得票目標になるのであろうが、「440万票、8%」という現在の実力からすれば、倍近い目標はいっこうに現実感が湧かない。4メートルしか跳べない程度の選手に、8メートルの課題を与えても結果は目に見えている。疲労骨折するか、挫折するかのどちらかに終わるだけだ。

 

第28回党大会議案として承認された党綱領(一部改定案)には、「四、民主主義革命と民主連合政府」のなかに次のような一節がある(赤旗2019年11月9日)。

「日本共産党は、(民主主義的な変革すなわち)国民的な共同と団結をめざすこの運動で、先頭に立って推進する役割を果たさなければならない。日本共産党が高い政治的、理論的な力量と、労働者をはじめ国民諸階層と深く結びついた強大な組織力をもって発展することは、統一戦線の発展のための決定的な条件となる」

 

その意気たるや壮とすべくも、文中の「先頭に立つ」「高い政治的、理論的力量」「強大な組織力」といったキーワードは、一昔前の前衛党時代そのものだ。これを高齢者中心の党員28万人、赤旗読者100万人(割れ)で実現できるとは誰も考えていないだろうし、この事情はまた党創立100周年(2022年7月)に党勢が「第28回党大会比130%の党(党員36万人、赤旗読者130万人)」になっても勿論変わることがない。

 

現在の政治情勢は、共産党が「先頭」に立って世の中を変革するというよりは、国民世論の成熟に貢献する(寄り添う)と言った方が現実に合っているのではないか。また、民主義的変革のためには「高い理論」「強大な組織力」が決定的条件だというよりは、国民世論の形成に影響を与えるような柔軟で創造的な「思考力」が必要なのではないか。そのためには、時代錯誤の「民主集中制」といった党運営形態が抜本的に改革され、開かれた党組織に生まれ変わることが求められるだろう。自由な討論を通して多様な考え方が生まれないような組織では、「とくに未来の担い手である青年の役割を重視し、青年・学生のあいだでの活動をつよめる」ことは到底不可能だからである。(つづく)

第28回共産党大会決議案を読んで思うこと、選挙目標と党勢のギャップが大会ごとに広がっていく、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その176)

 

前回のブログからもう1カ月半もの時間が経過した。この間、別に怠けていたわけではないが、書くために必要な材料がなかなか見つからなかったのである。確かに、政治情勢は激動している。「適材適所」で組閣したはずの第3次安倍内閣の中から、閣僚2人が相次いで辞めるという不祥事が発生したこと。文科相に任命された安倍首相の最側近・荻生田氏が大学入試への英語民間試験の導入に絡んで不適切発言を連発し、いまや「身の丈閣僚」と言われるまでに追い詰められていること。英語民間試験導入のキーパーソンである下村元文科相の利権疑惑が浮上していることなど、例を挙げれば切りがない。

 

注目されるのは、今後の世論調査の行方だろう。安倍内閣の場合、たとえ不祥事が発生して内閣支持率が低下しても、しばらく経つとまた元に戻るという動きがこれまで繰り返されてきた。今回はまだ世論調査が行われていないが、どんな結果が出るか興味津々というところだ。支持率が下がるのか下がらないのか、下がるとすればどれほど下がるのか、また元に戻るのか戻らないのか...などなど興味は尽きない。

 

一方、野党共闘がどれだけ進んでいるかについては、まだ断片的な情報しか入ってこない。政権側の不祥事が続いていることもあって国会審議では野党間の連携が見られるが、次の総選挙に向かっての共闘体制はまだ端緒についたばかりだ。11月7日に告知された高知県知事選では共産系候補が野党統一候補になり、各党党首は11月6日、都内で会談して選挙協力を申し合わせたという(各紙、11月8日)。この先、野党共闘がどのような展開をたどるかについては不確定要素が多いものの、高知県知事選の結果次第ではかなりの影響を与えることは間違いないだろう。

 

与野党ともに政治情勢が流動する中で、第28回共産党大会(2020年1月)に向けての8回中央委員会が2019年11月5、6両日に開催され、大会議案が11月7日の赤旗に掲載された。内容が膨大なので全体を理解することは容易でないが、ここでは選挙目標と党勢拡大の分野に限って感じたことを記してみたい。といっても、第28回党大会の議案だけでは不十分なので、第26回大会決議(2014年1月)、第27回大会決議(2017年1月)と比較して考えてみることにする。

 

第26回大会決議は、「自共対決時代の本格的な始まり」という冒頭のスローガンで特徴づけられた威勢のいい決議である。「2013年7月の参議院選挙では自公政権が参院でも多数を握る一方、野党のなかで日本共産党がただ一つ躍進を果たした。日本共産党の躍進は1961年に綱領路線を確立して以来、1960年代終わりから70年代にかけての“第1の躍進”、90年代後半の“第2の躍進”に続く、“第3の躍進”の始まりという歴史的意義をもつものとなった。日本の情勢は『自共対決』時代の本格的な始まりというべき新たな時期を迎えている」とある。

 

 「自共対決時代の本格的な始まり」というのだから、この段階では「野党共闘」といった言葉は一言も出てこない。他の野党はお呼びでないということだろう。また「時代」という言葉は、政治的にも社会的にも一定の特徴ある性格を付与された年月が長期的に継続している状態を指すのだから、当時は共産党が中核となって政治革新を推進する新しい状況が生まれ、このような政治構図がこれからも長く続くと考えていたのであろう。

 

「この間の総選挙と参院選を通じてつくりだされた『自共対決』の政治構図には、これまでにない新しい特徴がある。自民党と共産党との間の自民党批判票の『受け皿政党』が消滅した。『二大政党づくり』の動きが破たんし、『第三極』の動きがすたれつつあるもとで日本共産党は自民党への批判を託せる唯一の党となっている」との自信溢れる情勢分析がそのことを表している。

 

総選挙の得票目標は、「21世紀の早い時期に民主連合政府を樹立する」との展望のもとに、(1)どの都道府県、自治体・行政区でも「10%以上の得票率」を獲得できる党へと接近すること、(2)次期総選挙および参院選では、比例代表選挙で「650万票、得票率10%以上」を目標にたたかうことが提起された。党勢拡大の目標については、2010年代に「成長・発展目標」を実現するために、50万の党員(有権者比0・5%)、50万の日刊紙読者(同)、200万の日曜版読者(2・0%)、すなわち現在の党勢の倍加に挑戦することが提起された。ちなみに、2014年時点の党勢は党員30・5万人、日刊紙と日曜版を合わせた赤旗読者数は124万人である。

 

ところが、「自共対決時代」到来の下で躍進するはずだった2016年参院選の比例代表得票数は601万票、得票率10.7%にとどまり、2014年衆院選606万票、11.4%とほとんど変わらなかった。また「民主連合政府をつくる」ために提起された「2010年代に50万の党員、50万の日刊紙読者、200万の日曜版読者」という党勢倍加目標は、3年後の第27回大会では逆に後退して党員は30万人で足踏み、赤旗読者数は124万人から113万人に減少した。「自共対決時代の本格的な始まり」という情勢分析が誤りであり、時代錯誤だったことが判明したのである。

 

 第27回大会決議は、そのこともあってか「安倍自公政権とその補完勢力に、野党と市民の共闘が対決する日本の政治の新しい時代が始まった」と、時代認識を一転させた。僅か3年で時代認識が「自共対決時代」から「野党・市民共闘時代」に一変し、政権構想も共産中心の「民主連合政府」から「野党連合政権」に移行したのである。しかし、時代の流れは3年程度の期間でそう大きく変わるものではない。時代が変わったのではなく、時代を見る目が間違っていたのであり、情勢分析が的外れだったのである。

 

一方、総選挙の得票目標は、党勢が後退しているにもかかわらず「新しい統一戦線である野党・市民共闘を前進させ、野党連合政権をつくる」ために、比例代表選挙で「850万票、得票率15%以上」にバージョンアップされた。また、「2010年代に50万の党員、50万の日刊紙読者、200万の日曜版読者」という党勢倍増目標も取り下げられることはなかった。情勢分析の誤りを認めないために党勢拡大目標を変更する理由が見つからず、ただ叱咤激励を繰り返すという慣行がここでもみられる。尤も野党・市民共闘の旗を掲げれば、得票数を伸ばすことができ、党勢の停滞(後退)を回復できるとの期待と思惑があったのかもしれない。

 

だが「野党・市民共闘の時代」になっても、比例代表得票数は伸びず、それとは逆に2017年衆院選440万票、7.9%、2019年参院選448万票、8.9%と激減した。3年で豹変した時代認識に党員や支持者が付いていけなかったのかもしれない。党勢も2017年衆院選(2017年10月)から2年足らずで党員7300人減、日刊紙1万5千人減、日曜版7万7千人減となった(全国都道府県委員長会議、赤旗2019年7月30日)。年間ベースにすれば、党員約4200人減、赤旗読者約5万3千人減となる。その結果、第28回大会時点での党勢は党員28万人、赤旗読者100万人(割れ)となった。それでも「850万票、得票率15%以上」という選挙目標は維持され、第28回党大会議案では、党創立100周年(2022年7月)までに「第28回党大会比130%の党(党員36万人、赤旗読者130万人)をつくる」ことが提起された。

 

党勢は、この6年間で党員30.5万人から28万人へ、赤旗読者124万人から100万人(割れ)に後退した。党勢拡大目標も「2010年代に50万の党員、250万の赤旗読者」から「2022年に党員36万人、赤旗読者130万人」に後退(縮小)した。以上が得票数と党勢からみた2010年代の傾向であるが、「850万票、得票率15%以上」という選挙目標は堅持されている。なぜこれほどまでに背伸びするのか、なぜ「身丈にあった目標」を掲げないのか―、疑問は尽きないが、次回でその原因と背景を考えてみたい。(つづく)

党勢拡大は割り算でも掛け算でもない、生身の人間を動かすことは大変なことなのだ、京都で2019年参院選の結果を巡る討論会があった(10)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その175)

 総会決議は「最大の弱点は党の自力の問題」と規定し、2019年参院選敗北の原因を党勢の後退に求めている。「わが党は、市民と野党の共闘と日本共産党の躍進という二つの大仕事を一体的に追求する国政選挙を、16年参院選、17年総選挙、19年参院選と3回にわたってたたかってきた。そのいずれの選挙においても、最大の教訓として銘記したのは、〝二つの大仕事を同時に取り組むためには、今の党勢はあまりにも小さい〟ということだった」というわけだ。

 

そして、来年1月開催予定の第28回党大会に向けて、「党員拡大でも赤旗読者拡大でも前大会時(2017年1月)の現勢を回復・突破する」という〝党勢拡大大運動〟が提起された。僅か4か月半という短期間に、過去2年半分の党員・機関紙読者の減少分を取り戻そうというのである。具体的には、4カ月半で党員2万人(4400人/月)、機関紙読者14万3千部(3万2千部/月)という目標になるが、果たしてこんなことが可能であろうか。

 

1980年をピークに40年の長期にわたって減り続けてきた党勢を「V字型」に回復させるためには、それ相応の条件があることを示さなければならない。それが野党共闘の前進によって共産党を取り巻く「壁」がなくなったことであり、情勢は「新しい共闘の時代」に入ったということらしい。だが、前回の拙ブログでも検証したように、「新しい共闘の時代」を迎えた2016年参院選以降、19年参院選までの3年間に党勢は党員▲6%、日刊紙▲11%、日曜版▲13%の減少をみており、3回の国政選挙における比例代表得票数は16年参院選602万票から17年衆院選・19年参院選の440万票台へ▲154~162万票も減少するという「想定外の事態」が発生している。つまり、志位委員長が力説するような外部環境の変化とは全く関係なく、党勢と得票数はその後も依然として後退を続けているのである。

 

〝党勢拡大大運動〟と現実との間に真逆の事態が生じるのは、党勢拡大の主体的条件である党組織の状況がリアルに把握されていないか、あるいは(意図的に)報告されていないかのどちらかだろう。拙ブログの試算によれば、党組織の死亡者数/年は5千人前後、離党者数/年もほぼそれに匹敵する規模に達しており、新入党員3千人弱/年では到底埋め切れない状況になっている。それが、8千人/年という凄まじい党員減少数となってあらわれているのである。

 

このような(坂道を転げ落ちるような)党勢後退の勢いを止めるだけでも大変なのに、それを逆転させて党勢拡大につなげることは至難の業というほかない。総会決議は、事もなげに「全ての支部・グループが新しい党員を1人以上」「1支部当たり日刊紙読者2人以上、日曜版読者7人以上」拡大すれば達成できるなどと言っているが、生身の人間がことに当たらなければならない以上、拡大目標数を単に支部・グループの数で割り算するだけという、こんな機械的な計算で生身の人間を動かせると思う方がどうかしている。

 

中央委員会総会以降、赤旗は連日〝党勢拡大大運動〟の大キャンペーンを打っている。スローガンは「野党共闘から野党連合政権へ」というもので、野党共闘をバージョンアップした目標設定で党内を元気づけようとする魂胆らしい。だが、肝心の「野党連合政権」の姿は遠のくばかりだ。「『1強』打破へ野党結集」と銘打って立憲民主党や国民民主党などが結成した衆参統一会派は、1カ月にもわたって政策や人事で揉めた挙句、出来上がった代物は旧民進党の分裂会派の継ぎ合わせで何の新味も面白みもない。記者会見の写真を見ると、野田元首相や枝野元官房長官の見慣れた(見飽きた)顔が並んでいて、もうこれだけでぞっとする(辟易する)。世論調査一つを取って見ても野党連合政権への期待はまったく感じられず、追い風どころか「そよ風」一つも吹いていない「べた凪(なぎ)」状態なのだ。

 

〝党勢拡大大運動〟の結果は来年1月にいずれ明らかになるだろうが、もはや従来方式の拡大運動は限界点に達しており、そのうち党員数にこだわらない新しい政治組織のあり方を考えなければならなくなることは必定だ。党の影響力を党勢で計るのではなくて、支持力の大きさで計るような方向への転換であり、党員数が少なくても政党支持率が上がり、選挙戦では得票数・得票率が伸びるような活動スタイルへの転換である。

 

このことは党組織の抜本的な体質改善なしには不可能だろう。方針は上部機関が「決定」「指示」し、下部組織や個々の党員はそれを「学習」「実行」するだけといった活動スタイルには誰も付いてこない。3割強の党員しか決定事項を読了せず、大半の党員がソッポ向いているという事実(総会決議)がそのことを証明しているではないか。若者は自分の頭で考え、自分が納得しなければ動かない。「目標」を与えられて「学習」「実行」し、「点検」「指示」されるような組織にはもはや誰も寄り付かないのである。

 

とはいえ、組織の体質改善は人間改造の問題だからこれにはとてつもなく時間がかかる。今日まで指示し点検することだけで生きてきた人間が、ある日突然民主的な人間に変われるものではないからだ。まして、80歳半ば及ぶ後期高齢者がいまだ最高幹部として君臨している現状からみれば、65歳以上の幹部が総退陣でもしないかぎり体質改善は当分無理かもしれない。この種の人間がいなくなるまで体質改善は困難だとなると、あと20年ぐらいは党組織の後退が続くという悲劇的な予測も成り立つ。

 

結局、党組織は「人」なのである。魅力ある人間が集まらない組織は人を引き付けることができない。機関紙もまた魅力的な紙面でなければ購読者を増やすことができない。機関紙とはいえ購読料をとるのだから何よりも「新聞」であることが求められる。肝心のニュースが少なくて指示ばかりが目につくようではでは、これは「ビラ・チラシ」の類であって「新聞」とは言えない。紙面から面白くて価値あるニュースがなくなれば、読者は自ずと離れていく。機関紙読者数の減少の背景には、最近の赤旗は「(ものすごく)面白くなくなった」という声が根強く存在することを銘記すべきなのだ。

 

これからの選挙は、地方選挙であれ国政選挙であれ、候補者の人選が決定的な役割を果たすようになるだろう。党名を書いてもらえばそれでいい、といった安易な選挙戦術は通用しなくなる。野党共闘や野党連合政権を「切り札」にすれば自ずと票が集まる―といった「キャッチコピー選挙」も姿を消すだろう。定数が増えたとはいえ埼玉選挙区で新たなに1議席を獲得したことは、地元のために努力を重ねてきた魅力ある候補者があってのことだ。魅力ある候補者を集めるためには党組織自体が魅力ある存在にならなければならない。いずれが「ニワトリかタマゴか」は別にして、要するに抜本的な体質改善なくして〝党勢拡大大運動〟は成功しないのである。

第7回中央委員会総会決議を読んで思うこと、候補者の個人的魅力を大切にしない「比例を軸に」した選挙運動で展望が開けるか、京都で2019年参院選の結果を巡る討論会があった(9)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その174)

 

 それからもう一つ、志位委員長の挨拶で気になったことがある。党勢拡大大運動の困難さにたじろぐ党内の空気を払拭するためか、1980年衆参ダブル選挙時の参院選全国区得票数407万票(7.3%)と2019年参院選比例得票数448万票(8.9%)を比較して、日曜版1人当たりの得票が80年1.65票から19年5.49票に増加していることを挙げ、新しい共闘の時代が始まって共産党を包囲する「壁」がなくなったと強調していることだ。つまり、党勢は後退しているものの共産党の政治的影響力は大きくなり、党勢拡大の巨大な客観的条件が存在しているというのである。

 

 しかし、「新しい共闘の時代」における党勢拡大の可能性を検証するのであれば、わざわざ40年前の古い数字を持ち出さなくとも、野党共闘が始まった2016年参院選以降の(最新の)党勢の推移と得票数の結果を見ればいいだけのことだ。まず、党勢についてはどうか。総会決議によると、前回参院選から今回参院選までの3年間に党勢は依然として後退を続けており、党員▲6%、日刊紙▲11%、日曜版▲13%の減少をみたという。

 

 次いで、2016年参院選以降の2回の国政選挙の比例代表得票数はどうか。2016年参院選602万票(10.7%)に対して、2017年衆院選は440万票(7.9%)、2019年参院選448万票(8.9%)と激減している。16年と19年の参院選の比較では、▲154万票もの大量票(4分の1)を失うという惨憺たる結果となった。つまり「新しい共闘の時代」が始まっても党勢は依然として(さらに)後退を続けており、その上2017年衆院選においても2019年参院選においても、党勢の後退をはるかに上回る得票数の減少が生じているのである。

 

このことは、2つのことを示唆している。第1は、もはや党員数や機関紙読者数の消長に関わりなく共産党の政治的影響力が低下して得票数の減少が生じていることであり、第2は「比例を軸に」する選挙戦術がその傾向を助長しているのではないかということである。もう少し詳しく説明しよう。党勢拡大期には「日曜版1人当たり」といった言葉があるように、機関紙読者数と得票数は強い相関関係を示していた。機関紙読者数が伸びれば伸びるほど得票数が伸びる、得票数が伸びれば機関紙読者数が増えるという好循環関係が機能していたのである。

 

だが、この相関関係は直線的な関係ではなく、その背後には共産党への期待感が高まり、政党支持率が上昇しているという革新的な世論の高揚、すなわち「追い風」が吹いていたことを忘れるわけにはいかない。直截的に言えば、期待感と支持率の高まりが〝総体として〟党勢拡大と得票数増加をもたらしたのであり、機関紙読者数を増やせば得票数が増えるといった単純な関係ではなかったのである。したがって野党への期待と支持率が低迷し、「逆風」が吹いている現在のような後退期には機関紙読者数の減少以上に得票数が減ることになり、それが最も典型的にあらわれたのが2017年衆院選と19年参院選だったのである。

 

共産党の得票数の減少に輪をかけたのが「比例を軸に」とする選挙戦術だろう。事実、総会決議の中にも「比例代表選挙が『自らの選挙』にならず、地方選挙よりも活動が弱まった」「地方選挙が終わったあと、地区や自治体・行政区の臨戦態勢が事実上解除された」「比例の得票目標を本気でやりぬく構えがつくれなかった」などの声が各県から上がっている。政党名を表に出してたたかう比例代表選挙では候補者の顔が見えなくなり、支持者の間では力が入らないことが多い。また「政党への好き嫌い」は別にして「この候補者だから入れる」という個人票を逃してしまう場合も多い。

 

「比例を軸に」という選挙戦術には、候補者や支持者を「政党の集票マシーン」とみる官僚的選挙観があらわれている。言い換えれば、選挙運動における「人=候補者」の要素を軽視する思想が顕わなのだ。選挙はもともと「選良」や「代議士」という名にもみられるように、有権者が自分たちの代表を選ぶ政治行動である。地方選挙でも国政選挙でも候補者は地域の問題を掘り起こし、問題解決の方策を示し、そのために支持を訴えるという構図は変わらない。だが「比例を軸に」ということになると、候補者は宙に浮いた存在になって有権者の気持ちや感情から離れてしまう。選挙運動が「票読み」一色となり、地域の問題や政策はどこかへ吹っ飛んでしまうのだ。その(最悪の)典型例が大阪選挙区だった。

 

大阪はもともと大都市部では共産党支持率が低く、比例得票数が少ない選挙区だ。しかも最近では「改革政党」のお株をすっかり大阪維新に奪われて、「共産党=批判政党=批判ばかりで役に立たない政党」とのイメージが定着している。2019年参院選直前の衆院大阪12区補選では、現職の宮本衆院議員が無所属で立候補するという離れ業で世間を驚かせたが、「野党共闘で安倍政権を倒す」というスローガンが地域の問題を重視する大阪では全く通用しなかった。「一点の曇りもなく共闘の大義を掲げた」(宮本候補敗戦の弁)にもかかわらず(それゆえに)、宮本候補の得票数は僅か1万4千票(8.9%)に止まり、共産党は最下位で供託金を没収されるという屈辱的な惨敗を喫したのである。

 

衆院大阪補選は、有権者が期待する具体的な政策を打ち出せず、野党共闘を連呼するだけでは票が取れないことを完膚なきまでに示した。にもかかわらず、本番の参院選においてもまたもや同じ誤りが繰り返された。大阪の党組織は「比例代表を軸に」という上部通達を忠実に守り、「安倍政権を倒し、維新政治を転換する上で、市民と野党の共闘にこそ展望があり、共闘の要の位置と役割を共産党が担う」(府常任委員会声明)とのスローガンを掲げてたたかったのである。結果は、2013年参院選と比べて比例代表得票数は42万2千票(11.3%)から33万4千票(9.6%)へ▲8万7千票(5分の1)の減少となり、選挙区得票数は45万5千票(12.1%)から38万2千票(10.9%)へ▲7万3千票(6分の1)の減少となった。

 

落選した辰巳候補は、各党の中でも数少ない優れた政治的資質を持った候補者だ。若くて機知に富み弁舌も爽やかで、国会での鋭いモリカケ疑惑の追及は多くの国民を魅了した。維新旋風が吹き荒れる大阪で選挙戦をたたかうには、国民的人気のある辰巳候補を前面に押し出し、個人票を獲得する以外に勝つ術がなかった。ところが、大阪の党組織は「比例を軸に」の選挙方針を金科玉条化して(不人気な)党宣伝を全面展開する戦術をとり、辰巳候補の個人的魅力や能力をアピールする方法を選択しなかった。「維新よりも仕事のできる若手政治家!」といった気の利いたキャッチフレーズを考えるスタッフは、大阪には誰一人いなかったのだ。(つづく)

第7回中央委員会総会決議を読んで思うこと、党勢拡大大運動は「水漏れ状態」にある、京都で2019年参院選の結果を巡る討論会があった(8)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その173)

この連載中に奇しくも共産党の中央委員会総会が9月15日に開かれ、総会決議が翌16日の赤旗紙上に掲載された。主たる内容は、来年1月の第28回党大会開催の決定、及びそれに向けた〝党勢拡大大運動〟の提起である。志位委員長は、冒頭のあいさつで「党勢という面でも、世代的継承という面でも、現状は率直に言って危機的であります」と述べている。党勢面での危機とは、党員数と機関紙読者数が恐ろしい勢いで減っていること、世代的継承の危機とは若手党員が極端に少ないことを指しているのであろう。

 

総会決議は、1980年以降、党勢が後退を続けている主たる原因を「社公合意」(1980年)による共産排除の「壁」に求め、そのことによって職場の党組織、若い世代の中での党建設が困難にさらされたことを挙げている。確かに「社公合意」が社共共闘・革新統一路線を崩壊させ、革新陣営に大きな打撃を与えたことは間違いない。しかし、1990年代後半の自公連立政権の成立によって「社公合意」は崩壊し、自社さ政権への参加によって社会党そのものが消滅した。

 

「社公合意」はすでに過去のものとなっており、その否定的影響はせいぜい20世紀止まりだと言える。だから、21世紀に入ってから現在に至る(20年近い)党勢後退の原因を、外部要因である40年前の「社公合意」に求めるのはいささか筋違いというものではないか。この論法は、内部矛盾を外部要因にすり替えるようなもので説得力がないのである。

 

それはともかく総会決議では、この危機的状況を脱するために「党員拡大でも赤旗読者拡大でも『前大会時(2017年1月)の回復・突破』という〝党勢拡大大運動〟が提起された。だがこの方針は、率直に言って老体にカンフル注射を打つようなもので、本格的な回復には結び付くとは到底思えない。なぜなら、20年以上も続いてきた構造的な後退傾向を、僅か4カ月の「大運動=突撃」で克服できるなどとはとても考えられないからである。

 

2年半前に開かれた第27回党大会時の党勢は、党員30万人、機関紙読者110万部というものだった。それが現時点では党員28万人、機関紙読者100万部というのだから、党員数は2年半で2万人(8千人/年)、機関紙読者数は10万部以上(4万部以上/年)減ったことになる。注目されるのは、毎年8千人もの党員が減っていく中に少なくない離党者が含まれているということだろう。

 

赤旗紙上では「離党者」と言う言葉は滅多にお目にかかれないし、「離党者数」が公表されたこともない。しかし、民主的な政治組織の構成員には参加・脱退の自由が保障されている以上、離党者が出ることは避けられないし、またそれは組織が健全に機能していることを示す証拠でもある(反社会的組織ではなかなか抜けられない)。したがって、政党は堂々と離党者数を公表すべきだと思うが、なぜか実現していない。

 

公表がためらわれる理由として考えられるのは、離党者数が多くなると組織体質に問題があるのではないかと疑われ、政党にマイナスイメージを与えるからであろう。たしかに学生の就活活動を見ても、入社人数より退社人数が多いような会社は「ブラック企業」と見なされ、「ヤバイ会社」として敬遠されることが多い。政党の場合も新入党員より離党者が多いような場合は、若い世代には「将来性がない政党」と映るかもしれない。

 

とはいえ、「危機的状況」と叫ぶだけでその実態を伝える努力をしなければ、組織全体が危機意識を共有できないし、克服するためのエネルギーも湧いてこない。民間企業でも、幹部が社員に対して売上高減少の原因を示さず、もとに戻すためのノルマを課してただ叱咤激励するだけでは誰も付いてこない。原因の所在について製品に問題があるのか、営業方針の拙さにあるのか、広告宣伝の方法にあるのかなど、具体的な指摘をしなければ手の打ちようがないのである。

 

総会決議では、党員と機関紙読者数の減少数という「結果」だけが示され、それを4カ月で回復(突破)するという「目標」が課されただけで、その「中身」はまったく示されていない。党員数の増減に関して言えば、死亡者数と離党者数の合計が新入党員数を上回れば減少し、下回れば増加するのだから、「中身」は死亡者数、離党者数、新入党員数の3つを明らかにするだけでいいのである。しかし、その中身が示されていないので(間違いがあるかもしれないが)、利用できるデータから試算してみよう。

 

まず、新入党員数は「第27回党大会以降、新しい党員を迎えた支部は34%」とあるので、2年半で6800人(2万支部×0.34)、2720人/年増えたことになる。次に推定死亡者数/年は、30万人(現勢・母数)に年死亡率を乗じて得られる。死亡率は年齢構成によって違うが、年齢構成が公表されていないので(実態は65歳以上比率が40%近くに達していると伝えられている)、国立社会保障・人口問題研究所の人口統計資料集、『人口の動向、日本と世界』(厚生労働統計協会、2019)から、3つのケースを想定して試算しよう。(1)65歳以上比率30.0%、死亡率12.4‰、推定死亡者数3720人(30万人×12.4‰)の場合、(2)36.8%、15.5‰、4650人(30万人×15.5‰)の場合、(3)38.4%、17.7‰、5310人(30万人×17.7‰)の場合である。

 

計算式は「党員減少数/年=新入党員数/年-推定死亡者数/年-離党者数/年」という簡単なもので、結果は以下のようになる。(1)8000人=2720人-3720人-7000人、(2)8000人=2720人-4650人-6070人、(3)8000人=2720人-5310人-5410人。離党者数が余りにも大きいので計算をやり直してみたが、簡単な足し算と引き算なのでまず間違いないものと思われる。つまり、党員減少数8000人/年の内訳は、2720人/年の新入党員を迎えているにもかかわらず、それをはるかに上回る死亡者数(3720~5310人/年)と離党者数(5410~7000人/年)によって生じているのである。

 

生物である人間には命に限りがあるので、共産党の党組織が超高齢化している以上、死亡者数が当分増え続けることは如何ともしがたいだろう。先に上げた死亡率の異なる3つのケースは、日本人口が2025年、2045年、2065年に到達したときの65歳以上人口比率に基づくもので、30.0%の場合は平均年齢49.0歳、36.8%では51.9歳、38.4%では53.4歳だからそれほど違和感はない。問題は離党者数が死亡者数を上回るレベルに達していることであり、この問題に一言も触れないで〝党勢拡大大運動〟の号令をかけ続けられていることだ。笊(ざる)に幾ら水を注いでも水は溜まらないのだから、まず水漏れを防ぐことが先決ではないか。それは組織活動の原則であり倫理上の問題でもあるからだ。(つづく)

党勢拡大から〝党勢持続〟への戦略的転換が必要だ、京都で2019年参院選の結果を巡る討論会があった(7)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その172)

赤旗掲載死亡者1646人の基本属性を見よう。まず男女比は2:1となり、根強い男社会の中にあって女性が3分の1を占めている。入党時期とクロス集計をすれば時代時代によって男女比が変わる様子が分かると思うが、残念ながらその余裕がないのでこれ以上は分析できない。しかし、若い女性が続々と入党していた頃は、党組織は活気に満ちていたのではないか。各党と比較すれば女性比率が高いことは明らかであり、それが共産党の際立った特色になっていた。

 

一番驚いたのは、平均死亡年齢が80歳を超えていることだ。10歳刻みの死亡年齢の分布を取って見たが、70歳未満は12%しかなく、70歳代(26%)と80歳代(39%)を合わせると全体の3分の2を占める。90歳以上も2割強(22%)で、最高年齢は106歳だった。若い頃から身体を酷使して活動を続けてきた人たちがかくも長命だったことに驚くと同時に、共産党がこのような「元気高齢者」たちによって支えられてきたことを改めて実感した。

 

最大の特徴は、入党時期が大衆運動の高揚した1960年代と70年代の20年間で全体の過半数(55%)を占めていることだ。戦前は非合法団体だった共産党が戦後合法化され、戦後の民主化運動の中で入党した人たちも2割近く(18%)いる。こうした人たちと60年代から70年代にかけて大量入党したベビーブーマーが、戦後の政党運動の中核となり原動力となって日本の政治革新を支えてきた。しかし、戦後75年に差しかかろうとする現在、それらの人たちが一斉に平均寿命を終える時期が到来したのである。

 

この他注目されるのは、2000年以降に入党した高齢者グループが2割弱(17%)もいることだ。これは、党勢拡大を迫られた下部組織が党員の親など高齢家族を入党させることで数を埋め合わせた結果と言えるが、高齢化している組織が高齢者を迎えるとなると、組織はさらに超高齢化する。こうして、共産党は総人口よりも半世紀早く高齢化の道を走ってきたのである。

 

死亡者の全国分布は、関東(31%)、近畿(23%)、中部(15%)の大都市圏で7割を占め、残りを北海道・東北(15%)、中国・四国・九州・沖縄(16%)で2分している。地方によって死亡率がそれほど違わないことを思えば、これは現状の縮図とも言える。ただし、これは大分けなので都道府県単位で見れば大きな格差がある。

 

以上の実態を基礎にして、共産党が今後どのような行方をたどるのかを考えてみたい。そのためには好むと好まざるにかかわらず、もはや党勢拡大は不可能だという「現実」を受け入れることが重要だ。なぜなら共産党は、党員数が現在30万人とされているものの実働部隊は25万人程度であり、しかも65歳以上比率が40%近くに達するという〝超高齢組織〟だからである。

 

この年齢構成に見合う年間死亡率は18(‰)、年間死亡者数は4500人(25万人×18.0‰=4500人)となり、しかも高齢化率が上がるにつれて死亡率も上昇するので死亡者数は毎年増加する。その数は毎年数千人、10年間で(少なくとも)5万人以上に達するものと予測され、党勢の衰退を防ぐためには死亡者数を上回る新入党員を確保しなければならない。だがこれが不可能なことは、党組織の実情を知るものなら誰でも分かることだ。

 

 事実、赤旗の党勢拡大欄を見れば、記事はもっぱら地域活動に限定されていて、職場や学校などの話題はほとんど出てこない。このことはもはや職場や学校での拡大が(事実上)不可能になっていることを示すものであり、残された活動の場は地域(だけ)になっていることを示している。深刻なのは、この地域を担う活動家が日に日に高齢化しており、遠からず活動を停止する運命にあることだろう。

 

機関紙読者数もこの2年間で7万5千部の減少だから、このままで推移すれば10年後には60万部(4割減)程度になり、これでは日刊紙・日曜版2本立ての発行は財政上困難となる。日曜版だけでも維持しようとすれば、発行部数の少ない日刊紙の大幅値上げは不可避となる。しかし、全国紙といえども発行部数が急減している現在、一般紙の月額購読料を上回る価格設定は事実上不可能だろう。値上げして読者数が激減すれば発行停止に直結する以上、「引き金」になるようなことはできるだけ避けなければならないからだ。考えられる方法としては、紙媒体から「(有料)電子版」へ移行して印刷費や発送費を思い切って節約することだが、そんなことが検討されているとは思えない。

 

これまでは党員数と機関紙読者数が党勢拡大の基本指標であり、選挙戦における得票数・得票率の目安となってきた。選挙戦で議席数を伸ばすためには、その前提となる党員数と機関紙読者数をまず拡大しなければならないという「鉄則」があり、いまでもその方針は忠実に受け継がれている。議席を確保するにはこれだけの票が必要との目標が提起され、その目標に見合う党勢拡大が提起されるのである。

 

このような目標先行型の方針は、党勢の拡大局面では有効だが、現在のような後退局面では逆に作用する。超高齢組織に幾らムチを入れても「老馬は走らない(走れない)」からであり、立ちすくむほかないからである。それどころか「850万票・16%」という途方もない目標は背負い切れないほどの重荷となり、叫べば叫ぶほど、組織はますます疲弊していく。その光景は、インパール作戦の「死の行軍」を想起させるといっても過言ではない。

 

政権を目指す政党組織にとって党勢拡大は至上命令だった。党勢拡大しなければ、政権は取れないと考えられてきたからである。つい最近まで共産党が「自共対決」を掲げてきたのは、党勢拡大によって党組織を強大にすれば、共産党を中心とした「民主連合政府」を樹立できると考えていたからだろう。ところが、それがある日突然「野党・市民共闘」路線に方針転換されたのである。転換に至った経緯がキチンと説明されていないので真相はわからないが、おそらくその背景には党勢の凄まじい後退があり、もはや共産単独の「自共対決」路線では戦えないとの判断があったものと思われる。

 

とすれば、方針転換とともに「野党・市民共闘」路線にふさわしい活動スタイルが提起されてもおかしくなかったが、こちらの方はその後も百年一日の如き党勢拡大方針が踏襲されていていっこうに変わる様子がない。これでは「野党・市民共闘」は一時的な戦術レベルの転換であり、党勢が回復すればまた「元の姿」に戻るとの疑念が生じても不思議ではない。

 

しかし、共産党はもう元の姿には戻れないだろう。なぜなら上部機関の指示通りに動く党勢拡大エネルギーは(高齢化によって)枯渇しており、しかもその傾向は今後ますます加速するからである。毎年、党員数千人と機関紙数万部が構造的に減少するという後退局面においては、採るべき戦術は「進軍」ではなくして「陣地再編」であり、党勢拡大から〝党勢持続〟への戦略転換ではないだろうか。(つづく)