首相辞任会見の一問一答にあらわれた安倍政治の本質、安倍内閣支持率下落と野党共闘の行方(45)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その222)

 

朝日、毎日両紙は、総力を挙げた紙面構成となっている。拙ブログのような小論ではとても紹介できるものではないが、それでも印象程度のことは記しておかなければならない。安倍政治に象徴されるような世襲政治および政党政治の劣化に関する本格的な論評は、これから出るものと期待してのことである。

 

朝日の主張は、政策評価のあれこれに関するよりも「この最長政権が政治のあるべき姿という点で『負の遺産』を残した。国民の疑問にきちんと向き合ってきたのかを、冷静に問い直さなければならない」(政治部長発言)、そして「首相在任7年8カ月、『安倍1強』と言われた長期政権の突然の幕切れである。この間、深く傷つけられた日本の民主主義を立て直す一歩としなければならない」(社説)との一節に凝縮されている。社説は、退陣の直接の理由が持病であるにしても、その背景には「長期政権のおごりや緩みから、政治的にも、政策的にも行き詰まり、民心が離れつつあった」ことを指摘し、今回の総裁選では、「安倍政権の政策的評価のみならず、その政治手法、政治姿勢がもたらした弊害もまた厳しく問われなければならない」と提起している。まったく同感だ。

 

毎日も同様の論調で貫かれている。「どんなに長く続いた政権もいずれは終わる。第2次安倍晋三政権の7年8カ月がこの国に何をもたらし、何を失わせたのか。その功罪を受け止め、日本が次に進む道を探るときである」(主筆発言)、「7年8カ月に及んだ長期政権の弊害で際立つのは、『安倍1強』によるゆがみだ。内閣人事局に人事権を掌握された幹部官僚の間では、政権へのおもねりや『忖度』がはびこった。国会を軽視する姿勢も目立つ。野党を敵視し、反対意見には耳を傾けない。民主主義の基盤となる議論の場に真摯に向き合おうとしなかった。長期に権力を維持することには成功したが、政策や政治手法の点では『負の遺産』が積み上がったのが実態だったのではないか」(社説)との指摘だ。いずれも安倍政権の本質を突いた鋭い問題提起だと思う。

 

読売、産経、日経3紙と朝日、毎日両紙の決定的な違いは、安倍首相の記者会見の模様をどう伝えたかにあらわれている。前者3紙は記者会見の要旨を伝えただけで、質疑応答についてはほとんど触れていない。朝日、毎日両紙は、安倍首相の冒頭発言に加えて、質疑応答についても詳しく解説している。とりわけ毎日紙は、冒頭発言および質疑応答の一問一答について全文掲載しており、資料価値は極めて高い。これまで安倍首相は、記者会見を開いても自らの発言に多くの時間を割き、質疑応答については幹事社のサクラ質問に答えるだけで、それ以外の質問にはほとんど対応することがなかった。「次の予定がある」とかの理由で質問を途中で打ち切り、逃げるようにして会場を去るのが常だったのである。しかし、今回は最後の記者会見ということもあったのか、冒頭発言は短く質疑応答にかなりの時間を割いた。もう「次の予定」がないので、逃げるわけにはいかなかったのだろう。

 

私が注目する質疑応答は、「憲法改正」「公文書改ざんと説明責任」「国政私物化」の3点だ。

――(問)最長政権でも憲法改正は実現できなかった。機運が高まらなかった理由は何か。

――(答)残念ながら、まだ国民的な世論が十分に盛り上がらなかったのは事実であり、それなしには進めることはできないのだろうと改めて痛感しているところでございます。

――(問)「安倍1強」の政治状況が続き、官僚の忖度や公文書の廃棄・改ざんなど負の側面が問われた。十分な説明責任を果たせたと考えているか。

――(答)公文書管理についてはですね。安倍政権において、さらなるルールにおいて、徹底していくということにしております。また、国会においては相当長時間にわたって今挙げられた問題について、私も答弁させていただいているところでございます。十分かどうかということについては、これは、国民の皆さまがご判断されるんだろう、と思っております。

――(問)森友学園問題や加計学園問題、桜を見る会の問題などでは、国民の厳しい批判にさらされた。これは政権の私物化という批判だったのではないか。

――(答)政権の私物化はですね、あってはならないことですし、私は政権を私物化したというつもりは全くありませんし、私物化もしておりません。まさに、国家国民のために全力を尽くしてきたつもりでございます。その中でさまざまなご批判もいただきました。またご説明もさせていただきました。その説明ぶりなどについては、反省すべき点もあるかもしれないし、誤解を受けたのであれば、そのことについても反省しなければいけないと思います。私物化したことはないということは申し上げたいと思います。

 

これはもう〝ご飯論法〟どころの騒ぎではない。憲法改正がうまくいかなかったことへの回答を除いては、徹頭徹尾、最後の最後まで事実関係を否認し、自らの責任を回避している。公文書改ざんなど否定できない事実に関してさえ自らの責任を認めず、説明責任を果たさなかったことについても「国民の皆さまがご判断されること」と逃げている。国民の大半が「クロ」だと見なしているモリカケ問題や桜を見る会についても「白(シラ)」を切り、「私は政権を私物化したというつもりは全くありませんし、私物化もしておりません。まさに、国家国民のために全力を尽くしてきたつもりでございます」と公言するのだから、声も出ない。7年8カ月にも及ぶ安倍長期政権は、こうして「ウソと偽り」で塗り固められた記者会見で終わったのである。

 

記者会見の翌日から、各紙の紙面は政局一色となった。8月31日朝刊は、大手5紙が揃って菅官房長官の出馬を伝え、後継レースの本命と目されていた岸田氏や対抗馬の石破氏が、ダークホースの菅氏に一気にかわされそうな形勢を伝えている。朝日新聞電子版(8月31日21時)は、「菅氏優位、細田・麻生両派が支持 総裁選、顔ぶれ固まる 」との見出しで次のように報じた。

 

 「自民党総裁選に立候補する意向を固めた菅義偉官房長官(71)に対し、同党の細田派(98人)と麻生派(54人)は8月31日、菅氏を支持する方針を決めた。二階派(47人)に続き、主要派閥の多くが菅氏支持に傾きつつあり、国会議員票での争いを優位に進められる情勢となっている。石破茂元幹事長(63)や岸田文雄政調会長(63)は9月1日に立候補を表明する。無派閥の菅氏は31日、最大派閥・細田派を率いる細田博之元幹事長、参院自民党や竹下派(54人)に強い影響力を持つ青木幹雄元参院会長と会談。青木氏に「安倍政権の路線を継承する」と述べ、近く立候補を表明する考えを伝えた。現職閣僚を含む初当選同期7人や、自身に近い無派閥議員14人とも会い、立候補要請を受けた」

 

 〝安倍政権の継承〟を約束して主要派閥の支持を取り付けた菅氏では、安倍政治を変えることもできなければ、安倍政治の弊害を打破することはできない。まして利権政治以外に興味がない二階氏が幹事長として影響力を発揮するのだから、菅氏の政治空間はますます狭くなる。菅氏がいったいどんな政権構想を打ち出すのか見ものだが、安倍政権のエピゴーネンでは「暫定政権」の域を出ない。「表紙が違っても中身が同じでは意味がない」として、後継者の席を蹴った気骨ある政治家の言葉を懐かしく思い出す。(つづく)

世襲政治と政党劣化の産物だった安倍長期政権がコロナ危機によって遂に命運を断たれた、安倍内閣支持率下落と野党共闘の行方(44)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その221)

長期政権の行き詰まりと体調悪化とかで、この間、辞任の噂が駆け巡っていた安倍首相が8月28日、遂に辞任を表明した。安倍首相は、記者会見で新型コロナ対策に今後万全の措置を講じたこと、そして持病悪化を辞任の理由に挙げた。だが、コロナ対策の方は本来取るべき対策を後追い的に列挙したにすぎず、最初からこうした施策を講じていれば、コロナ対策は「アベノマスク」と「自粛要請宣言」だけ――といった不甲斐ない姿を見せることもなかったのである。

 

おそらく辞任の真相は、未曽有の経済不況でアベノミクスが通じなくなり、2021年東京五輪開催も危ぶまれる中、もはや打つ手がなくなって政権を投げ出したということではないか。史上最長の在任期間となった安倍長期政権は、世襲政治と政党劣化の産物以外の何物でもなく、「レガシーがないのが安倍政権のレガシー」だと言われ続けてきた(この点については次回詳述する)。だが、「安倍辞めろ!」の国民の声を平然と無視し続けてきた首相もさすがにコロナ危機には対応できず、もはや退陣するしか道は残されていなかったのである。

 

それにしても安倍首相絡みの報道になると、NHKは必ずと言っていいほどいつもの政治部女性記者を登板させる。安倍首相が外遊する時も必ず随行し、現地からの報道を担当する有名な女性記者だ。今回も首相の辞任表明については何一つ批判的なコメントを加えることなく、ただ会見内容の要約を尤もらしく伝えただけだった。これまでの報道ぶりから考えると、どうやらこの人物のコメントがNHKの公式見解となるらしく、他のニュースキャスターや解説委員はそれ以外の発言ができなくなるように見受けられる。彼女がNHKの事実上の「報道管制官」の役割を果たしているとすれば、恐ろしいことだ。

 

それに、彼女は午後のニュース解説番組にも頻繫に出演しており、「お茶の間の顔」として印象付けようとするNHKの意図があからさまに感じられる。「みなさまのNHK」を「安倍さまのNHK」にしていくためのキーパーソンがこの人物なのであり、安倍政権が長期化するにつれてその役割がますます大きくなってきていた。いつまでこのような状態が続くのか、それとも「安倍と共に去りぬ」の運命を迎えることになるのか、今後のNHKの報道姿勢が注目される。

 

それはさておき、まずは各紙のスタンスを翌8月29日の紙面構成や社説で見よう。読売新聞は「コロナ対策 節目、難病再び 突然の幕」との大見出しにもあるように、辞任表明の基本原因は本人の持病悪化によるものとみなしている。政権評価については、「拉致・五輪 道半ば、急な辞任 戸惑い」と一応の留保をつけているが、基調は「国論二分の課題 挑んだ」(特別編集委員)、「長期政権の功績大きい」(社説)との全面評価で貫かれている。具体的には、「決められない政治」からの脱却、日米同盟の強化、集団自衛権の行使を可能とする安保関連法の成立など、国論を分断して強行した政治姿勢が全面的に肯定されているのである。唯一の失態として指摘されているのは新型コロナへの対応のまずさだが、これとても責任の一端が官邸主導の政治にあるとしながらも、基本的には迅速な政治決定を可能にした官邸主導政治が肯定されている。「危機対処へ政治空白を避けよ、政策遂行には強力な体制が要る」(社説見出し)と結ばれているように、読売の強権主義・強権政治推進論は変わることがない。

 

これに対して産経新聞は、右の立場からの批判に重点を置いた紙面をつくっている。「走り続けた7年8カ月、期待と批判、一身に受け」と長期政権を一応評価しながらも、「首相辞任決断 志半ば」との大見出しのもとに、「憲法=改憲気運盛り上がらず」「外交=重ねた会談、領土進展なく」「経済=見えぬアベノミクス後」「五輪、コロナ対策=追加経費難問」「拉致=被害者帰国果たせぬまま」と安倍政権が実現できなかった政治課題への不満を隠していない。産経とすれば「改憲突破内閣」と位置づけた安倍政権への期待が大きかっただけに、改憲の入口にも立てなかった安倍政権への失望が大きかったのだろう。次期政権に対しては「『安倍政治』を発射台にせよ」(主張=社説)とあるように、安倍政権の果たせなかった政治課題の実現を強く要求し、加えて米中対決を基調とする対中強硬外交への転換を求めている点が注目される。

 

日経新聞は、安倍首相の辞任表明はすでに織り込み済みだったのか、論評にあまり力が入っていない。安倍政権はもはや「過去の存在」だとの認識からか、紙面構成は「次期政権の課題」をメインに編集されている。安倍首相在任中の政策評価に関しても「アベノミクス未完」「次期政権に政策の充実を求める」視点から編集されており、総括にはあまり紙面を割いていない。具体的には「挑んだ課題 道半ば」との見出しの下で、「新型コロナ=経済優先で後手」「女性活躍=育児と両立支援拡充を」「地方創生=観光や防災、支援続けて」「延期の五輪=道筋見えず、コロナ対策・追加経費...課題山積」「森友・加計...晴れぬまま」などとなっている。それを象徴するのが、「誰が次期首相になろうとも日本を取り巻く情勢は厳しく、政策を切れ目なく遂行しなければならない」との政治部長発言だろう。社説でも「円滑な政権移行」がまず強調され、安倍政権の最大の業績は「政治の安定」だったことが述べられている程度だ。むしろ力点は、「ポスト安倍 動き急」「五輪・コロナ・東アジア安保、次期政権に課題山積」の見出しにみられるように今後の政局に移っており、「ポスト安倍」への期待感が滲み出ている。こうした点から考えると、国民の信を失った安倍政権は体制側にとっても「厄介者扱い」だったのであり、早くから与党内での政権交代が望まれていたことをうかがわせる。次回はこの点について考えたい。(つづく)

立憲民主・国民民主の合流新党に「期待しない」68%、安倍内閣支持率下落と野党共闘の行方(43)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その220)

 

立憲民主と国民民主が解党し、合流新党を結成することが8月19日決まった。国民民主の両議員総会で合流新党への参加が圧倒的多数で決まり、あくまでも「分党」に固執する玉木代表は孤立した。それにしても玉木代表の行動はわかりにくい。というよりは、立憲民主との合流話を表向き進めながら、その実は自分の勢力を広げるための策動を続けてきたというのがことの真相だろう。玉木氏には立憲民主との合流などもともと念頭になく、「政策提案型政党」「改革中道政党」の旗印を掲げて保守勢力の注目を引き、高値で自分を売りつけたいだけの話なのである。

 

合流新党の方は無所属議員も加えて衆参150人程度になると言われているが、「玉木新党」の方は全く目途が立っていない。毎日新聞(8月22日)によれば、国民民主の合流新党不参加9人の中で「玉木新党」入りを明言したのは僅か3人にとどまり、京都の前原氏をはじめ残り6人は「目下行先不明」なのである。新党が公職選挙法上の政党要件を満たすには、「国会議員5人以上」の参加が必要になる。また、政党要件を満たさなければ政党助成金も受け取れない。この事態は、「分党表明」をすれば相当数のメンバーが付いてくると見込んでいた玉木氏には「想定外」だったのではないか。

 

「議員は選挙に落ちればタダの人」と言われるように、国民民主にとっては次の国会議員選挙での当選が至上目的となる。国民民主が一定の政党支持率を確保しているのなら話は別だが、泡沫政党張りの1%程度では当選はとうてい覚束ない。前原氏とともに旧民主を分裂させて希望の党を立ち上げた連合の神津会長までが合流新党に前向きなのは、現状のままでは民間企業系産業別労組の出身議員の当選が危うくなり、延いてはそれが連合分裂の引き金になりかねないからだ。

 

とはいえ、政権交代のためには「大きな塊」が必要だと延々と繰り返してきた野党結集の旗印はもはや色が褪せている。コロナ危機のもとで果てしない合流話を繰り返してきた立憲民主と国民民主に対しては、国民の多くが呆れ果て匙を投げているのである。今回の合流新党の印象も「大山鳴動して鼠一匹」どころか、「大山鳴動せずして子ネズミ一匹」程度のインパクトしか与えていない。その証拠が各紙の世論調査にもあらわれている。

 

8月22日実施の毎日新聞世論調査では、「立憲民主党と国民民主党が合流して新党を結成する見通しです。この新党に期待が持てますか」との質問に対して、「期待が持てる」17%、「期待は持てない」68%だった。政党支持率は立憲民主9%、国民民主2%で前回と変わらずだった。

 

8月22~23日実施の共同通信世論調査の結果は、「国民民主党が立憲民主党との合流方針を決めました。合流する新党は140人を超える規模となる見通しですが、国民民主党の玉木雄一郎代表らは参加しない意向を表明しています。貴方は新党に期待しますか、しませんか」との質問に対して、「期待する」22.0%、「期待しない」67.5%だった。政党支持率は立憲民主党6.9%(前回6.3%)、国民民主党1.5%(同1.5%)だった。

 

いずれの世論調査も7割近い回答者が「新党に期待しない」と表明しており、この結果は野党への期待がいまや地に堕ちてしまっていることを示している。これでは前途多難と言うほかないが、まだそれに輪をかける事態が発生した。今日8月25日の民放テレビでは、安倍退陣説の高まりに伴う次期政権の行方を占う政局分析一色となり、いつもは安倍首相のオウム返しのような発言を続けている政治評論家までが「首相退陣・総裁選挙」に言及する状況に一変した。この調子だとメディア空間はここ当分与党を中心とする政局動向に独占され、野党勢力の存在などどこかに吹っ飛んでしまいそうな雲行きだ。

 

史上最長の在任期間となった安倍政権が退陣し、新しい与党政権が誕生すれば野党の出番はなくなること請け合いだろう。新政権誕生にともないメディア空間の空気が変われば、たとえそれが自民党政権の延長であっても国民の眼には新鮮に映る。そして新政権のもとで総選挙が行われれば、与党の圧勝、野党の惨敗といった見たくない光景が現実のものになるかもしれないのである。

 

さて、野党勢力はこのような政治情勢の下でどのような戦略を立てるのか、新しい与党政権の誕生に対してそれに対抗しうる斬新な政権構想を果たして打ち出せるのか、野党勢力の存在意義が今ほど問われている時はない。(つづく)

安倍政権の要職、官房長官と幹事長が連携して次期政権抗争の先陣を切る構え、立憲民主・国民民主の合流新党は国民の期待に応えられるか、安倍内閣支持率下落と野党共闘の行方(42)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その219)

 安倍政権の要職にある菅官房長官と二階自民党幹事長が安倍政権に見切りをつけて連携し、先陣を切って次期政権抗争に乗り出した。時事通信は8月15日、「二階、菅氏の接近鮮明=自民総裁選で連携か」との最新ニュースを次のように伝えている。

「自民党の二階俊博幹事長と菅義偉官房長官の接近ぶりが目立ってきた。互いに政治家としての手腕を高く評価する発言を繰り返し、地方創生を掲げ9月に発足する議員連盟の呼び掛け人に共に名を連ねた。党と内閣の要をそれぞれ担う実力者は、安倍晋三首相の後継を選ぶ次期総裁選での連携を視野に入れているとの見方も出ている」

「両氏の利害が重要局面で一致したのが、昨年9月の自民党役員人事だ。首相は早くから自身の『後継』と見定めていた岸田文雄政調会長を二階氏に代えて幹事長に据えようとしたが、二階氏側が反発。二階氏の「政権の重し」としての役割を重視する菅氏もこの人事案に反対し、最終的に二階氏続投で落ち着いた経緯がある。 首相の総裁任期は残り1年余りとなり、石破茂元幹事長と岸田氏の争いが前哨戦の様相を呈しているが、いずれも支持に広がりを欠く。こうした中、菅氏は『第3の候補』として存在感を増しつつある。実際、二階派議員は菅氏が後継争いに名乗りを上げれば二階氏が支持に回るとの見方を示し、〈『菅首相』なら二階氏は幹事長続投だ〉と期待を隠さない」

 また、毎日新聞はかねてから菅・二階両氏の動向について注目していたが、最近になって両氏の接近が次期政権抗争に絡んだものとの観測記事を連打している。「『令和おじさん』でポスト安倍候補、菅氏 再び存在感、Go To 主導し浮上」(8月7日)及び「菅・二階氏 互いに活用、『ポスト安倍』候補再浮上、幹事長続投狙い後押し」(8月22日)の記事がそれである。

周知の如く、菅氏は安倍政権の成長戦略である観光立国政策の推進に深くかかわり、その進行管理の責任を負うポストにある。コロナ危機によってインバウンド需要があっけなく蒸発し、IR(カジノリゾート)誘致もほぼ絶望となった現在、Go To キャンペーン事業が中止になったり不発に終われば、菅氏の政治生命はそこで終わりかねない。だからこそ、菅氏は何を差し置いてもGo To キャンペーン事業の先頭に立たなければならず、事業推進を諦めるわけにはいかないのである。

一方、二階氏は海部内閣の運輸政務次官時代に観光業界と太いコネを築き、それ以来全国5600の旅行会社が加盟する全国旅行業協会(ANTA)の会長を30年近くも務めている業界の「ドン」である。同氏は自民党観光立国調査会最高顧問でもあり、観光業界は二階氏の強力な支持基盤となっている。Go To キャンペーン事業は、次期首班を目指す菅氏と幹事長続投を狙う二階氏の政治的結節点となっており、両氏は「Go To同盟」の固い絆で結ばれている。毎日新聞は、菅・二階両者の関係を次のように解説している。

「8月24日に連続日数が歴代最長となる安倍政権で、菅義偉官房長官(71)の存在感が再び高まっている。2019年秋以降、側近の不祥事などで影が薄まり、安倍晋三首相との『不仲説』もささやかれていたが、ここに来て『ポスト安倍』のキーマンとして再び注目を集めている。『観光業が瀕死の状況にある中で、感染対策をしっかり講じているホテル・旅館を中心に支援を行うものだ』。菅氏は6日の記者会見で、政府の旅行需要喚起策『Go To トラベル』事業の意義を強調した。(略)「菅氏自身はポスト安倍は『全く考えていない』とけむに巻き、岸田文雄政調会長や石破茂元幹事長ら有力候補とは一定の距離を置く。一方で今春以降、麻生氏や二階俊博幹事長と会食を重ね、二階氏には『とにかく政局観がずば抜けている。本当に頼りになる幹事長だ』と最大級の賛辞を贈る。秋の内閣改造や党役員人事に向けて、残留を期す二階氏と良好な関係を維持する狙いもあるとみられる」(8月7日)。

「自民党の二階俊博幹事長と菅義偉官房長官が間合いを詰め合っている。7月以降、互いをたたえる発言を繰り返し、8月20日には東京・永田町の日本料理店で会食した。安倍晋三首相の意中の人とされる岸田文雄政調会長、世論調査で人気が高い石破茂元幹事長に次ぐ第3の『ポスト安倍』有力候補に、菅氏が取りざたされ始めた。(略)コロナ対策で存在感を発揮できない岸田氏への党内評価は低迷しており、首相周辺からは『岸田氏では勝てない』との懸念も出始めた。その中で首相サイドの『次善の策』として再浮上したのが菅氏だ。『政局の読みにたけている』と定評がある二階氏も、幹事長ポスト争いを巡る岸田氏のけん制を兼ね、菅氏との距離をさらに縮めたとみられる」(8月22日)。

安倍首相を手玉に取り、政局を巧みに操る二階幹事長の行動様式は実にわかりやすい。同氏には政治哲学や政策理念など政治家として語るべき識見は皆無に近いが、自民党政権の政治基盤である観光業界や土建業界に強固な根を張っている点では群を抜いている。自民党には「惨事便乗型予算分捕り主義」ともいうべき根強い伝統があり、それを地で行く代表的人物が二階氏なのである。

二階氏の行動原則は、いったん大災害・大惨事が起れば族議員として莫大な公共事業予算を獲得し、関係業界に潤沢な資金を流すというものだ。そして、その見返りに業界から大量の票と政治資金を集め、派閥領袖としての政治力を発揮するのである。この種の政治活動はいわゆる「バラマキ政治」「利権政治」とも言われており、同氏の最も得意とする分野であることは言を俟たない。二階氏は今年6月29日、地元和歌山県御坊市においてコロナ対策についての記者会見を行い、自信たっぷりに次のような見解を披露した(紀伊民報、日高新報2020年6月29日)。

「新型コロナウイルスについては1次補正予算の組み換えで国民の皆さまに一律10万円の給付が実現したが、正しい判断だった。2次補正ではより国民の命と経済を守る具体的な政策を提示した。コロナへの対応には十分な自信を持っている。観光振興のGo Toキャンペーンをできる限り早期に実施する。全国で旅行を楽しみたいという思いは高まっている。コロナの騒動が収束すれば一挙に出掛けるはず。観光産業の先行きは心配していない」

 

菅・二階両氏が率いる「Go To同盟」がポスト安倍・次期首班のイニシアティブを握れるかどうか、目下のところはよくわからない。しかし、コロナ危機にもかかわらず(というよりはそれに便乗して)、Go To キャンペーン事業のように巨額の公金を全国にばら撒き、それを自分たちの権力基盤の増強に繋げようとするような政治勢力に政権を委ねるわけにはいかない。野党勢力が与党内の政権抗争を指をくわえて見ているようでは、国民から永久に見放される。いったい立憲民主・国民民主の合流新党はどんな政策を打ち出すのか、一刻も早い新鮮な政権構想の提起が求められる。(つづく)

退陣するしかない安倍政権の末期症状、立憲民主・国民民主の合流新党は国民の期待に応えられるか、安倍内閣支持率下落と野党共闘の行方(41)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その218)

 暫らく膠着状態にあった国民民主と立憲民主の合流話が、最近になって急に動き出した。内閣支持率が第2次安倍内閣発足以来最低レベルに落ち込む中で、安倍首相の体調が優れないこともあって、「解散間近し」との噂が国会を駆け巡っているからだ。

 

それにしても、今年に入ってからの安倍内閣の評価は地に堕ちている。新型コロナへの対応が後手々々に回り、大方の国民が呆れかえって匙を投げているからだ。例えば、今年3月から5月(2回)にかけての朝日新聞の世論調査結果をみると、「新型コロナウイルスを巡る政府の対応を評価しますか」との質問に対する回答は、3月時点では「評価する」と「しない」がともに41%で拮抗していたが、4月になると「評価する」が33%に下落する一方、「評価しない」は一挙に53%に跳ね上がった。5月後半にはこれが30%と57%になってさらに差が開き、政府のコロナ対策への国民の評価は決定的なものになったのである。

 

安倍政権にとって痛手なのは、それとともに内閣支持率が急落していることだ。内閣支持率は3月時点では「支持」41%で「不支持」38%を若干上回っていたが、4月には「支持」「不支持」が41%で横並びとなり、5月前半では「支持」33%、「不支持」47%と形勢が一挙に逆転した。そして、5月後半には「支持」29%、「不支持」52%とかってないほど大きく差が開いたのである。

 

内閣支持率下落の原因は、コロナ対策の失態ばかりではないものの、国民の最大関心事がそこにある以上、安倍政権はこれらの世論調査結果を重く受け止めるべきだった。だが、そこは経産官僚が牛耳る安倍政権のこと、コロナ対策の失態を経済対策で手っ取り早くカバーしようと考えたのであろう。1兆7千億円もの巨額のGo To キャンペーン事業を全国にばら撒けば、経済状況も少しは改善し、国民の不信感も薄れるかもしれない。暫くすれば内閣支持率も回復するかもしれない...と期待したのである。

 

安倍政権にとって経済対策は、政権を維持するために残された数少ない選択肢であり(他に打つべき施策がない)、経済対策が「安倍政権の命綱」になっている。経済回復がままならなければ政権維持が危うくなる以上、例えGo To トラベル事業によって感染が広がっても、いま即効性のある経済対策を打たなければ「政権がもたない」との政治判断が下されたのだろう。

 

だが、世間の我慢にも限度があるのではないか。その兆候はすでに各メディアの論調や世論調査にもはっきりあらわれている。とりわけ8月に入ってからというものは、安倍政権に親和的だった大手紙においてもこれまでとは打って変わった変化が出てきている。以下、産経新聞社説(8月2日)と読売新聞世論調査(8月10日)の内容を紹介しよう。

 

まず、産経の大型社説(主張)は、「政府のコロナ対応、首相は戦いの前面に立て、『Go To』は一時停止を」と論旨が極めて明快だ。産経社説がここまで言うのは、それだけ安倍政権の無為無策ぶりが目に余るからであり、このまま放置しておけば保守政権の存続にも影響するとの懸念(危機感)が強いからだろう。以下はその要旨である。

  1. 国民の信頼なくしてコロナに打ち勝つことはできない。もっと首相が前面に立つべきだ。
  2. コロナ対策の急務は、法的拘束力を伴う休業要請と補償を可能とする新型インフルエンザ等対策特別措置法の改正である。臨時国会を召集して特措法の改正を急ぐべきだ。 
  3. 読売新聞の8月世論調査(7~9日実施)の結果はさらに衝撃的だ。通常の世論調査の場合、意見の賛否にはそれほど大きな差がつくものではないが、今回の世論調査では安倍政権の政策に対して「NO」が「YES」の数倍にもなるような異次元の結果が出ている。このことは、国民が安倍政権の政策に対してもはや疑問の余地がないほど失望しており、はっきりと「NO!」を突き付けていることを意味する。以下、概況を記そう。
  4. (3)「Go To トラベル」は一時停止すべきであり、感染拡大の収束こそが眼前の課題である。キャンペーンに促された旅行者が医療体制が十分でない地方にクラスター(感染者集団)を発生させれば、これは悲劇である。
  1. 内閣支持率は37%(前回39%)、不支持率は54%(同52%)となり、不支持率は2012年第2次安倍内閣発足以降で最高となった。不支持が支持を上回るのは今年4月調査から5回連続となった。
  2. 新型コロナウイルスを巡る政府のこれまでの対応は、「評価しない」66%(前回48%)に急上昇し、2月以降6回の調査で最高になった。これとは逆に「評価する」は27%(同45%)に急落し、2月以降で最低になった。
  3. 安倍首相が新型コロナへの対応で指導力を発揮しているかについては、「発揮している」が17%にとどまり、「そうは思わない」が5倍近くの78%に上った。
  4. 政府が「Go To トラベル」を開始したことについては、「適切だった」10%、「適切でなかった」85%と桁違いともいうべき結果が出た。
  5. 野党が新型コロナウイルスへの政府の対応などを議論するため、臨時国会を速やかに開くことを求めていることについては、「速やかに開くべきだ」73%、「急ぐ必要はない」23%で3倍以上の大差がついた。

 要するに、国民はGo Toトラベル事業をはじめコロナ対応を巡る安倍政権のあらゆる政策に対して一刻も早い是正を求めている。ところが安倍首相による記者会見は、通常国会閉会翌日の6月18日を最後に7月中は1回も開かれず、8月は広島と長崎の平和式典後に毎年開く形式的な記者会見が2回あっただけ、それも質疑応答は2回あわせて僅か32分だった。

 

 この短い記者会見で安倍首相が述べたことは、(1)新型コロナへの基本対策に関しては、「感染予防、重症化予防に万全を期しながら、社会経済活動と両立を図る方針に変わりはない」と強調、(2)感染再拡大を受けた緊急事態宣言の再発例については、「再宣言を避けるための取り組みを進めていかなければならない」と否定、(3)お盆期間中の帰省については、「一律の規制を求めるものではない」として国民に万全の感染対策を要求、(4)改正新型インフルエンザ対策特別措置法については、「終息した後により良い仕組み、制度となるように検討していく」と全てゼロ回答だった。例によって、官邸官僚の書いた模範解答を読み上げただけで、首相独自のコメントや発言は何一つなかった(読売8月10日)。(つづく)

 

学校教育法の一部改正で副学長の職務・権限が強化され、大学自治の基盤である教授会権限が剥奪された、京大執行部体制においては総長イニシアティブの空洞化が一路進んだ、山極壽一京大総長の虚像と実像(その5)

 文科省大学振興課長の寄稿論文、「大学のガバナンス改革に関する学校教育法等の改正について」(『大学評価研究』第14号、2015年8月)においては、学校教育法の一部改正の意義が、(1)副学長の職務(第92条第4項関係)、(2)教授会の役割の明確化(第93条関係)に絞って紹介されている。文科省にとっては、それほど上記2項目の改正が重要だったということだろう。以下は、その解説である。

 

【副学長の職務】

 「副学長の職務については、改正前は『学長の職務を助ける』と規定されていたが、これを『学長を助け、命を受けて校務をつかさどる』と改めた。これは、学長の補佐体制を強化するため、学長の指示を受けた範囲において、副学長が自らの権限で校務を処理することを可能にし、より円滑かつ柔軟な大学運営を可能にしようとするものである」

 「今回の法改正の目的の一つは、各大学において学長がリーダーシップを発揮できるようにすることであるが、学長がすべての職務を一人でこなすことは現実的でなく、学内で適切に役割分担を行うことが重要と考えられる。今回の法改正を踏まえ、例えば、日常的な業務執行を副学長に委ね、学長が中長期的なビジョンや運営方針の策定等に注力したり、特定のプロジェクトについては副学長が責任者として実施するなど、学長と副学長が適切な役割分担を行いながら、より機動的で的確な大学運営を推進することが期待される」

 

【教授会の役割の明確化】

 「教授会については、改正前は『大学には、重要な事項を審議するため、教授会を置かなければならない』と規定されていたが、教授会は教育研究に関する事項を審議する機関であり、また、決定権者である学長等に対して意見を述べる関係にあることを明確化するため、以下のように改正した。①教授会は、学生の入学、卒業及び課程の終了、学位の授与その他教育研究に関する重要な事項で教授会の意見を聞くことが必要であると学長が定めるものについて、学長が決定を行うに当たり意見を述べるものとした(第93条第2項)。②教授会は、学長等がつかさどる教育研究に関する事項について審議し、及び学長等の求めに応じ、意見を述べることができることとした(第93条第3項)」

 「多くの大学において、本来教学に関する事項を審議すべき教授会が、大学の経営に関する広範な事項について審議を行ったり、法律上審議機関であり、法的にはその審議結果に対して直接責任を負わない教授会が、事実上議決機関として意思決定を行ったりすることで、権限と責任の一致しない状況となっていることが指摘されてきた。今回の法改正は、こうした状況を是正し、教授会の役割、特に学長と教授会との関係を明確化することを通じて、権限と責任の所在を一致させ、各大学における学長のリーダーシップの発揮や機動的な意思決定を一層促進しようというものである」

 

文科省官僚によるこのような露骨な解説が示すように、安倍政権の下では(学内リベラル勢力の後退のために)大学と文科省の力関係が決定的に変化しており、もはや法改正を阻止するようなエネルギーが大学には残っていなかったのだろう。こうして学校教育法の一部改正は、2014年6月17日に公布されるが、これは山極氏が総長に選出される直前のことであり、当然のことながら山極氏は改正条文を読んでいたはずだ。それでいて、従来に比べて飛躍的に存在感が増した副学長ポストに松本体制を支えてきた人物を指名したのはなぜか。

 

私は、山極総長の在任期間中に起った数々の学内問題への対応、例えばタテカンの一方的禁止と撤去、吉田寮寮生との話し合い拒否、退去勧告と提訴、関東軍731部隊軍医将校の学位授与検証の無視、琉球王国人骨の返還拒否などをめぐって、大学当局が「問答無用」の強硬姿勢で臨んできたことにかねがね疑問を抱いていたが、この事態の根本原因が、山極総長の組閣人事(旧体制派を理事・副学長に指名)にあることに思い至ったのはつい最近のことだ。というのは、今回の法改正によって副学長は、これまでの単なる学長補佐役から「日常業務を自らの権限で校務を処理する」ことが可能になったからである。

 

また、「学長が中長期的なビジョンや運営方針の策定等に注力したり、特定のプロジェクトについては副学長が責任者として実施するなど、学長と副学長が適切な役割分担を行いながら、より機動的で的確な大学運営を推進することが期待される」とあるが、国立大学法人京都大学の組織に関する規程によれば、第3条の2(プロボスト)に、「総長が指名する理事は、法人及び京都大学の将来構想、組織改革等に関する包括的又は組織横断的課題について、戦略を立案するとともに、策定された戦略の推進に向け、調整を図るものとする」との条項があり、湊理事・副学長が指名されている。こうして、大学の日常業務はそれぞれの理事・副学長が分担し、大学全体の将来構想や組織改革に関する戦略的課題は「プロボスト=筆頭副学長」が立案・推進するようになると、山極総長がいったいどこでイニシアティブを発揮するのかわからなくなる。

 

これに輪をかけたのが、山極総長が国立大学協会会長、日本学術会議会長の要職に就いたことだ。これらのポストをこなすための東京への出張が重なるようになると、学内問題の処理は勢い理事・副学長の手に委ねられるようになり、山極総長は役員会においても議長席に座るだけの存在、言い換えれば事後報告を受けるだけの存在になり、実質的な議論に参加することがますます困難になる。いわば山極氏は「外回り」の仕事だけになり、「内回り」のことは筆頭副学長を中心に執行されていく学内体制がいつの間にかでき上がってしまっていたのである。

 

こうして、総長イニシアティブの空洞化とともに大学ガバナンスの空洞化が一路進むようになると、京大の中での山極氏の影はますます薄くなる。山極氏がタレントまがいの講演や対談の依頼に応じ、さまざまな分野のタレント(お笑い芸人とさえ)との出版に精を出すようになったのは、京大総長としての存在感の喪失を紛らわすためであったかもしれないが、そうであれば、ご本人にとっても大学にとっても悲しいことだ。

 

 6年前、山極氏が京大総長に選ばれたとき、口勝手なことを言っていた連中に最近会う機会があった。コロナ禍のなかでもあり、いつものように喧々諤々(けんけんがくがく)の議論とはいかなかったが、結論は不思議なことに一致した。要するに山極氏は「ゴリラ研究者」であって、それ以上でもそれ以下の存在でもなかったということだ。比喩的表現として適切かどうかはしらないが、「やはり野に置けれんげ草」という句が妙に当てはまる。一同何となく納得して散会した。

ゴリラ研究だけでは大学運営ができない、組閣人事の致命的な誤り、山極壽一京大総長の虚像と実像(その4)

 

 6年前、山極氏が京大総長に選ばれたとき、学内の私の友人たちは「山極は絵になる男」「ゴリラ研究者で山男というのは面白い」「松本以外なら誰でもいい、型破りのタイプがほしい」などと、口勝手なことを言っていた。要するに、文科省の役人が真っ青になるほどの(松本氏のような)「官僚タイプ」でなければ誰でもいい――というのが学内の最大公約数であり、その世論にぴったりだったのが山極氏だったというわけだ。

 

 戦後の大学学長選は概ね学内教員の投票で選ばれてきた。一部の大学では職員が参加するとか、学生が事前投票に加わるとかの例もあったが、大方の大学では設置形態(国公私立)の如何を問わず、教員による選出がごく普通のこととして行われてきたのである。そうなると、当然のことながら教員数の多い学部が(票数が多いゆえに)大きな影響力を持つようになり、医学部、工学部、農学部などの実学系学部が幅を利かすようになる。京大では戦後14人の総長が選出されてきたが、出身学部の内訳は、文系は瀧川幸辰氏唯1人、残る13人は工学部5人、医学部4人、農学部2人、理学部2人で圧倒的に理系が占めている。しかも理学部出身の総長はごく最近のことだから、伝統的には実学系の工・農・医3学部の「たらいまわし」で総長が決められてきたのである。

 

 これに対して東大は、文系、理系のバランスを考慮して総長を選んできた(総長選挙に関わった友人から直接聞いた話)。戦後16人の東大総長の内訳は文系9人、理系7人であり、文系は法学、政治学、経済学、歴史学、人文学など多彩な研究分野にわたっている。尤も東大の文系優位の構造は、国家官僚の育成を第一義とする東大の伝統を反映したものだが、それにしても京大の実学系独占は目に余る。総合大学のガバナンスを担う総長は、文系、理系相互のバランスの上に大学運営を行うことを求められる以上、教員構成比の多数派学部である実学系学部が総長を(たらいまわしに)独占するようでは、総合大学の名にふさわしい人格と識見を持ったトップは生まれてこない。

 

 工・農・医中心の総長選に異変が生じたのは、理学部出身の尾池氏が第24代総長(2003年)に選出されたときのことだった。実学系3学部に対する学内の反感の高まりを意識してか、当時の長尾総長(工・電気)が尾池氏を副学長(教育・学生担当)に起用したことが契機になって、尾池総長の誕生につながったのだ。だが、「アンチ実学系」の動きが文系総長の誕生とまではいかず、理系少数派学部である理学部(基礎科学)にとどまったのが京大の限界だった。それでも当時の雰囲気は、尾池氏と本庶氏(医)の決選投票において、尾池氏が927票中590票(64%)を得票して本庶氏に237票の大差をつけたことでもわかるように、実学系(医学部)への反感はピークに達していた(京都大学新聞2003年9月28日)。

 

 この新しい動きが次のフェーズへと発展せず、再び旧体制(松本総長、工・電気)に回帰したのだが、松本総長が安倍政権の「大学ガバナンス改革」のお先棒を担ぎ、京大(総長選考など)がその舞台になったのは不幸な出来事だった。松本氏は、総長選考会議議長に安西中央教育審議会会長を招聘し、文科省と一体となって総長選挙廃止など「大学ガバナンス改革」を進めようとした。しかし、このことに便乗して(自らの)総長任期の延長を画策したことが命取りになり、ガバナンス改革は不発に終わり、退任に追い込まれた。

 

その反動で生まれたのが山極総長だった。尾池総長時代の自由な空気を懐かしむ世論が一気に盛り上がり、尾池氏と同じく理学部出身総長への期待が高まった。山極氏が「ボトムアップの合意形成に基づく大学ガバナンス」を掲げたことも、松本総長による「むき出しのトップダウン専決体制」との対比で人気を集めた。結果は前回の拙ブログでも述べたように、山極氏が決選投票で61%を得票し、本庶氏の共同研究者だった湊氏(医)を大差で破った。尾池氏と本庶氏の対決が10年余を経て山極氏と湊氏の対決となってあらわれ、二度も理学部候補者が医学部候補者に圧勝したことは、京大の明るい未来を感じさせるものだった。

 

ところが、山極氏は総長就任後の理事指名(組閣人事)において致命的な誤りを犯した。山極氏は体制派の候補者ではない。松本体制に批判的な学内世論を代表する候補者だった。だからこそ、京大職組を始め学内のリベラル勢力が総力を挙げて支援したのであり、山極氏がそのことを知らないはずがなかった。にもかかわらず、山極氏が理事に指名したのは松本体制を支えてきた旧体制派のボス(あるいはその同類)であり、それがその後の山極体制の抜き差しならぬ桎梏と化したのである。比喩的に言えば、この組閣人事は、総選挙で政権党となった野党(例えば民進党)が旧与党(自民党)のボスを閣僚に据えるようなものだ。しかも、官房長官は文科省官僚の指定席になっているのだから恐れ入る。

 

京都大学新聞(2020年7月16日)は次のように伝えている。

「山極氏は、ボトムアップを意識して、部局に偏りなく理事を指名。結果として、総長選の意向調査上位者が理事に名を連ねることになった。意向調査2位の湊氏(医学研究科長)が研究・企画・病院担当として、同3位の北野正雄氏(前・工学研究科科長)が教育・情報・評価担当として、同4位の佐藤直樹氏(化学研究所長)が財務・施設・環境安全保健担当として、それぞれ理事に指名された。また、人間・環境学研究科長を務めていた杉万俊夫氏が学生・図書館担当として、男女共同参画担当副学長を務めていた稲葉カヨ氏が男女共同参画・国際・広報担当として、厚生労働省出身で京都大学iPS細胞研究所特定研究員を務めていた阿曽沼慎司氏が産官学連携担当として、理事に指名された。また、総務担当理事は文科省からの出向職員が務め、清木孝悦氏、森田正信氏、平井明成氏が交代で務めた。学生担当理事は、杉万氏が体調を理由に2015年9月末をもって退任したことから、後任に川添信介氏(文学研究科長)が就任した。指定国立大学法人となってからは、プロボストに湊理事が指名され、執行部と部局間で企画を調整する戦略調整会議を主宰している。戦略調整会議の主導で、人文・社会未来発信形ユニットが2018年10月に立ち上げられた」

 

 この執行部人事には、救いがたいほどのゴリラ研究者の弱点(限界)があらわれている。山極氏のいう「ボトムアップ」はこの程度の認識であり、ゴリラ社会の「みんな仲良し」を地で行くような話でしかない。人間社会の矛盾をゴリラ研究の視点から面白おかしく描写するのは(エッセイとしては)楽しいかもしれないが、高度で複雑な知識と経験を要する大学運営をその程度の知識でマネジメントできるなどと思うのは、幼稚な幻想にすぎない。少数派といえども(少数派であればこそ)学内情勢に関するリアルな政治的分析力を持ち、学内のパワーバランスを熟慮して大学運営に当たらなければ直ちに足をすくわれる。山極氏にとってはその第一歩が執行部体制の構築であり、7名の理事指名は最初にして最大の課題であったはずである。

 

 同時に、この時機は大学を取り巻く情勢も激変していた。松本総長が安倍政権で進行中の「大学ガバナンス改革」を先取りして京大の構造改革を推進しようとしていたことは、山極氏も百も承知だったはずだ。文部科学省の諮問機関である中央教育審議会(安西祐一郎会長、当時)が2013年12月24日に「大学のガバナンス改革の推進について」(審議まとめ)を公表し、文科省ではそれに基づいて直ちに「学校教育法及び国立大学法人法の一部を改正する法律案」を作成し、2014年4月25日に閣議決定、同日に第186国会に提出して可決され、6月27日に公布、2015年4月1日から施行された。

 

 法改正の趣旨については、文科省高等教育局大学振興課長が詳しい解説を『大学評価研究』第14号(2015年8月)に載せている。

 「今回の法改正は、これまでややもすれば権限と責任が一致せず、機動的な意思決定ができないと批判されてきた大学の組織運営の在り方を改善し、学長のリーダーシップの下で戦略的に大学を運営できるガバナンス体制を構築することによって、大学がその教育研究機能を最大限に発揮することができるようにすることを目指し行われたものである」

 山極総長が指名した7名の理事の下で、総長のリーダーシップがどのように発揮されたのか、次回でみよう。(つづく)