非共産対共産の「2極構図」が崩れ、維新・前原新党が加わった「3極選挙」時代が始まった、2024年京都市長選挙にみる政治構造の変化(上)、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その11)、岸田内閣と野党共闘(76)

 1カ月前には予想もつかなかった〝政局の嵐〟が政界を直撃している。自民党派閥の政治資金パーティー収入の裏金疑惑を受け、岸田首相は12月14日、松野官房長官、西村経済産業相、鈴木総務相、宮下農水相の4閣僚(いずれも安倍派)を交代(更迭)させ、後任人事を決定した。この日、萩生田政調会長、高木国対委員長、世耕自民党参院幹事長も辞表を提出し、これで岸田政権を事実上牛耳ってきた「安倍派5人衆」が全て主要ポストを離れることになった。岸田首相は「自力」で政権運営を担わざるを得なくなったのである。

 

 しかし、主要ポストからの「安倍派一掃」が政権浮揚につながるかといえば、さにあらず。時事通信が12月8~11日実施、14日公表の12月世論調査(自動音声電話による調査ではなく、個別面接方式による調査で信頼度が高いとされる)によると、内閣支持率は前月比4.2ポイント減の17.1%となり、2012年12月の自民党政権復帰後の調査で最低を記録し、初めて1割台に落ち込んだ。支持率が2割を下回るのは、民主党政権が誕生する直前に調査した2009年9月の麻生内閣(13.4%)以来のことだ。

 

今回の世論調査で注目されるのは、内閣支持率と連動して自民支持率が前回11月調査(19.1%)に引き続き2割台(18.3%)を割ったことだ。「保守岩盤層」といわれる固い支持層に支えられ、昨年までは常に3割台をキープしていた自民支持率が1割台に落ち込んだことは、岸田内閣だけではなく自民党そのものに国民の不信感が突き付けられていることを示している。今後、東京地検特捜部による裏金疑惑の捜査が進展すれば、政権政党としての自民党の正統性が失われる事態も想定される。

 

 時事調査は、岸田首相が閣僚人事(12月14日)を行っていなかった時点のものだったが、12月16、17日に実施された毎日新聞調査(17日速報)は、世論が「安倍派一掃人事」をどう受け止めたかを判断する上での重要材料となる。岸田内閣の支持率は、11月18、19日実施の前回調査(21%)より5ポイント減の16%で、内閣発足以来最低を2カ月連続で更新した。不支持率は前回調査(74%)より5ポイント増の79%だった。支持率が20%を下回るのは、菅直人政権下だった2011年8月(15%)以来のこと。不支持率79%は、毎日新聞が世論調査で内閣支持率を初めて質問した1947年7月以来、最も高い値となった。岸田内閣は有権者の8割から「ノ―」を突き付けられ、もはや死に体同然の〝末期政権〟だといっても過言ではない。

 

 中央政局の大混乱は地方にも波及する。とりわけ「政争の巷」と言われる京都政界では、すでに10月段階からその動きが加速していた。2024年2月4日投開票の京都市長選挙を目前にして政党間の駆け引きが激化し、さらには国民民主党代表代行の前原誠司氏が突如「前原新党」の立ち上げを表明するなど、京都政界はいまや政争の渦中にある。地元紙・京都新聞の記事を中心にその経緯を追ってみよう。

 

 〇10月11日

大学教授・経営者・医師などからなる市民有志19人が「文化首都京都の市長候補を京都市民で考える会」(以下「考える会」という)を立ち上げ、「私達の考える市長像・要件」「私達の考える市長としての基本姿勢」「私達の考える京都市財政のあり方」「私達の考える市民サービスのあり方」の4項目からなる提言を発表した。世話人の1人である同志社大学の村田晃嗣教授は、11日の記者会見で「政党が中心となって市長を選ぶのではなく、市民の意見や議論を反映する機会がほしい」と説明した。今後は提言内容に賛同する候補者からの連絡を待ち、会で議論をした上で支援するかどうかを決定するという。

 

しかし「考える会」は市民有志で立ち上げたものなどと表向き説明しているが、それは真っ赤なウソで「考える会」は自民主演の茶番劇の単なるお飾り(前座)にすぎない。「考える会」の相談役には京都政界の重鎮の伊吹文明氏(元衆院議長)が就任し、オブザーバーに自民・立憲民主・公明3党の国会議員らが居並んでいるなど、実態は「オール与党体制=長年にわたって京都府市政を支配してきた政財官利益共同体」そのものなのである。この「オール与党体制」を今後も維持するため、今回も共産を除く自民・公明・立憲民主など各政党と連合など労働組織が結託し、経済界が全面的に支援して市長選挙体制が立ち上げられたのである(茶番劇の前座となった大学教授をはじめ市民有志は恥ずかしくないのだろうか)。

 

〇10月16日

準備万端を整えていた自民党京都府連の西田昌司会長(参院議員)は待っていたとばかり、直ちに「文化首都京都の市長候補を京都市民で考える会」が提言に盛り込んだ市長の要件に全面的に賛同する考えを表明した。市内で記者会見した西田会長は、国民民主の前原誠司府連会長について「国政では対峙してきたが、地方行政では大きな対立はない。(前原氏が賛同すれば)同じ候補者を推薦できるのではないか」と語った。一方、維新に対しては「維新が掲げる身を切る改革や財政再建には賛同できない」として距離を置いた。このことは、維新との関係でとかく怪しげな動きをしている前原氏を「オール与党体制」に組み込むため、「考える会」をクッションにして接近を図ったことを窺わせる。京都市議会は67議席の定数のうち、第1会派の自民党が19議席、日本維新の会と国民民主党、地域政党「京都党」の3党による合同会派が18議席、共産党が14議席と勢力が拮抗している。

 

 「考える会」の提言は、市長像とその要件に「市民の心根を理解できる、京都に地縁・血縁のある人」を第1項目に上げ、「健康と3期務めうる年齢」「府市協調できる人物」「中央との人脈・折衝能力」などをきわめて具体的な条件を挙げている。「京都に地縁・血縁のある人」といった、まるで江戸時代を思わせるような排外主義的要件を掲げているのは、大阪を地盤とする維新を意識してのことであろうが、それにしても近代都市京都の市民有志がこんな前近代的候補者要件を第1項目に据えるとは「世も末」と言うほかないだろう。

 

 〇11月4日

 元内閣官房副長官の松井孝治氏(63)が京都市長選への立候補を表明した。松井氏の隣には「考える会」の世話人4人がずらりと並んだ。同会は直前に会合を開き、松井氏と意見交換を行った上で推薦を決めたという。松井氏は「事前に推薦いただけるかは分からなかった」と述べ、同会の推薦が最終的な決め手になったと強調した。松井氏は中京区の旅館経営者の次男として生まれ、通産省(現経済産業省)官僚や民主党参院議員(京都選挙区、2期)を務めた。政治経験や中央省庁を含む幅広い人脈に期待する声は大きく、自民内で推挙する声は早くから上がっていたが推薦が遅れたのは、4月の京都市議選で維新が躍進したことから「自民単独で候補者を決めることはできない」(西田府連会長)との危機感があったからだとされる。

 

 西田氏に代わって動いたのは、引退後も京都政界の重鎮として影響力を持つ伊吹文明元衆院議長だ。同氏は「考える会」を立ち上げ、松井氏を想定した望ましい市長像の提言をまとめるシナリオを描いた。提言が発表されると、自民、立憲民主、公明の国会議員らが予定通り次々に賛同を表明し、西田府連会長が「原点に戻って市民の意見が積み上られた」(16日記者会見)と意義を強調するなど、まるで室町時代の狂言そのままに一連の茶番劇(出来レース)が演出された。「京都らしい」と言えばそれまでだが、狂言は舞台の上で観るもので市民政治の現場での見世物ではあるまい。

 

 「考える会」の立ち上げには、松井氏と親交の深い国民民主党府連会長の前原氏を引き込む狙いもあったとされる。前原氏が「自公と対峙する形でやりたい」として維新らと統一候補擁立を模索しているが、「『自公に乗れない』と言ってきた前原さんも市民主導で松井氏を擁立するなら乗りやすい」(自民府連幹部)との見方があり、「考える会」が立ち上げられたという。これを「市民主導」などとはよく言ったものだが、京都ではいまや市民も一筋縄ではなく様々な政治潮流に分派しており、そのうちに「市民…派」と名乗る時代がくるかもしれない。

 

 だが、前原氏の視線は京都市長選といったローカルな政治イッシューには向けられていないようだ。松井氏の立候補表明から翌々日の11月6日朝、前原氏は報道陣に「松井さんを応援することにはならない」と明言し、維新と連携する方向に明確に舵を切った。同氏はまた「野党第1党の党首(泉健太氏)のお膝元で、自民、公明と組むのは理解できない」として国政与野党相乗りを決めた立憲民主を批判した。これに対して福山哲郎立憲民主府連会長は、これまでの京都市長選、府知事選で前原氏の国民民主も自公と一緒に現職を支援してきた経緯を指摘し、「なぜ心変わりしたのか」と反論する。「前原さんの盟友である松井さんが市政のために力を尽くしたいと言っている。一緒にやってきた仲間なのに(前原氏の)話は理解しにくい」と語り、泉氏への批判に対しても「民主、民進党の大幹部もされていたのに、泉代表に対する批判は理解しにくい」と苦言を呈した。

 

 ことほど左様に、京都政界はいま市長選を目前にして混乱の極にある。長年続いてきた府市協調の「オール与党体制」の中に亀裂が入り、中央政界の混乱と連動してそれが次第に拡大しつつある。来年1月にあるかもしれない次期総選挙で自公政権と立憲民主が決定的に対立すれば、福山立憲民主府連会長が言うような「これまで一緒にやってきたから」といった子供だましの言い草が吹っ飛ぶことは確実だろう。そのとき京都市長選にどんな変化が生じるのかはだれも予測できない。次回はその発生源である「前原新党」の行方を考える。(つづく)