それからもう一つ、志位委員長の挨拶で気になったことがある。党勢拡大大運動の困難さにたじろぐ党内の空気を払拭するためか、1980年衆参ダブル選挙時の参院選全国区得票数407万票(7.3%)と2019年参院選比例得票数448万票(8.9%)を比較して、日曜版1人当たりの得票が80年1.65票から19年5.49票に増加していることを挙げ、新しい共闘の時代が始まって共産党を包囲する「壁」がなくなったと強調していることだ。つまり、党勢は後退しているものの共産党の政治的影響力は大きくなり、党勢拡大の巨大な客観的条件が存在しているというのである。
しかし、「新しい共闘の時代」における党勢拡大の可能性を検証するのであれば、わざわざ40年前の古い数字を持ち出さなくとも、野党共闘が始まった2016年参院選以降の(最新の)党勢の推移と得票数の結果を見ればいいだけのことだ。まず、党勢についてはどうか。総会決議によると、前回参院選から今回参院選までの3年間に党勢は依然として後退を続けており、党員▲6%、日刊紙▲11%、日曜版▲13%の減少をみたという。
次いで、2016年参院選以降の2回の国政選挙の比例代表得票数はどうか。2016年参院選602万票(10.7%)に対して、2017年衆院選は440万票(7.9%)、2019年参院選448万票(8.9%)と激減している。16年と19年の参院選の比較では、▲154万票もの大量票(4分の1)を失うという惨憺たる結果となった。つまり「新しい共闘の時代」が始まっても党勢は依然として(さらに)後退を続けており、その上2017年衆院選においても2019年参院選においても、党勢の後退をはるかに上回る得票数の減少が生じているのである。
このことは、2つのことを示唆している。第1は、もはや党員数や機関紙読者数の消長に関わりなく共産党の政治的影響力が低下して得票数の減少が生じていることであり、第2は「比例を軸に」する選挙戦術がその傾向を助長しているのではないかということである。もう少し詳しく説明しよう。党勢拡大期には「日曜版1人当たり」といった言葉があるように、機関紙読者数と得票数は強い相関関係を示していた。機関紙読者数が伸びれば伸びるほど得票数が伸びる、得票数が伸びれば機関紙読者数が増えるという好循環関係が機能していたのである。
だが、この相関関係は直線的な関係ではなく、その背後には共産党への期待感が高まり、政党支持率が上昇しているという革新的な世論の高揚、すなわち「追い風」が吹いていたことを忘れるわけにはいかない。直截的に言えば、期待感と支持率の高まりが〝総体として〟党勢拡大と得票数増加をもたらしたのであり、機関紙読者数を増やせば得票数が増えるといった単純な関係ではなかったのである。したがって野党への期待と支持率が低迷し、「逆風」が吹いている現在のような後退期には機関紙読者数の減少以上に得票数が減ることになり、それが最も典型的にあらわれたのが2017年衆院選と19年参院選だったのである。
共産党の得票数の減少に輪をかけたのが「比例を軸に」とする選挙戦術だろう。事実、総会決議の中にも「比例代表選挙が『自らの選挙』にならず、地方選挙よりも活動が弱まった」「地方選挙が終わったあと、地区や自治体・行政区の臨戦態勢が事実上解除された」「比例の得票目標を本気でやりぬく構えがつくれなかった」などの声が各県から上がっている。政党名を表に出してたたかう比例代表選挙では候補者の顔が見えなくなり、支持者の間では力が入らないことが多い。また「政党への好き嫌い」は別にして「この候補者だから入れる」という個人票を逃してしまう場合も多い。
「比例を軸に」という選挙戦術には、候補者や支持者を「政党の集票マシーン」とみる官僚的選挙観があらわれている。言い換えれば、選挙運動における「人=候補者」の要素を軽視する思想が顕わなのだ。選挙はもともと「選良」や「代議士」という名にもみられるように、有権者が自分たちの代表を選ぶ政治行動である。地方選挙でも国政選挙でも候補者は地域の問題を掘り起こし、問題解決の方策を示し、そのために支持を訴えるという構図は変わらない。だが「比例を軸に」ということになると、候補者は宙に浮いた存在になって有権者の気持ちや感情から離れてしまう。選挙運動が「票読み」一色となり、地域の問題や政策はどこかへ吹っ飛んでしまうのだ。その(最悪の)典型例が大阪選挙区だった。
大阪はもともと大都市部では共産党支持率が低く、比例得票数が少ない選挙区だ。しかも最近では「改革政党」のお株をすっかり大阪維新に奪われて、「共産党=批判政党=批判ばかりで役に立たない政党」とのイメージが定着している。2019年参院選直前の衆院大阪12区補選では、現職の宮本衆院議員が無所属で立候補するという離れ業で世間を驚かせたが、「野党共闘で安倍政権を倒す」というスローガンが地域の問題を重視する大阪では全く通用しなかった。「一点の曇りもなく共闘の大義を掲げた」(宮本候補敗戦の弁)にもかかわらず(それゆえに)、宮本候補の得票数は僅か1万4千票(8.9%)に止まり、共産党は最下位で供託金を没収されるという屈辱的な惨敗を喫したのである。
衆院大阪補選は、有権者が期待する具体的な政策を打ち出せず、野党共闘を連呼するだけでは票が取れないことを完膚なきまでに示した。にもかかわらず、本番の参院選においてもまたもや同じ誤りが繰り返された。大阪の党組織は「比例代表を軸に」という上部通達を忠実に守り、「安倍政権を倒し、維新政治を転換する上で、市民と野党の共闘にこそ展望があり、共闘の要の位置と役割を共産党が担う」(府常任委員会声明)とのスローガンを掲げてたたかったのである。結果は、2013年参院選と比べて比例代表得票数は42万2千票(11.3%)から33万4千票(9.6%)へ▲8万7千票(5分の1)の減少となり、選挙区得票数は45万5千票(12.1%)から38万2千票(10.9%)へ▲7万3千票(6分の1)の減少となった。
落選した辰巳候補は、各党の中でも数少ない優れた政治的資質を持った候補者だ。若くて機知に富み弁舌も爽やかで、国会での鋭いモリカケ疑惑の追及は多くの国民を魅了した。維新旋風が吹き荒れる大阪で選挙戦をたたかうには、国民的人気のある辰巳候補を前面に押し出し、個人票を獲得する以外に勝つ術がなかった。ところが、大阪の党組織は「比例を軸に」の選挙方針を金科玉条化して(不人気な)党宣伝を全面展開する戦術をとり、辰巳候補の個人的魅力や能力をアピールする方法を選択しなかった。「維新よりも仕事のできる若手政治家!」といった気の利いたキャッチフレーズを考えるスタッフは、大阪には誰一人いなかったのだ。(つづく)