党中央主導の「民主集中制」は半ば崩壊している、党勢拡大大運動は「笛吹けども踊らず」で成功しない、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その6)、岸田内閣と野党共闘(71)

 小池書記局長の「緊急の訴え」(赤旗10月21日)、「オンライン全国都道府県委員長会議への問題提起」(11月4日)に引き続き、今度は志位委員長のオンライン会議での「発言」が赤旗に大々的に掲載された(11月5日)。そこでは、「第一の手紙」に引き続いてなぜ「第二の手紙」を出すのか、それをどうやって全党運動に発展させるかについて、党機関(都道府県委員会)の果たすべきイニシアティブが繰り返し強調されている。最大の理由は、党中央主導の党勢拡大大運動が「笛吹けども踊らず」といった膠着(泥沼)状態に陥り、いっこうに進展しないからだ。小池書記局長の「緊急の訴え」とオンライン会議当日の「志位委員長の発言」をみよう。

――直視すべきは、今週に入って取り組みの勢いが落ちていて、福岡県のように連日成果をあげている先進的経験が生み出されている一方、10月に入って入党ゼロの県も10県ある。読者拡大も全国的に先週とほぼ同水準で推移しており、先週も今週も9月に比べて変化がないという県も少なくない。この事態をそのままにしておくならば、党大会現勢の回復・突破は言葉だけになってしまう。とりあえず掲げているだけになってしまう。ましてや、党大会まで3カ月、9中総を受けてギアチェンジしなければならないのに、結局先月と同じような結果になりかねない(小池書記局長「緊急の訴え」)。

 ――「大運動」を7月、8月、9月と3カ月やって、前進に向けた「土台」はつくったが、飛躍はつくれていない。毎月、党員拡大に足を踏み出している支部は2割弱で、2割にいかない状態がずっと続いている。読者拡大もだいたい2割~3割の成果によって支えられている。これでは前進もなかなかで飛躍はつくれない(志位委員長「1回目の発言」)。

 ――10月に1人も党員を迎えていない地区委員会は、全国で84あります。内田(福岡)県委員長は「譲らないときは絶対に譲らない」という決意で頑張っていると言っていましたが、この姿勢が大事だと思います。「譲らないときは絶対に譲らない」、いろいろな困難や消極的な意見が出されたときに丁寧にそれを返しながら、確固として推進する思想的に強い党をつくっていく。反共攻撃に断固として立ち向かうことはもとよりですが、党建設という一番困難な課題を推進していくうえで、一切の消極論、さまざまな惰性を吹っ切って本当の意味で強い党をつくっていく。その中心に県委員長のみなさんがなっていただきたいと思います(志位委員長「2回目の発言」)。

 

 この「訴え」と「発言」から見えてくる光景は、今年1月から始められた党勢拡大大運動が1万7000支部・グループの2~3割にしか浸透せず、第29回党大会を2カ月余に控えた10月においても47都道府県のうち10県(2割)が「入党ゼロ」、全国311地区委員会のうち84地区委員会(3割弱)が「入党ゼロ」という、荒涼たる風景が広がっているというものである。要するに、党中央がどれだけ必死になって訴えても(締め付けても)、全国支部の7~8割は「笛吹けども踊らず」という状態でダンマリを決め、それを指導する県委員会や地区委員会の2~3割が動かない状態にあるということだ。このことは、共産党の組織原則であり行動原理である「民主集中制」が半ば崩壊していることを示すものではないか。

 

 ところが、志位委員長はこう「決意」を述べる。

 ――党組織の後退が長期にわたって続いてきた。これをいかにして前進に転じるか。みんなで考え出した結論が、支部の自発的なエネルギーに依拠しようということでした。一切の惰性を吹っ切るのだといって始めた運動が「手紙」と「返事」のとりくみです。この運動こそが本当に強い党をつくる唯一の道なんだということに思いを定めて出したのが、7中総の「第一の手紙」であり、9中総の「第二の手紙」なのです。この方針にとことん依拠して党大会までの2カ月間、頑張りぬきたい(「2回目の発言」)。

 

 志位発言の趣旨は、「第一の手紙」で前進に向けた「土台」をつくったが、「第二の手紙」で「飛躍」させたいというものだ。しかし、前回の拙ブログでも指摘したように、「第一の手紙」が提起された今年1月から「第二の手紙」の10月までの党勢の推移を見ると、党員数(入党者数-死亡者数-離党者数)は実質的にマイナスとなり、赤旗読者数も5万人近く減っている。「土台」は依然として崩れたままであり、「飛躍」出来るような状態ではさらさらないのである。

 

 そこで志位委員長が持ち出すのが、「中央と地方が心一つに『第二の手紙』のとりくみを徹底してやり抜く」という方針である。私が注目するのは、この発言のなかに「中央」という言葉が11回も出てくることだ。「中央として推進」「中央のキャンペーン」「中央としてニュースをどんどん出していきたい」「全国の経験を中央に送ってほしい」「中央としてみなさんに返す」「中央と地方のみなさんが力を合わせてやり抜きたい」「一切の惰性を中央から一掃する決意」「中央も反省」などなど、まるで自分が「党中央の化身」であり、中国共産党で言えば「習近平=党の核心」であるかのように振舞っているのである。

 

 しかし、日本の政党組織をみると、志位委員長が連呼する「中央」という名称を使っているのは共産党ぐらいのもので、それ以外ではほとんど見られない。志位委員長がこれだけ「中央」の威光をかざすのは、「民主集中制」に基づく上意下達の党運営が「中央」という名称の裏付けになっていたからであり、今もなお有効だと信じているからであろう。この点で最も有名なのは中国共産党組織で、そこには「中央委員会」「中央軍事委員会」「中央委員会総書記」「中央政治局常務委員会」「中央政治局」「中央書記処」などなど「中央」がオンパレードで並んである。中国は共産党が全ての権力を一手に掌握している専制主義国家であり、それを象徴するのが「中央」という名称だ。国家権力と政党組織が「中央」という名のもとに統合され、比類のない中央集権国家が出来上がっている。中国を覇権主義国家として批判している日本共産党が、こと党組織に関しては中国と同じ「中央」という名称を重用しているのは、案外その体質が共通しているからなのかもしれない。

 

 また「中央と地方」という表現も、わが国では国と地方が「上下・主従関係」にあったことを反映する言葉だ。本来、対等協力の関係に置かれるべき国と地方が、機関委任事務制度と補助金の仕組みを通じて「上下・主従関係」に置かれ、上級機関としても国家が下級機関としての地方公共団体(都道府県、市町村)を支配してきたのである。共産党の組織もこれと同じく「中央→都道府県委員会→地区委員会→支部」というピラミッド型で構成され、「民主集中制」に基づく指揮命令系統が隅々にまで行き渡るシステムとして機能してきた。

 

 志位委員長は、長期にわたって続いてきた党組織の後退を前進に転じるためには、〝支部の自発的なエネルギー〟に依拠するしかないと表明している。だとすれば、全国支部を起点とする「なぜ党組織は長期にわたって後退を続けてきたのか」という議論からまず始めるというのが筋というものだ。ところが、口先では「支部の自発的エネルギー」に依拠すると言いながら、実際には「中央」という言葉を連呼して「譲らないときは絶対に譲らない」「一切の消極論、さまざまな惰性を吹っ切って本当の意味で強い党をつくっていく」「その中心に県委員長のみなさんがなっていただきたい」と上からの指示の必要性を強調するのである。いわば「建前」と「本音」を巧妙に使い分け、党員や支持者には「建前」を語り、党機関には「本音」で指示を出してその実行を迫っているのである。

 

 だが、今ではもはや岸田首相の言葉を国民の誰もが信じないように、志位委員長の言葉を真に受ける党員や支持者はほとんどいないだろう。全国支部の2~3割しか党勢拡大大運動に参加していないことは、7~8割という圧倒的多数の支部が方針を支持していないことを意味する。「民主集中制」という上意下達システムは半ば崩壊しているのであり、志位委員長が「壊れたマイク」の前でいくら声を張り上げても、もはやその声は届かなくなっているのである。

 

聞くところによれば、志位委員長は第29回党大会を前にして「130%の党づくり」の失敗をもはや言いつくろうことができず、委員長ポストから退かざるを得ない状態に追い込まれているという。ところが、きれいさっぱりと政界から身を引くのではなく、(これも噂にすぎないが)委員長ポストを退く代わりに、空席の「議長」に居座ることを考えているとも言われる。こうなると、今の党内事情からして「志位院政」が敷かれることは目に見えていて、これからも従来からの悪弊が続くことになる。「立つ鳥跡を濁さず」という美しい言葉があるが、志位委員長にはせめてもこの言葉の如く「有終の美」を発揮してほしい。(つづく)