政党は社会とのキャッチボールの中でこそ育てられる、党内外の多様な交流を妨げる「民主集中制」はその障害物でしかない、第29回党大会では「開かれた党規約」への改定が求められる、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その7)、岸田内閣と野党共闘(72)

 「革命政党」を標榜する共産党が、社会の〝前衛〟として大衆を導き、階級闘争を指導する時代はいまや遠くに去ったのではないか。大衆社会が〝市民社会〟へと発展し、国民一人ひとりの自発的意思に基づく世論が形成され、無党派層が政党支持層全体の半数に近い最上位を占める今日、政治情勢が極めて流動化しかつ多様化していることは周知の事実だ。このような情勢の下では、かってのような「自共対決」方針のもとに革新勢力を結集し、民主連合政府を樹立しようとする政権構想はもはや期待すべくもない。時代の流れに相応した新たな政権構想が求められる所以である。

 

 この間、共産党が従来方針から一転して「市民と野党共闘」路線に転換したのは、一つには長期にわたる党勢後退の下では「自力」による政権構想の実現が不可能になったからであり、もう一つは市民社会の成熟にともなう「市民と野党共闘」路線に新たな可能性を感じ取ったからであろう。ただ問題なのは、共産党には路線転換にともなう党内改革への認識が乏しく、それに必要な措置が何らとられなかったことだ。本来なら、これほどの大きな路線転換は党綱領や規約の改定を必要とする戦略的転換である以上、「臨時党大会」を開催するなどの措置がとられなければならなかった。しかし、そこまでの認識がなかったのか、それともその必要性を認めなかったのか、それ以降の政治方針は従来の延長線上で進められてきた。そこには、長期にわたる「自力衰退=党勢後退」についての踏み込んだ総括もなければ、変幻極まる野党共闘についての戦術的分析もなかったのである。

 

 要するに、共産党は「自共対決」路線から「市民と野党共闘」路線に舵を切ったものの、それに対応する党組織や党運営は旧来のままだったために新たな事態に対応できず、新しい路線を持続的に展開することができなかった。そうこうするうちに事態に対応できない党指導部への不信感が高まり、それが現役党員2人による「党首公選制」の提起となって表面化した。いわば、「新しい政治情勢」の下で「新しい党運営」が求められていたにもかかわらず、それが党指導部の共通認識とならなかったところに「ほころび」が生じたのである。加えて、それへの対応が当該党員の〝除名〟という最悪の形になったことで、事態はさらに紛糾することになった。

 

 「党首公選制」を主張した現役党員に対する反論は、当初、赤旗編集局次長の見解(2023年1月21日)として公表され、当該党員の言動は(1)「党の内部問題は党内で解決する」という党の規約を踏み破るもの、(2)党内に「派閥・分派はつくらない」との原則と相いれないとされ、後に志位委員長が追認する形を取った。しかしその後、メディア各紙から〝除名〟は共産党の閉鎖的体質をあらわすものとして批判され、それが「民主集中制」という組織原則そのものの権威主義的非合理性を指摘するに及んで激しい論争に発展した。

 

 朝日社説(2月8日)は「共産党員の除名、国民遠ざける異論封じ」、毎日社説(2月10日)は「共産の党員除名、時代にそぐわぬ異論封じ」との見出しで次のように論じた。

――党勢回復に向け、党首公選を訴えた党員を、なぜ除名しなければならないのか。異論を排除するつもりはなく、党への「攻撃」が許されないのだというが、納得する人がどれほどいよう。かねて指摘される党の閉鎖性を一層印象づけ、幅広い国民からの支持を遠ざけるだけだ(朝日社説)。

――組織の論理にこだわるあまり、異論を封じる閉鎖的な体質を印象付けてしまったのではないか。共産党が党首公選制の導入を訴えたジャーナリストで党員の松竹伸幸氏を除名とした。最も重い処分である。今回の振る舞いによって、旧態依然との受け止めがかえって広がった感は否めない。自由な議論ができる開かれた党に変わることができなければ、幅広い国民からの支持は得られまい(毎日社説)。

 

両紙は、党首公選制は「決定されたことを党員みんなで一致して実行する」「党内に派閥・分派はつくらない」という〝民主集中制〟の組織原則に反するという党規約の特異性についても言及している。

――共産党は、党首選は「党内に派閥・分派はつくらない」という民主集中制の組織原則と相いれないという立場だ。激しい路線論争が繰り広げられていた時代ならともかく、現時点において、他の公党が普通に行っている党首選を行うと、組織の一体性が損なわれるというのなら、かえって党の特異性を示すことにならないか(朝日社説)。

――共産は党首公選制について、決定されたことを党員みんなで一致して実行するという内部規律「民主集中制」と相いれないと説明する。機関紙「赤旗」は、複数の候補者による多数派工作が派閥や分派の活動につながると指摘した。この独自の原理には、戦前に政府から弾圧され、戦後間もない頃には党内で激しい路線闘争が繰り広げられた歴史的背景がある。だが、主要政党のうち党首公選制をとっていないのは今や、共産だけだ。松竹氏の提案は、「異論を許さない怖い政党」とのイメージを拭い去る狙いがあるという。「公然と党攻撃をおこなっている」との理由で退けて済むは問題ではないはずだ(毎日社説)。

 

 これに対する共産党の反論は、それ以降「赤旗キャンペーン」として事あるごとに打ち出され、最近では「語ろう共産党Q&A」シリーズの中でも精力的に展開されている(赤旗10月20日、要約)。

 ――「異論許さぬ閉鎖的な体質」ってホント? 共産党こそ開かれた民主的運営を貫いています。「異論を許さない」というのは事実と違います。異論があったら、党内で自由に意見を述べる権利は、すべての党員に保障されています。除名された元党員は、異論を持ったから除名されたのではありません。異論を正規のルールにしたがって党内で表明することを一度もせずに、いきなり出版という形で、党の規約や綱領に対する事実に反する批判―攻撃をしてきたために処分されたのです。

 ――志位さんの在任期間が長すぎる? 意図的に持ち込まれた議論、党全体ではね返します。他の野党に比べれば、志位委員長の在任期間が長いのは事実です。しかし、「長い」ことのどこが問題だというのでしょうか。批判する人たちは「選挙で後退した」「党勢が後退した」といいますが、日本共産党は民主的討論を通じて方針を決め、全党で実践しますから、「志位さんだけのせい」ではありません。つまりこの攻撃は日本共産党そのものに対する攻撃というべきです。

 ――なぜ、共産党はこんなにバッシングされるの? 一言でいえば、日本共産党が日本の政治を「大本から変える」ことを大方針に掲げている革命政党だからです。古い政治にしがみつく勢力にとっては、もっとも恐ろしく手ごわい相手だからこそ、激しいバッシングが起きるのです。党が躍進するたび、支配勢力は謀略的反共宣伝や右翼的政界再編で阻もうとしました。それとのたたかいで、党は鍛えられてきましたし、いまもその途上です。

 

 しかし、共産党の「異論許さぬ閉鎖的な体質」の根源となっている〝民主集中制〟という組織原則については、共産党自身がこれまでも党規約の改定という形で「表現」を変えるなど一定の努力をしてきたことに注目しなければならない。それが、不破委員長の下で行われた第22回党大会(2000年11月)の「党規約改定案についての中央委員会の報告」である。不破委員長は、第1に党の性格規定を(マルクス、エンゲルスもこの言葉を一度も使ったことがないとして)「日本の労働者階級の前衛政党」を削除して「労働者階級の党であると同時に日本国民の党」に改訂し、第2に、組織原則である「民主集中制」については、「党の決定は無条件に実行しなければならない。個人は組織に、少数は多数に、下級は上級に、全国の党組織は党大会と中央委員会にしたがわなければならない」との条項を削除して、その基本的内容を「(1)党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める。(2)決定されたことは、みんなで実行にあたる。行動の統一は、国民に対する公党としての責任である。(3)すべての指導機関は、選挙によってつくられる。(4)党内に派閥・分派はつくらない。(5)意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない」との5つの柱に集約した。

 

 改定の理由は、(1)従来の「日本共産党は労働者階級の前衛政党である」との規定が、農民や中小自営業者、知識人などから「自分たちとは関係のない政党」だとみなされるため「日本国民の党」を併記する、(2)「前衛」という言葉は、党と国民との関係あるいは党とその他の団体との関係を「指導するもの」と「指導されるもの」との関係だと誤解される恐れがあるので削除する――というものである。不破委員長はその背景と意図を「日本共産党と日本社会の関係が大きく変わったことに対応したもの」であり、「日本社会の全体との対話と交流を広げる」「民主主義、独立、平和、国民生活の向上、そして日本の進歩的未来のために努力しようとするすべての人びとに党の門戸を現実に開く」「21世紀の早い時期に民主連合政府をつくるという大事業を担いうる、大きな、民主的な活力に満ちた党をきずき上げる力になる」と説明している。

 

私は改訂理由のなかでも、とりわけ「日本共産党と日本社会の関係が大きく変わったことに対応したもの」「日本社会の全体との対話と交流を広げる」という一節に注目する。このフレーズには2つの意味がある。第1は、これまで「少数政党」であった共産党が、1960~70年代の革新勢力の躍進にともなって国政に一定の影響を与える政治勢力に成長した結果、そこから新たな発展を目指すためには広く国民に受け入れられるように「党の性格」を変えなければならないとする側面である。第2は、ソ連・東欧の共産党政権の崩壊や中国共産党の天安門事件の武力弾圧などによる影響で激減した党勢を立て直すため、ソ連・中国共産党との同一名称を避け、差別化を図ろうとする側面である。このことは、党の存亡に関わる事態に直面したときは、共産党が党組織の原則である〝民主集中制〟を大胆に変えることを示している。ならば、志位委員長の就任以来、長くに亘って続いてきた構造的な党勢後退がもはや限界(存亡の危機)に達している現在、〝民主集中制〟に代わる開かれた組織原則が設けられても何ら不思議ではない。

 

 今回の党員除名問題で私がもっとも不思議に思うのは、党規約にも書かれていない「党首公選制」の提起が、なぜ「党内に派閥・分派をつくらない」という党規約に違反するのかということだ。「党首公選制」を導入すれば複数候補が並立することになり、それが「派閥・分派」の結成につながる――といった理屈は、党員や支持者はもとより一般国民が聞けば一笑に付される程度の屁理屈でしかない。複数の候補者間で党組織や党運営、政策などについて議論が交わされ、それが党外にも広がれば、むしろ共産党への理解が深まり「日本社会全体との対話と交流を広げる」ことになるからである。

 

志位委員長は、第22回党大会(2000年11月)の不破委員長の「党規約改定」に臨んだ姿勢に学び、第29回党大会(2024年1月)においては〝民主集中制〟そのものの廃棄に踏み切り、党内外の対話と交流を促進する「開かれた党規約=組織原則」を制定すべきではないか。そうでなければ、ただ党委員長ポストにしがみ付くために「党首公選制」に反対するだけの〝末期的リーダー〟の烙印を押されるだけだ。(つづく)

党中央主導の「民主集中制」は半ば崩壊している、党勢拡大大運動は「笛吹けども踊らず」で成功しない、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その6)、岸田内閣と野党共闘(71)

 小池書記局長の「緊急の訴え」(赤旗10月21日)、「オンライン全国都道府県委員長会議への問題提起」(11月4日)に引き続き、今度は志位委員長のオンライン会議での「発言」が赤旗に大々的に掲載された(11月5日)。そこでは、「第一の手紙」に引き続いてなぜ「第二の手紙」を出すのか、それをどうやって全党運動に発展させるかについて、党機関(都道府県委員会)の果たすべきイニシアティブが繰り返し強調されている。最大の理由は、党中央主導の党勢拡大大運動が「笛吹けども踊らず」といった膠着(泥沼)状態に陥り、いっこうに進展しないからだ。小池書記局長の「緊急の訴え」とオンライン会議当日の「志位委員長の発言」をみよう。

――直視すべきは、今週に入って取り組みの勢いが落ちていて、福岡県のように連日成果をあげている先進的経験が生み出されている一方、10月に入って入党ゼロの県も10県ある。読者拡大も全国的に先週とほぼ同水準で推移しており、先週も今週も9月に比べて変化がないという県も少なくない。この事態をそのままにしておくならば、党大会現勢の回復・突破は言葉だけになってしまう。とりあえず掲げているだけになってしまう。ましてや、党大会まで3カ月、9中総を受けてギアチェンジしなければならないのに、結局先月と同じような結果になりかねない(小池書記局長「緊急の訴え」)。

 ――「大運動」を7月、8月、9月と3カ月やって、前進に向けた「土台」はつくったが、飛躍はつくれていない。毎月、党員拡大に足を踏み出している支部は2割弱で、2割にいかない状態がずっと続いている。読者拡大もだいたい2割~3割の成果によって支えられている。これでは前進もなかなかで飛躍はつくれない(志位委員長「1回目の発言」)。

 ――10月に1人も党員を迎えていない地区委員会は、全国で84あります。内田(福岡)県委員長は「譲らないときは絶対に譲らない」という決意で頑張っていると言っていましたが、この姿勢が大事だと思います。「譲らないときは絶対に譲らない」、いろいろな困難や消極的な意見が出されたときに丁寧にそれを返しながら、確固として推進する思想的に強い党をつくっていく。反共攻撃に断固として立ち向かうことはもとよりですが、党建設という一番困難な課題を推進していくうえで、一切の消極論、さまざまな惰性を吹っ切って本当の意味で強い党をつくっていく。その中心に県委員長のみなさんがなっていただきたいと思います(志位委員長「2回目の発言」)。

 

 この「訴え」と「発言」から見えてくる光景は、今年1月から始められた党勢拡大大運動が1万7000支部・グループの2~3割にしか浸透せず、第29回党大会を2カ月余に控えた10月においても47都道府県のうち10県(2割)が「入党ゼロ」、全国311地区委員会のうち84地区委員会(3割弱)が「入党ゼロ」という、荒涼たる風景が広がっているというものである。要するに、党中央がどれだけ必死になって訴えても(締め付けても)、全国支部の7~8割は「笛吹けども踊らず」という状態でダンマリを決め、それを指導する県委員会や地区委員会の2~3割が動かない状態にあるということだ。このことは、共産党の組織原則であり行動原理である「民主集中制」が半ば崩壊していることを示すものではないか。

 

 ところが、志位委員長はこう「決意」を述べる。

 ――党組織の後退が長期にわたって続いてきた。これをいかにして前進に転じるか。みんなで考え出した結論が、支部の自発的なエネルギーに依拠しようということでした。一切の惰性を吹っ切るのだといって始めた運動が「手紙」と「返事」のとりくみです。この運動こそが本当に強い党をつくる唯一の道なんだということに思いを定めて出したのが、7中総の「第一の手紙」であり、9中総の「第二の手紙」なのです。この方針にとことん依拠して党大会までの2カ月間、頑張りぬきたい(「2回目の発言」)。

 

 志位発言の趣旨は、「第一の手紙」で前進に向けた「土台」をつくったが、「第二の手紙」で「飛躍」させたいというものだ。しかし、前回の拙ブログでも指摘したように、「第一の手紙」が提起された今年1月から「第二の手紙」の10月までの党勢の推移を見ると、党員数(入党者数-死亡者数-離党者数)は実質的にマイナスとなり、赤旗読者数も5万人近く減っている。「土台」は依然として崩れたままであり、「飛躍」出来るような状態ではさらさらないのである。

 

 そこで志位委員長が持ち出すのが、「中央と地方が心一つに『第二の手紙』のとりくみを徹底してやり抜く」という方針である。私が注目するのは、この発言のなかに「中央」という言葉が11回も出てくることだ。「中央として推進」「中央のキャンペーン」「中央としてニュースをどんどん出していきたい」「全国の経験を中央に送ってほしい」「中央としてみなさんに返す」「中央と地方のみなさんが力を合わせてやり抜きたい」「一切の惰性を中央から一掃する決意」「中央も反省」などなど、まるで自分が「党中央の化身」であり、中国共産党で言えば「習近平=党の核心」であるかのように振舞っているのである。

 

 しかし、日本の政党組織をみると、志位委員長が連呼する「中央」という名称を使っているのは共産党ぐらいのもので、それ以外ではほとんど見られない。志位委員長がこれだけ「中央」の威光をかざすのは、「民主集中制」に基づく上意下達の党運営が「中央」という名称の裏付けになっていたからであり、今もなお有効だと信じているからであろう。この点で最も有名なのは中国共産党組織で、そこには「中央委員会」「中央軍事委員会」「中央委員会総書記」「中央政治局常務委員会」「中央政治局」「中央書記処」などなど「中央」がオンパレードで並んである。中国は共産党が全ての権力を一手に掌握している専制主義国家であり、それを象徴するのが「中央」という名称だ。国家権力と政党組織が「中央」という名のもとに統合され、比類のない中央集権国家が出来上がっている。中国を覇権主義国家として批判している日本共産党が、こと党組織に関しては中国と同じ「中央」という名称を重用しているのは、案外その体質が共通しているからなのかもしれない。

 

 また「中央と地方」という表現も、わが国では国と地方が「上下・主従関係」にあったことを反映する言葉だ。本来、対等協力の関係に置かれるべき国と地方が、機関委任事務制度と補助金の仕組みを通じて「上下・主従関係」に置かれ、上級機関としても国家が下級機関としての地方公共団体(都道府県、市町村)を支配してきたのである。共産党の組織もこれと同じく「中央→都道府県委員会→地区委員会→支部」というピラミッド型で構成され、「民主集中制」に基づく指揮命令系統が隅々にまで行き渡るシステムとして機能してきた。

 

 志位委員長は、長期にわたって続いてきた党組織の後退を前進に転じるためには、〝支部の自発的なエネルギー〟に依拠するしかないと表明している。だとすれば、全国支部を起点とする「なぜ党組織は長期にわたって後退を続けてきたのか」という議論からまず始めるというのが筋というものだ。ところが、口先では「支部の自発的エネルギー」に依拠すると言いながら、実際には「中央」という言葉を連呼して「譲らないときは絶対に譲らない」「一切の消極論、さまざまな惰性を吹っ切って本当の意味で強い党をつくっていく」「その中心に県委員長のみなさんがなっていただきたい」と上からの指示の必要性を強調するのである。いわば「建前」と「本音」を巧妙に使い分け、党員や支持者には「建前」を語り、党機関には「本音」で指示を出してその実行を迫っているのである。

 

 だが、今ではもはや岸田首相の言葉を国民の誰もが信じないように、志位委員長の言葉を真に受ける党員や支持者はほとんどいないだろう。全国支部の2~3割しか党勢拡大大運動に参加していないことは、7~8割という圧倒的多数の支部が方針を支持していないことを意味する。「民主集中制」という上意下達システムは半ば崩壊しているのであり、志位委員長が「壊れたマイク」の前でいくら声を張り上げても、もはやその声は届かなくなっているのである。

 

聞くところによれば、志位委員長は第29回党大会を前にして「130%の党づくり」の失敗をもはや言いつくろうことができず、委員長ポストから退かざるを得ない状態に追い込まれているという。ところが、きれいさっぱりと政界から身を引くのではなく、(これも噂にすぎないが)委員長ポストを退く代わりに、空席の「議長」に居座ることを考えているとも言われる。こうなると、今の党内事情からして「志位院政」が敷かれることは目に見えていて、これからも従来からの悪弊が続くことになる。「立つ鳥跡を濁さず」という美しい言葉があるが、志位委員長にはせめてもこの言葉の如く「有終の美」を発揮してほしい。(つづく)

人口減少時代における「持続可能型モデル」の必要条件、「民主集中制」(党規約)の廃棄と党首公選制の実現が求められる、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その5)、岸田内閣と野党共闘(70)

本論に入る前に、党勢拡大大運動の直近の進捗状況をみよう。赤旗(11月3、4日)によれば、小池書記局長は全国都道府県委員長会議(オンライン)で10月の党勢拡大の到達点について「党員拡大は680人、機関紙拡大では日刊紙(電子版含む)は前進、日曜版は123人の後退」と報告した。ちなみに、今年1月から9月までの拡大運動の成果(赤旗で各月3,4日掲載)はすべて実数で報告されてきたが、今回は日刊紙だけがなぜか「前進」というあいまいな表現になっている。実数を公表できない裏に何があるのかわからないが、統計数字に基づかない分析などあり得ない以上、今回の報告はそれだけで「失格」というべきだろう。

 

これらのことを前提に、今年1月から10月までの拡大成果を合計すると、入党4364人、日刊紙(電子版含む)7582人減+「前進分」、日曜版4万1049人減となる。10ヶ月を通してみれば、日刊紙は増紙3カ月と減紙7か月、日曜版は増紙2カ月と減紙8ヶ月となって、その後退傾向は覆うべくもない。以下は、各月の結果である。

・1月、入党391人、日刊紙339人減、日曜版208人減、電子版86人増

・2月、入党470人、日刊紙203人増、日曜版2369人増、電子版2人減

・3月、入党342人、日刊紙1197人減、日曜版8206人減、電子版26人増

・4月、入党146人、日刊紙4548人減、日曜版2万3104人減、電子版8人減

・5月、入党230人、日刊紙945人減、日曜版7048人減、電子版11人増

・6月、入党234人、日刊紙628人減、日曜版3930人減、電子版60人増

・7月、入党641人、日刊紙約40人増、日曜版247人増、電子版約20人増

・8月、入党621人、日刊紙247人減、日曜版448人減、電子版18人増

・9月、入党609人、日刊紙170人減、日曜版598人減、電子版37人増

・10月、入党680人、日刊紙・電子版「前進」、日曜版123人減

 

すでにこうなることを予測していたのか、小池書記局長は10月20日、「緊急の訴え」(赤旗10月21日)で次のように述べている(要約)。

 ――昨日までの党勢拡大の現状は、9月同日に比べて入党申し込み者113%、日刊紙112%、日曜版121%。「130%の党」への「第1ハードル=党大会現勢の回復・突破」のためには、このテンポを5倍、10倍に引き上げることが必要。直視すべきは、今週に入って取り組みの勢いが落ちていて、福岡県のように連日成果をあげている先進的経験が生み出されている一方、10月に入って入党ゼロの県も10県ある。読者拡大も全国的に先週とほぼ同水準で推移しており、先週も今週も9月に比べて変化がないという県も少なくない。

 ――この事態をそのままにしておくならば、党大会現勢の回復・突破は言葉だけになってしまう。とりあえず掲げているだけになってしまう。ましてや、党大会まで3カ月、9中総を受けてギアチェンジしなければならないのに、結局先月と同じような結果になりかねない。

 

党勢拡大報告で注意すべきは、赤旗読者数は増減数が示されているが、党員数は入党者数のみで死亡者数と離党者数がわからないことだ。ただし、2000年代から党大会ごとに死亡者数が公表されるようになり、第22回党大会(2000年11月)から第25回党大会(2010年1月)までの9年2カ月間の死亡者数は3万3532人、第25回党大会から第28回党大会(2020年1月)までの10年間は4万5539人である。ここから年平均死亡者数を割り出すと、2000年代は3657人、2010年代は4554人となる。党員数の減少にもかかわらず死亡者数が着実に増えているのは、高齢者比率の上昇によるものであり、2020年代の年平均死亡者数が5000人を超えることはまず間違いないだろう。

 

一方、離党者数については一切公表されていないので推測するほかないが、志位委員長の幹部会報告(赤旗2022年8月2日、23年1月6日)によれば、2023年1月の党員現勢は約26万人で、2020年1月の27万人余から3年間で1万人余減少したことになっている。この間の新入党者は1万1364人なので、差引すると死亡者数・離党者数は2万2千人余(年平均7600人余)と推定され、年平均死亡者数を5000人とすれば離党者数は年平均2600人程度になる。

 

 要するにここで言いたいことは、党勢拡大報告における入党者だけの公表は一種の「大本営発表」(戦況を正確に報道せず、「勝った」「勝った」の数字ばかりを並べた旧日本陸軍の宣伝活動)のようなもので、赤旗だけを読んでいると如何にも党員数が増えているような錯覚に陥るが、死亡者数と離党者数という「背後の数字」と読み合わせると、今年の入党者数が後2カ月の奮闘で6000人台に到達したとしても、党員数は2000人台の減少になることは免れない。

 

随分前置きが長くなってしまったが、本論に入りたい。さすがの赤旗も「𠮟咤激励」ばかりでは効果が出ないとでも考えたのか、「緊急の訴え」から2日後の赤旗(10月23日)には、「食べて歌って語ったJCBサポーターまつり」の特大記事が掲載された。1面トップの見出しは〝楽しく政治を変えたい〟というもの。紙面の随所に「対話」「問いかけ」「トーク」「若者を引き付ける発信」など見出しが溢れ、小池書記局長や田村副委員長がハッピを着て盆踊りの輪に加わる姿や、志位委員長が蝶ネクタイのバーテンダー姿でカクテルをつくる写真なども大きく出ている。この間、党勢拡大大運動を推進するには「鬼気迫る提起」や「革命政党の気概」が必要だとして、赤旗はまるで戦時体制下を思わせるような檄文で紙面を埋め尽くされていた。ところがこの日は紙面がガラリと変わり、「食べて歌って楽しく政治を語る」場となったのである。連日の党勢拡大運動に追われてきた赤旗読者は、いったいどのような気持ちでこの特大記事を受け止めたのだろうか。

 

 先日、久しぶりに集まった関西の口喧しいオールドリベラリストたちの間でも、蝶ネクタイ姿の志位委員長の姿をどう見るかで議論が大いに盛り上がった。「志位嫌い」を自認する某は、「あれは単なる人気取りのパフォーマンスだ。見苦しいと思わないか!」と一言の下に切って捨てたが、別の1人は「それでも彼は苦労している。そうでもしないと人が集らないからだよ」と案外同情的だった。議論はこの2人の間でとめどもなく行き来したが、ふだん見慣れない雰囲気がわれわれ(シニア世代)に複雑な気持ちを抱かせたことは間違いない。「なんだかすっきりしない」「こんなことをこれからもやるんだろうか」などなど、帰り際に図らずも交わした言葉がいみじくもそのことを物語っていた。

 

 「衣の下の鎧(よろい)」という言葉がある。戦いを前にすでに鎧で身を固めながら、その上に衣をまとって普段と変わらない平静さを装うという「演出=パフォーマンス」を意味する言葉だ。私はその場では口に出さなかったが、彼らの議論を聞きながらあれこれとこの言葉の意味を考えていた。なぜなら、志位委員長らが党内では「鎧姿」の党勢拡大一本やりの厳しい姿勢で臨みながら、党外のサポーターの前では蝶ネクタイのバーテンダーというソフトな「衣姿」で登場しなければならない状況に、いまの共産党が直面している深刻な矛盾(裏と表を使い分けなければならない党内と党外のズレ)があらわれていると感じていたからである。

 

 もう少し詳しく説明しよう。志位委員長を取り巻く目下の厳しい状況は、党勢拡大を基調とする「成長型モデル」がもうとっくの昔に破綻しているというのに、その現実を直視すれば政治方針上の誤りを認めることになり、自分への責任追及はもとより延いては「民主集中制」に基づく党体制の瓦解へ波及する恐れがあるため、党内ではハードな「鎧姿」でいつも通りの方針を繰り返さざるを得ない――というものである。といって、「鎧姿」では党外のサポーターにアピールするはずもないので、蝶ネクタイのバーテンダーという「衣姿」を装って変身し、「対話」や「問いかけ」をするというソフトな演出をすることになったのだろう。つまり、現在の世の中の流れに合わせようとすれば、対話や問いかけを通して市民に働きかけるほかなく、赤旗で連日強調しているような「鬼気迫る提起」や「革命政党の気概」はもはや通用しなくなっていることが明らかなのである。

 

 こんな党内と党外の「ズレ」を放置したままでは、それが「大きな壁」となり「高いハードル」となって党勢拡大運動が難渋することは目に見えている。その所為か、最近では2カ月後の次期党大会を目前にして、これまで掲げてきた「(前大会比)130%の党づくり」の目標がいつの間にか「130%の党への第一ハードル=党大会現勢への回復・突破」に切り下げられ、新たな大号令が発せられるようになった。しかし、それとても容易でなくなってきている現状の下では、「3割増の党勢拡大」の目標が「1割減の党勢後退」の実績に終わる可能性が極めて大きい。これを次期党大会でどう総括するかは目下のところ不明だが、もしもいつもの調子で「政治方針は正しかったが、党内のやる気が足りなかった」との説明で切り抜けるようなことがあれば、党内は乗り切れても党外からは「もう終わり」と切り捨てられることが確実だろう。

 

これは「イフ?」の話であるが、党内外を通して「志位体制支持率」の世論調査が行われれば、おそらくその支持率は岸田内閣の支持率と同じく(地を這うような)史上最低の水準にあることが判明するに違いない。この意味で〝党首公選制〟は政党党首の適格性を判断するための不可欠のシステムであり、これなくしては独裁体制の恒常化を防ぐことができない。また、党首公選制を実現するには「民主集中制」を組織原則とする党規約の刷新(廃棄)が前提となる。戦時共産主義体制下の軍事命令を根源とする「民主集中制」が(文面を少し変えただけで)いまなお共産党の組織原則・行動原理として機能していることには驚くほかないが、それをあれこれの理由を挙げて維持しようとする権威主義的体質にはさらにのけぞるというものだ。窺った見方をすれば、志位委員長が党首公選制を(あくまでも)忌避するのは、それが自らの(低)評価につながり、退陣に結びつくことを恐れているからではないか――とも言える。

 

「持続可能型モデル」とはどんなものか。一口で言えば、赤旗がJCBサポーターまつりで掲げた〝楽しく政治を変えたい〟ということを本気で目指す政党づくりのことだと考えてよい。言い換えれば、「成長型モデル=党勢拡大一本やり」という鎧を脱ぎ捨てて平服に「衣替え」することであり、党内外のズレをなくすことである。広範な国民が自公政権(岸田内閣)に心底愛想を尽かしている現在、また「自民崩れ」の民主党政権への一時的な宿替えが幻想に終わったことを国民が実感している現在、市民と野党共闘のなかで掲げた政策の愚直な実行を通して政治改革を持続的に追求することであり、市民と野党共闘が将来の〝変革〟につながることを確信し、ブレずに改革姿勢を貫くことである。

 

そのためには、何よりも共産党が国民の信頼に足る「言行一致」の政党であることを示すことが求められる。共産党への批判を「反共攻撃」とみなし、「党勢拡大こそ反共攻撃に対する最大の回答」などと党員や支持者を駆り立てることは、結果として党員や支持者の「視野狭窄」の弊害を招き、共産党の閉鎖的で偏狭的なイメージを一層拡大することになり、「赤く小さく固まる」孤立主義に陥ることにしかならない。そのためにも、党の権威主義的体質を抜本的に刷新し、党規約を改正して「民主集中制」を廃棄し、党首公選制を実施して、党内外のズレをなくさなければならないだろう。(つづく)

少子高齢化・人口減少が一段と加速し、新聞購読数が激減している中で、〝党勢拡大〟を追求する矛盾、「成長型モデル」から「持続可能型モデル」への転換が必要、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その4)、岸田内閣と野党共闘(69)

 かねがね思うことだが、共産党は政治の動きには素早い反応を示すが、社会の動向や時代の流れに関しては恐ろしいほど鈍感だ。目下、党の命運がかかっているとして連日ハッパをかけている〝党勢拡大大運動〟にしても、その視野は党周辺の狭い「拡大対象者」に限られていて、日本全体が直面している少子高齢化や人口減少の動きにはほとんど目を向けていない。少子高齢化の急速な進行が党勢拡大にいったいどれほど大きな(否定的)影響を与えているのか、これまで通り党勢拡大を続けていっても果たして成果が得られるのか、党勢拡大運動が若者層に忌避されてブレーキになっていないのか、などなど――、誰もが抱く疑問や問題意識が(党勢拡大一本やりの)赤旗の紙面からはいっこうに伝わってこないのである。

 

 日本人口の少子高齢化と減少はいま、世界でも類を見ないほどの規模と速さで進行している。とりわけ共産党が「世代的継承」の不可欠な拡大対象としている若者層の動向を「18歳人口」の推移で見ると、第2次ベビーブーマー(団塊ジュニア世代)が18歳になった1992年に205万人のピークに達して以来、その後は30年間にわたって直線的に減少し、2021年には114万人に半減している(総理府統計局)。さらに、国立社会保障・人口問題研究所(社人研)が今年4月26日、2020年国調に基づき公表した「日本の将来人口(2023年推計)」によると、日本の総人口は50年後には現在の7割に減少し、2022年に80万人を下回った出生数は、2043年に70万人割れ、2052年に60万人割れと減少を続け、2070年には50万人に落ち込むとされている。つまり、2022年に生まれた子どもが18歳になる2040年には、現在の114万人がさらに80万人(7割)に減少するのである。

 

共産党の党勢の推移をたどると、1960年代と70年代は大衆的前衛党の建設が進んだ「躍進」の時代であり、党員数は60年代初頭の8万8千人、70年代初頭の28万人、80年代初頭の48万人(ピーク)と急増した。しかし、80年代は現勢を維持したものの、90年代に入ると「停滞」が目立つようになり、それ以降は2000年初頭に40万人割れ、2010年初頭に35万人割れ、2020年初頭に30万人割れと「後退」一途に転じている。これまでの党史によれば、党勢は偏(ひとえ)に〝政治対決の弁証法〟に規定される政治現象であって、党勢の消長はすべて党活動の結果を反映するものとされてきた。言い換えれば、党活動の奮闘如何によって党勢が決まる(決められる)との判断の下で、政治闘争に打ち勝つためには党勢を拡大しなければならないとする原則が生まれ、党勢拡大運動が常態化することになったのである。

 

しかしこのような党勢拡大を基調とする「成長型モデル」は、人口増加時代には通用したとしても、人口減少時代にそのまま適用できるとは(とても)考えられない。とりわけ人口が激減すると予想される今後の状況下では、やみくもな党勢拡大運動は却って高齢党員の疲弊や中堅党員の離反を招き、逆効果になることすら予想される(すでにその兆候は濃厚にあらわれている)。大局的にみれば、これまでもっぱら党活動の成果と見なされてきた党勢拡大も、その動きは基本的に日本人口の動向に規定されているのであって、それを無視した(時代の流れに逆らう)方針は持続性を持ち得ないのである。

 

それでは、日本人口は如何なる様相を示しているのだろうか。1960年代から70年代にかけての人口推移を見ると、60年代前半から70年代後半までは毎年100万人を超える人口増加が恒常的に続き、年少人口(0~14歳)比率は総人口の20数%を維持し、老年人口(65歳以上)比率は10%未満にとどまるという「人口ボーナス期」(生産年齢人口が従属人口をはるかに上回る状態、社会保障負担が少なく経済振興資源が豊富)が続いていた。その後、80年代から90年代にかけて人口増加数が50万人を割るようになると、年少人口比率は20%を割って10%台に落ち込み、老年人口比率が10%を超えて20%近くに急増するなど、「人口オーナス(重荷)期」(生産年齢人口と従属人口の差が縮小し、社会保障負担が急増して財政硬直化が進む)の兆候があらわれるようになった。そして2000年代にはもはや人口増加の勢いはまったく影をひそめ、2010年代からは本格的(不可逆的な)人口減少が始まったのである。

 

これを共産党の党員数の推移と重ね合わせると、60年代と70年代の「躍進期」は「人口ボーナス期」に相当し、90年代からの「停滞期」は「人口オーナス期」とほぼ重なり、2000年代からの「後退期」は日本人口の減少と軌を一にするようになったと言える。党指導部が「政治方針は正しいからやれる!」「自民党の悪政下で党勢拡大の条件は広がっている!」「やる気を起こせば党勢拡大は可能だ、やらなければならない!」といくら叱咤激励しても党員数の減少が止まらないのは、この〝地殻変動〟ともいうべき人口減少の動きに対して党勢拡大運動が到底抗しきれないからである。

 

 また、党員数の減少とともに赤旗読者数も大きく減少している。赤旗読者数が党員減少をはるかに上回る速度で減少しているのは、新聞業界が現在直面している急激な部数減少傾向と大きく関係している。IT革命や所得低下の影響で一般紙を購読しなくなった世帯が、赤旗だけを特別扱いして購読するとはあまり考えられないからである。「日刊紙」はともかく「日曜版」が廉価ということで爆発的に増加した時期がかってあったが、現在の高齢世帯や低所得世帯ではそれとても難しくなっている。それが、現実なのである。

 

日本新聞協会資料による年間発行部数の推移は、1960年2440万部、70年3630万部、80年4640万部、90年5190万部と30年間で2倍以上の成長を遂げ、1997年の5376万部がピークだった。その後2000年代初頭までは5300万部台を維持したが、2000年代半ばから減少傾向があらわになり、2010年に5000万部割れ(4932万部)、2018年に4000万部割れ(3990万部)、2023年に3000万部割れ寸前(3085万部)となって減少が止まらなくなった。1960年から2000年までの40年間で2900万部(年平均73万部)増加したが、それ以降の23年間は2300万部(年平均100万部)近い減少となり、今後はますます減少傾向が加速するのではないかと懸念されている。

 

21世紀に入ってから僅か四半世紀足らずの間に新聞発行部数が半分近くにまで激減した背景には、IT革命による若年世帯の急激な「新聞離れ」に加えて、高齢単身世帯の急増にともなう「非購読世帯」の広がりが大きく影響している。その結果、これまで世帯ごとに購読していた新聞数が大きく減り、1世帯当たりの部数は21世紀に入って1部を割り、2022年には0.53部(半数近く)にまで落ち込んでいる。実に全世帯の半分が「非購読世帯」となり、拙宅の周辺でも若い人たちの家庭では(全部と言っていいほど)新聞を購読していない。

 

赤旗読者数の推移を党員数と同じく追ってみると、60年代初頭の10万人からスタートして、70年代初頭に180万人、80年代初頭に355万人と「躍進期」には飛躍的な増加を記録している。この数字は、日刊紙だけではなく日曜版も含んでいるので一般紙との正確な比較はできないが、当時は一般紙だけでなく赤旗も急成長していたことは間違いない。80年代冒頭の第15回党大会において不破書記局長は、「第14回大会決定は『百万の党』の建設を展望しつつ、当面『五十万の党、四百万の読者』の実現という課題を提起した」「80年代には、わが党が戦後、党の再建以来目標としてきた『百万の党』の建設を必ずやりとげなければなりません」「『百万の党』とは決して手の届かない、遠い目標ではありません。日本の人口は1億1千万、『百万の党』といえば、人口比で1%弱の党員であります。私たちは、大都市はもちろん遅れたといわれる農村でも、少なくとも人口の1%を超える党組織をもち、こうして全国に『百万の党』をつくりあげることは、必ずできる目標だということに深い確信をもつわけであります」と豪語していたのである。

 

しかしこの頃が党勢の絶頂期で、80年代は300万人台の赤旗読者を維持したものの、90年代に入ると300万人を割り、2000年代には200万人割れ、2010年代には150万人割れ、2020年代には100万人割れと雪崩(ながれ)のように「後退」傾向が止まらなくなった。一般紙の発行部数のピークは1990年代後半だったが、赤旗読者数はそれよりも10数年も早く頭打ちとなり、ピーク時からの減り方も一般紙の4割(▲42%)に比べて7割(▲72%)と倍近く大きい。おそらくその背景には、一般的な「新聞離れ」の傾向に加えて「政党離れ」が働いているのではないか――、というのが私の推測である。時代の変化につれて、「国民政党」だといいながら党勢拡大を連呼する赤旗への違和感が大きくなり、共産党の権威主義的体質への忌避感も相まって赤旗読者数が激減しているのであろう。

 

党勢拡大運動一本やりの「成長型モデル」の時代は終わった。少子高齢化が加速し、人口が不可逆的に激減していく時代においては、それに柔軟に対応できる「持続可能型モデル」への転換が求められる。次回はその内容について書くことにしよう。(つづく)

時代と社会の流れが政治のあり方を決める、政党はその変化を受け止めなければ生き残れない、「身を切る改革」が必要なのは共産党だ、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その3)、岸田内閣と野党共闘(68)

この1年余り、刊行された何冊かの日本共産党に関する著書のなかで大きな刺激を受けたのは、中北浩爾著『日本共産党、「革命」を夢見た100年』(中公新書、2022年5月)と碓井敏正著『日本共産党への提言、組織改革のすすめ』(花伝社、2023年9月)の2冊である。前者は、政治学者による学術的な共産党史で、特に戦前から戦後にかけての共産党にまつわる一連の歴史的事実の記述が参考になる。共産党が触れていない(避けている)草創期の党の実態――例えば党の活動資金の多くがコミンテルン(ソ連共産党による国際共産主義運動の指導組織)から供給されていたこと、武装闘争からの脱却と党再生の起点となった6全協決議が実はモスクワで作られていたことなど――が記されていて興味深い。政党とは「一筋縄ではいかぬ存在」であり、「きれいごと一筋」では理解できない組織だとの認識を新たにすることができた。美辞麗句で彩られた『しんぶん赤旗』だけしか読んでいない読者には、是非一読を薦めたい話題作である。

 

後者は、哲学者による共産党論、それも「組織改革」に的を絞ったタイムリーな出版である。碓井氏はこれまでも「戦後民主主義と人権」「成熟社会における組織と人間」「グローバリゼーションと市民社会」「ポスト戦後体制への政治経済学」など、時代と社会の変化のなかの組織と人間のあり方を問う鋭い論考を数多く発表してきた。今回の提言は、共産党の根がらみの組織体質すなわち上意下達の〝権威主義的体制〟の改革を提起したもので、その中には「憂党の書」とも言うべき貴重な示唆が数多く含まれている。この提言(警告)を無視するようでは、共産党の未来もなければ発展もないと思われるが、目下のところ表立った反応は出ていない。共産党改革の「必読文献」として、党幹部や専従者に推薦したい注目の書である。

 

拙ブログでは、これまでも共産党の権威主義的組織体質の弊害について幾度となく触れてきたが、碓井提言は、官僚化した政党組織が必然的に〝寡頭支配=少数者支配〟に陥らざるを得ないことを、豊富な学説を援用して論じているところに大きな特徴がある。(1)政党組織は宗教団体と同じく、組織が指導層(幹部、教組)と一般メンバー(一般党員、信者)の二重構造になっていて、指導層による「寡頭支配」が構造化すること、(2)構造化された寡頭支配の下では、既得権益を継続しようとする「組織慣性」が働くこと、(3)とりわけイデオロギーで武装された政党組織では、集団的同調圧力のもとで「集団浅慮」が一般化して、改革エネルギーが奪われること――というのがその骨子である。

 

だが、2023年7月15日に発表された『日本共産党の百年』および志位委員長の「日本共産党101周年記念講演」(赤旗9月17日)には、このような自己分析的視点がまったく欠落している。そこに描かれているのは、「つねにさまざまな迫害や攻撃に抗しながら、自らを鍛え、成長させ、新たな時代を開くという開拓と苦闘の百年」の歴史であり、その中に流れる「階級闘争の弁証法=政治対決の弁証法」をことさらに強調するシナリオである。そして結論的には、「先人たちの苦闘、全党のみなさんの奮闘によって、党は世界にもまれな理論的・政治的発展をかちとり、組織的にも時代に即した成長と発展のための努力を続けてきました」と自画自賛するのである。

 

しかしながら、これだけ輝かしい歴史を有する政党であれば、創立100周年を迎えた今日、党勢はますます発展していると考えてもおかしくない(むしろその方が自然)。ところが案に相違して「むすび」では、「党はなお長期にわたる党勢の後退から前進に転ずることに成功しておらず、ここにいまあらゆる努力を結集して打開すべき党の最大の弱点があります」と真逆の事態が記されているのである。「世界にもまれな理論的・政治的発展をかちとり、組織的にも時代に即した成長と発展のための努力を続けてきた」にもかかわらず、「長期にわたる党勢の後退から前進に転ずることに成功していない」のはいったいなぜなのか。不可解な文脈であり、矛盾に満ちた論旨の展開だと言わなければならない。

 

党史を編纂することは、過去の出来事をただ単に羅列する(だけ)ではないはずだ。歴史を語ることは未来への展望を見出すための欠かせない作業である以上、「長期にわたる党勢の後退」の理論的、組織的解明こそが、共産党が歴史的に解明しなければならない中心課題であるはずである。ところが、『日本共産党の百年』にも志位委員長の記念講演にも党の「最大の弱点」を打開する方策は何一つ示されていない。また、その解説版である「座談会、『日本共産党の百年』を語る」(前衛2023年10月、11月号)においても、出席者が党の中堅幹部で占められている所為か、「爽快」「凄い」「感動した」「励まされた」「よし!頑張ろう」といった言葉は随所に溢れているが、肝心の「長期にわたる党勢の後退」の分析についてはまったく言及がない。ただ「強く大きな党をつくり、新しい世代に社会進歩の事業を継承して、希望ある未来を開くために新たな挑戦が開始している」との志位委員長の言葉が、オウム返しに反復されているだけのことである。

 

私は、『日本共産党の百年』が(意図的に)スルーしたと思われる「長期にわたる党勢の後退」の分析が、実は碓井提言によって基本的に解明されていると考える。提言の骨子は、(1)現代社会の基本的な流れを〝市民社会の成熟〟として確認できること、(2)日本共産党の党勢後退の最大の原因は、日本の市民社会の成熟傾向に相応しい組織に脱皮できなかったことにあること、(3)その象徴的事例が、この間の国政選挙などの敗北にもかかわらず責任者である志位委員長が辞任せず、あまつさえこの点を問題にした2名の党員を除名したこと――に集約される。

 

この分析視点からすれば、共産党が市民社会の成熟に馴染まない「民主集中制」をいまなお頑なに守り、指導層の「寡頭支配」に必要な資源を調達するためにやみくもに党勢拡大大運動を推進し、そのことが党員や支持者の広範な離反を招いて「長期にわたる党勢の後退」が生じている組織的構造がよく理解できる。「身を切る改革」は維新のキャッチコピーであるが、それが本当に必要なのは「寡頭支配」の矛盾を抱える共産党ではないか。以下、少し長くなるが、碓井提言の中身をよく知ってもらうために、「はじめに」の一節を紹介しよう。なお、この部分は読み飛ばしてもらっても構わない。(つづく)

 

――まず市民社会の成熟について確認しておくべきことは、日本にも成熟のための新たな条件が生まれてきている、という事実である。というのは、雇用の不安定化や高齢層の貧困化などが深刻化する一方で、経営が従業員の生活全般を支配する日本型企業主義や、業界(労働界含め)の利益に基づく利益代表型民主主義は、過去のものとなりつつあるからである。また市場セクターに対して、NPOやNGOなど非営利セクターの比率も拡大しつつある。

 人々の意識の成熟を示すのは、夫婦別姓や同性婚またLGBTへの理解など、個人の自立と生き方の多様性を当然のこととして認める価値観の広がりである。また政治的な動きとしては、安保法制制定当時(2015年)の市民連合、さらにSEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)のような学生運動の台頭、さらに環境保護運動や地方分権改革の中で、自治基本条例の制定を求める市民運動など、政党の系列に属さない、地域における新たな変革主体形成の動きも見られる。なお情報化がこのような連帯の形成に貢献していることも見逃せない。

 

――本書で主として問題とするのは、政策ではなく政党組織のあり方である。というのは、政党のあり方が現在の市民社会の成熟傾向に沿わない場合には、政策以前の問題として、他党の信頼や国民の支持を得られないからである。その点で特に問題となるのが、日本共産党であることは明らかである。共産党が戦前戦後において果たしてきた役割の大きさを否定することはできない。しかしこの間の党勢の後退は一時的なものではなく、深刻なものがある。その理由には、ソ連体制崩壊後における社会主義の評価の失墜、中国共産党の現在の姿などがあることは間違いないであろう。

 しかし最大の理由は、すでに論じたような日本の市民社会の成熟傾向に相応しい組織に脱皮できなかった点にある。確かに政策の点では、そのリベラルな性格において他党に引けを取るところはない。また貧困と格差の拡大の中で新自由主義に反対し、社会的弱者に寄り添いながら献身的な努力を行ってきたことは高く評価されるべきである。しかし国民は政策だけで支持政党を決めるわけではない。政党は政権を目指す点で公的性格を帯びた組織であり、その組織がどのような運営がなされているかに大きさ関心を払っている。

 

――このような国民の問題意識に応えるべく、この間、綱領や規約においてさまざまな改革、たとえば「前衛」規定や「革命」という用語の削除、また「国民政党」としての規定の付与などを行ってきたことは事実である。しかし共産党は相変わらず閉鎖的で、権威主義的組織であるという国民の印象を変えるに至っていない。その理由は、組織内で自由な議論がなされているようには見えず、そのため決定が上意下達であること、また最高責任者の委員長職の選出が他党に比べ開かれた形でなされていないことなどにある。

 特に問題なのは、この間の国政選挙などの敗北にもかかわらず、責任者である委員長が辞めない事実である。これは民意を軽視することを意味しており、民主主義社会における政党としての資格を問われる問題である。しかしこの点を問題とした2名の党員を除名したことは、さらに共産党に対する評価を下げることになった。民意に鈍感で独善的という印象ほど政党にとってダメージを与えるものはない。またこれが他党の共産党への態度、すなわち野党共闘の推進をはじめ、今後の日本の政治を変えていくためにも、共産党による国民により見えやすい形でのそのため改革が求められているのである。

「数値目標」偏重では党勢伸びず、〝乾いた雑巾〟はもう絞れない、日本共産党9中総の志位委員長のあいさつを読んで、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その2)、岸田内閣と野党共闘(67)

 2023年10月5,6日に開かれた日本共産党第9回中央委員会総会(9中総)の冒頭、志位委員長は第29回党大会(2014年1月15~18日)に向けたあいさつで、「第29回党大会成功、総選挙躍進をめざす党勢拡大・世代的継承の大運動を、文字通りの全支部運動に発展させ、『130%の党』という目標を達成するための全党の深い意思統一をはかることにあります。そのために9中総として、全国の支部・グループのみなさんにあてて総決起を訴える〈第二の手紙〉を送ることを提案したいと思います」と述べた(赤旗10月6日、以下同じ)。

 

 「大運動」の到達点と強化方向については、「私たちの運動の到達点は『130%の党』という目標にてらせば、大きな距離を残しています。同時にこの3カ月間の取り組み(入党1870人)によって、党大会までの残りの3か月間の頑張りいかんでは運動の飛躍をつくりだすための重要な土台を築いてきたことをみんなの共通の確信にして、ここで飛躍に転じることを訴えたいと思います」と言い、その可能性を次のように強調した。

  ――第一は、党建設の根幹である党員拡大で、ほぼ止まってしまった運動を起動させ、入党の働きかけの自覚化・日常化がはかられつつあることであります。全党の奮闘によって、3カ月間で2万1653人の方々に入党の働きかけを行い、1870人の新しい同志を党に迎い入れました。(略)しんぶん赤旗の読者拡大では、7月は日刊紙、日曜版とも前進をかちとりましたが、8月、9月はわずかに届かない結果になりました。(略)「大運動」で入党の働きかけに踏み出した支部は毎月約2割程度です。読者拡大で成果をあげた支部は毎月約2~3割程度です。半数以上の支部がこの運動に立ち上がれば大きな飛躍が起こります。全支部の運動にすれば目標達成の展望が一挙に見えてきます。(略)そのために第9回中央委員会総会として、すべての支部・グループのみなさんにあてて、「大運動」への総決起を訴える「第二の手紙」を送ることを提案します。

 

ここには、幾つかの「レトリック」(修辞・粉飾)が施されていることに注意したい。まず第1は、党勢拡大目標の「130%の党」は第28回党大会(2020年1月)に決定されたものであり、その成果は実数を報告しなければならないにもかかわらず、「大きな距離を残している」といった曖昧な表現でぼかされていることである。これまでの中間報告(赤旗2022年8月2日、23年1月6日、2月~10月の毎月3日頃)で明らかにされた実態は、以下の通りである。

(1)第28回党大会(2020年1月)、党員27万人余、赤旗読者100万人

  • 2023年1月、党員26万人(2020年1月~2022年12月、入党1万1364人、死亡者・離党者〈推定〉2万1660人、差引1万人余減)、赤旗読者90万人(10万人減)
  • 2023年1月~9月、入党3684人、死亡者・離党者〈推定〉5340人、差引1654人減、赤旗読者4万8508人減
  • 2023年10月現在、党員26万人弱(前大会時比1万人余減)、赤旗読者85万人(同15万人減)

 ※死亡者数の推定方法は、第28回党大会発表の過去3年間死亡者数1万3823人、年平均4607人を適用して算出した。

※推定離党者数は、27万人余(2020年1月)+入党者1万1364人-死亡者(年平均4607人×3年=1万3821人)-離党者=26万人(2022年12月)の計算式を用いて、ここから3年間の離党者7543人、年平均2514人を算出した。

 

つまり、第28回党大会を目前に控えた2023年10月現在の党勢は、前大会(2020年1月)に比べて、党員1万人余減の26万人弱、赤旗読者15万人減の85万人余(15万人減)と後退しており、「130%の党=党員35万人、赤旗読者130万人」の目標に対して党員74%(4分の3)、赤旗読者65%(3分の2)の水準に低迷している。このような実態を隠蔽して、志位委員長は最近3カ月の入党者1870人を例に引いて、「党大会までの残り3カ月の頑張りいかんでは運動の飛躍をつくりだすための重要な土台を築いてきた」と言うのだから、これはもう「レトリック」の域を通り越して、立派な「フェイク」(偽物、まやかし)の部類に入ると言わなければならない。こんな根拠のない方針を堂々と述べるのは、もはや本人自身が真偽を確かめる能力を失っているからだろう。

 

第2は、「130%の党」の展望については、「たられば」の仮定の論理で目標達成があたかも実現可能であるかのような言い回しがされていることである。現在は全支部の「2~3割」しか活動していないので、これが「半数以上」あるいは「全支部」の活動にすれば、目標達成の展望が一挙に見えてくるというのである。だが、党員目標一つをとってみても、全支部が立ち上がれば残り3カ月で展望が見えてくるなどいうのは、全くの「まやかし」にすぎない。仮に全支部(実働支部の4~5倍)が活動しても「1870人×4~5=7480人~9350人」程度の数にしかならず、27万人に手が届くかどうかといったことにしかならない。26万人の現勢から35万人の目標達成へいったいどう「飛躍」させるというのか、威勢のいい空文句は却って事態を悪化させる。

 

第3は、支部の「半数以上」あるいは「全支部」を立ち上がらせるというが、それが「第二の手紙」で実現できるなどと思うのは、「机上の空論」以外の何物でもない。第28回党大会以来、党中央からは繰り返し同様に指示が出されてきたにもかかわらず、これまで一度も実現したことがなかった。それが「実働率2~3割」という現実なのであり、そこには「動きたくとも動けない」事情が横たわっているからだ。言い換えれば、これほど党組織の高齢化が進み、支部会議すら開けない深刻な事態が全国に広がっているというのに、これを「半数以上」「全支部」などいった架空の条件を並べて「やればできる」などというのは、よほど現実を知らないか、現実を知らずに号令をかけるだけの精神主義者だけだ。〝乾いた雑巾〟はいくら絞っても水一滴も出ない――というが、これが古来からの厳然たる真理であり、組織原則だろう。23年もトップの座にいながらこんな自明の理一つ分からないようでは、志位委員長は一刻も早く退場した方がよい。

 

 こんな折も折、日経新聞10月8日の「直言」欄で旧日本軍の『失敗の本質』を解明した野中郁次郎氏(一橋大学名誉教授)のインタビュー記事が載った。野中氏はその中で「数値偏重では革新起きず」という興味深い問題提起をしている。関係する部分だけを要約すると、次のようになる。

  • 数値目標の重視も行き過ぎると経営の活力を損なう。多くの企業がPDCA(計画→実行→評価→改善)を大切にしているというが、Pの計画とCの評価ばかりが偏重され、Dの実行とAの改善に手が回らない。
  • 行動が軽視され、本質をつかんでやり抜く「野性味」がそがれてしまった。野性味とは我々が生まれながらにして持つ身体知だ。計画や評価が過剰になると劣化する。計画や数値目標は現状維持の経営には役立つかもしれないが、改革はできない。
  • 計画や手順が前提だけに、環境の変化や想定外の事態に直面すると、思考も停止する。高度成長期には躍進の原動力だったとしても、今では成長を阻害する原因だ。

 

この指摘は共産党にもそのまま当てはまる。「党勢拡大目標=数値目標」を至上目的として重視し、「拡大計画=PLAN」と「点検=CHECK」ばかりが偏重されると、行動(党活動)が軽視され、本質(改革)への野性味(情熱)が失われるようになる。それは高度成長期には「躍進」の原動力だったが、今では成長を阻害する原因に転化している――まさに、その通りではないか。ソ連・東欧の共産主義政権の崩壊や中国の天安門事件の勃発など、国際的な環境変化や国民の「共産党離れ」など想定外の事態に直面すると思考停止状態に陥り、それ以降は「壊れたレコード」のように「党勢拡大」だけを言い続ける状態が続いてきた。次期党大会がそこから脱却する機会になるか、相変わらず「計画」と「点検」だけの「民主集中体制」が継続されるのか、共産党はいま存亡の岐路に立っている。(つづく)

日本共産党は〝志位体制〟を固守してこのまま衰退の道を歩むのか、それとも刷新して再生の道を見出すのか、いまその分岐点に立っている(その1)、岸田内閣と野党共闘(66)

 日本共産党百年史の際立った特徴は、〝党勢拡大〟がその根幹に据えられていることだ。党勢拡大の意義と重要性は、(1)日本の民主主義革命ひいては社会主義革命を達成するためには、何よりも党の〝自力〟をつけなければならない、(2)「革命政党」としての〝自力〟は、党員と機関紙読者の数で規定される、(3)〝自力〟の大小、すなわち党員と機関紙読者の多寡が国政選挙・地方選挙の勝敗を分ける――との三段論法で位置付けられている。ここでは、世論調査における政党支持率や政党好感度などの要素は一切考慮されていないし、無党派層の動向についても関心の外である。

 

 このような組織体質は、「政治は数」「数は力」という政治力学を反映したものであり、少数政党は政治的、社会的影響力を行使できないという冷厳な現実に裏打ちされている。政治世界の厳しい現実が共産党を党勢拡大に駆り立て、過去3回の「党勢躍進=成功体験」がそれを証明しているというわけである。なかでも「第1の躍進時代=1960~70年代」の党勢拡大は、国政選挙と地方選挙の得票数・得票率の大幅な増大をもたらし、飛躍的な議席増につながっただけに、党勢拡大がその後〝不磨の法則〟として神格化される一大契機になった。それを象徴するのが、第16回党大会(1982年)における不破書記局長の中央委員会報告である。

 

――1960年代初頭、党員8万8千、赤旗読者34万余でした。1970年代初頭、第11回党大会(1970年)を迎えたときは、党員は3倍の約28万、読者は5倍の176万余へと大きな発展を遂げました。第16回党大会を迎えた時点では、わが党はさらにこの党勢を大きく拡大して、党員約48万、赤旗読者3百数十万というところに到達しました。機関紙の読者数でのわが党の機関紙活動のこの到達点は、文字通り世界の資本主義諸国の共産党の中で最高の記録であります。

――わが党の政治的力量についていえば、第8回党大会当時、党の国会議員は6名、地方自治体議員は818名でした。それが第11回党大会の時点では、国会議員21名、地方議員1680名となり、さらに現時点では、80年の同時選挙で少なからぬ国会議席を失ったとはいえ、国会議員41名、地方議員3653名をもつところまで前進してきました。わが党が与党となっているいわゆる革新自治体も第8回党大会当時の14自治体、人口706万から第11回党大会時点の91自治体、人口1830万へ、そして今日の200自治体、人口3400万へと大きく前進と拡大を記録しています。

――このように、この20余年間のわが党の歴史をさまざまな波乱や曲折をふくめ、大きく総活してみるならば、党綱領と自主路線を確定して以来、日本共産党が大局的には前進と発展の軌道を歩み、国際的にも国内的にも有力な党への成長をとげてきたことは、数字的にも明らかであります。

 

 当時は、集団的・組織的な「革新統一戦線」の推進が〝大義〟であり、個人やグループ中心の「市民社会論=市民主義」は〝異端〟の理論だと見なされていた。要求を実現し、政治改革を進めるためには労働組合や政党に加入することが大前提であり、個人やグループではおよそ不可能だと考えられていた。青年は入学すれば学生自治会に参加し、就職すれば労働組合に加入することがごく普通のこととされていた。個人と組織・集団との関係は親和的であり、必ずしも矛盾するものとは捉えられていなかった。そして、共産党や社会党などの革新政党がその延長線上の「受け皿」になり、時代の風に乗って飛躍的な成長を遂げたのである。

 

 ところが、志位体制のもとで編纂された百年史(2023年)の「むすび」は、一転して悲観的論調に変化している。党現勢は1万7千の支部、26万人の党員、90万人の赤旗読者、2400人の地方議員となり、しかも「党はなお長期にわたる党勢の後退から前進に転ずることに成功していません。ここに党の最大の弱点があり、党の現状は、いま抜本的な前進に転じなければ情勢が求める任務を果たせなくなる危機に直面しています」というのである。20世紀末から21世紀初頭にかけて、党員は実に48万人から26万人へ(4割減)、赤旗読者は3百数十万人から90万人へ(8割減)、地方議員は3600人から2400人へ(4割減)、それぞれ減少するという由々しき事態に見舞われているからだ。どうして、これほどの大規模な党勢後退が起こったのか。

 

 日本共産党の本格的な党勢後退は、ベルリンの壁が崩壊し、中国の天安門事件が起こった80年代末からすでに始まっていた。80年代末から90年代初頭にかけてソ連・東欧の「プロレタリア独裁政権=共産主義政権」が相次いで崩壊し、中国共産党による民主化運動への武力弾圧が公然化するに及んで、国際的な「共産党離れ」が一斉に起こった。ソ連・東欧の共産主義政権の実態が暴露されるに及んで、共産党が国内組織の運動をすべて指導・支配する「前衛党」体制や、多様な意見や議論の存在を許さない上意下達の組織原則・「民主集中制」などに対する激しい忌避感が一挙に広がったのである。

 

 このような大変動のもとでは、ソ連や中国に対して〝自主独立路線〟を標榜してきた日本共産党もその影響を免れることができなかった。日本共産党がソ連共産党の指導の下につくられたという歴史的経緯や、党名がソ連や中国と同じ「共産党」であることが、国民からはそれらと「同根の存在」とみなされる大きな原因となった。加えて、党の性格を規定する党規約第2条に「日本共産党は労働者階級の前衛政党である」と明記され、組織原則を定式化した民主集中制に関する第14条には「党の決定は無条件に実行しなければならない。個人は組織に、少数は多数に、下級は上級に、全国の党組織は党大会と中央委員会にしたがわなくてはならない」との(誤解の余地がないほど明確な)上意下達の組織原則が記されていることも、「同根の存在」とみなされる有力な背景になった。

 

 事態の重大性を漸く認識した共産党はその後、第22回党大会(2000年)になって数十年ぶりに党規約の改定に踏み切り、党の性格を「日本の労働者階級の党であると同時に、日本国民の党」に改めて「前衛政党」の規定を削除した。また民主集中制の基本的な内容を、(1)党の意思決定は民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める、(2)決定されたことは、みんなで実行にあたる。行動の統一は、国民に対する公党のとしての責任である、(3)すべての指導機関は、選挙によってつくられる、(4)党内に派閥・分派はつくらない、(5)意見が違うことによって、組織的な排除をおこなってはならない――の5つの柱にまとめた。

 

 しかし、党規約の文面を変えたからといって、一片の紙きれで党の体質が変わるわけでもなければ、党の意思決定がある日突然、民主的な議論をつくして実行に移されるわけでもない。長年にわたって形成されてきた党の歴史的体質は、党幹部一人ひとりの身体の血肉と化しているため、党規約が変わっても既存体制が抜本的に刷新されなければ、組織実態や運営方法がそう簡単に変わるわけにはいかない。「党規約を変えた」からといって、「党は新しく生まれ変わった」というわけにはいかないのである。

 

 事実、党規約から「前衛政党」という規定が削除されても、「下級は上級に、全国の党組織は党大会と中央委員会にしたがわなくてはならない」との条文が無くなっても、〝中央委員会体制=党中央〟の権限が弱まったわけではなかった。党運営はすべて〝党中央〟の指示で行われているし、〝党中央〟のメンバーは「選挙によってつくられる」ことになっているが、実質的には上層部の指示で決められるというのが定説になっているからである。また「党内に派閥・分派はつくらない」ことが組織運営上の原則だとしても、それが拡大解釈されて「異論=派閥・分派」と見なされれば、スターリンの大量粛清に見られるように、特定集団による独裁体制への道を開くことになる。それに「意見が違うことによって組織的な排除をおこなってはならない」という条文があったとしても、それが空文化していることは、今回の党首公選制に関する除名問題の経緯を見れば、誰でもわかるというものである。

 

 加えて問題なのは、青年党員の供給源である「日本民主青年同盟」(民青)の規約もまた、共産党規約の「ミニコピー」ともいうべき内容になっていることだ。2011年に改訂された規約を読むと、民青は第1条(基本的性格)で「科学的社会主義と日本共産党綱領に学ぶ」「日本共産党を相談相手に援助を受けて活動する」ことを謳い、第2条(組織原則)では、共産党の民主集中制の規定をほぼそのまま踏襲し、第4条(組織と運営)では、「班-地区―都道府県―中央」という形の垂直型組織のもとに、各機関の役員が「班委員会―地区委員会―都道府県委員会―中央委員会」をつくり、活動に責任を負い、必要な決定を行うことになっている。青年組織までが「中央委員会体制=中央集権システム」のもとに置かれており、共産党の指導が末端まで貫徹する仕組みになっているのである。この規約改定は、80年代には20万人を超えていた民青同盟員が90年代には2万人に激減したことを踏まえてのものであったが、それが弥縫的改定にとどまったことは、共産党の中央集権的体質がいかに強固なものであるかを示すものであろう。

 

 こうして共産党は(民青も)党規約を改定してイメージチエンジを図ったが、それが実態を伴うものではなかっただけに、党勢後退の波はその後も鎮まることはなかった。第19回党大会(1990年)から第28回党大会(2020年)までの30年間の党勢の推移を見ると、党員は1990年48万人、2000年38万人、2010年40万人(非活動党員を除いた実態は30万人)、2020年27万人へと2010年までは10年ごとにほぼ10万人ずつ減少している。赤旗読者もまた1990年286万人、2000年199万人、2010年145万人、2020年100万人と、2000年以前は90万人、2000年以降は10年ごとに50万人前後減少している。このままの状態で推移すると、2030年には党員20万人、赤旗読者50万人に減少する可能性も否定できないし、またこの段階になると、現在の赤旗の発行体制(日刊紙、日曜版、電子版)の維持が困難になり、大幅なリストラが現実のものになるかもしれない。

 

 9月30日の赤旗には、第9回中央委員会総会が10月5、6日の両日、開会されることが予告されている。9中総の議題は、(1)当面の政治対応、(2)「第29回党大会成功、総選挙躍進をめざす党勢拡大・世代的継承の大運動」の推進、(3)第29回党大会の召集、となっている。「9中総は第29回党大会にむけ、総選挙躍進への政治的大攻勢をかけ、『大運動』を全支部運動に発展させるうえで、決定的ともいえる中央委員会総会になるでしょう」というのが開催の謳い文句である。おそらく、志位体制のもとで党勢拡大の大号令が掛けられ、「革命政党」の気概を持って危機突破にあたることが相変わらず強調されるのであろう。

 

 だが事態は、それどころではないはずだ。端的に言えば、拙ブログのタイトルにもあるように、共産党はいま志位体制を固守してこのまま衰退の道を歩むのか、それとも刷新して再生の道を見出すのか――の分岐点に立っていると言わなければならない。次回は、9中総の中身がその期待に応えるものであるかどうか、検証してみたい。(つづく)