浮かび上がってきた自民・民主2大政党による政権たらい回し構図、(福田辞任解散劇、その8)

 つい先日、「朝日21関西スクエア」の会員交流集会が大阪であった。といっても読者の方々にはピンと来ないかもしれないが、朝日新聞大阪本社が組織した500人余りの「関西からのメッセージ集団」と称する各界の人たちの交流会である。不断はあまり会うことのない人にも会えるのと、そのときに催される講演会の中には興味をそそられるものもあるので、私も比較的よく参加している。

 今年の講演会のテーマは「日本政治の課題」という壮大なもので、講演者は朝日新聞政治記者星浩編集委員だった。時局が時局であるだけに、いったいどんなことを話すのか大いに期待して出かけたのだが、結果は期待外れでテレビのトークショー程度の話に終わった。そういえば、星氏はTBSの「サンデープロジェクト」の常連なので、その延長線上での話だったのだろう。

 しかし失望はしたものの、一方では朝日の政治記者(政治部)が現在の政局をどのように見ているのかを考える上では幾分かのヒントになった。それは最近の朝日があたかも「民主党機関紙」よろしく積極的な政権交代の論調を展開しているのと符合して、星氏の講演は「今回の総選挙は日本の政治史上に残る歴史的な政治決戦になる」ということをしきりに強調するものだったからである。

 星氏は「日本にもやっと有権者の投票行動によって政権交代が可能になる2大政党の時代がやってきた」と前置きして、民主党の政策を一つずつ取り出してそれが国民生活にどのような影響を及ぼすかを丁寧に説明した。まるで民主党の政策担当者のような話ぶりだ。そして総選挙の時期はまだ流動的だが、選挙結果は自民・民主接戦というよりは民主勝利の可能性が高いことを示唆した(私にはそう聞こえた)。

 でもこの話と最近の民主党の国会戦術とを突き合わせてみると、民主党の掲げる「政権交代」の中身が透けて見えてくる。たとえば、後期高齢者医療制度に反対しながらその継続を前提とする補正予算案に賛成するとか、これまで憲法違反だといってきたアメリカ海軍への給油法案の審議を促進して事実上賛成に方針転換するとかいった民主党の態度は、政策的にはほとんど自民党と大差がなくなってきている。民主党自民党の違いは、かっての自民党の各派閥間で論争された程度の「身内の対立」の枠内に収まるものなのである。

 このことは、民主党が「政権交代」を実現するためには、これまでの自民党がとってきた「日米同盟主義」と「財界代理人」という基本路線を引き継ぐことが必要条件であり、かつ絶対条件だと考えていることを示している。民主党代表の小沢氏も副代表の鳩山氏も元といえばは自民党の中枢部にいたのだから当然といえば当然の話なのだが、それが「政権交代」の現実的局面を目前にして露骨に出てきただけのことだといえよう。

 そうなると民主党という政党はいったいどんな政党なのか、その実態が問われることになる。「とにかく政権交代する」ことが大事で「政策転換なき政権交代」を民主党が担うことになると、これまでの自民党派閥間で行われてきた「政権たらい回し」の構図と何ら変わらないことになるのではないか。小沢氏や鳩山氏が自民党を出て民主党を作ったのは、「名前を変えた新たな自民党派閥」を自民党の外側に作っただけのことであり、「自民党の終焉」どころか「自民党の再生」でしかないのである。

 小泉元首相は地方や農村に一方の軸足を置いていた旧来の自民党を「内側」からぶっ壊して、アメリカと財界に直接奉仕する新自由主義政党に仕立て上げた。その矛盾が今回の総選挙での最大の争点である「格差社会」であり、「地方の疲弊」だ。しかし民主党がその根源となった新自由主義的政策の転換に踏み込まない限り、「政権交代」はあっても問題解決はもとより、当面の事態改善にもほど遠いというのが実情だろう。

 折しもアメリカ発の金融危機が全世界を席捲している。保守系有力紙のワシントンポストですらが「新自由主義の終焉」を認めざるを得ない時代だ。そんな世界の歴史的転換点にたって、いまなお日本の朝日が前世紀の遺物である保守2大政党制にしがみつかざるを得ないところに日本のジャーナリズムの衰退の深刻さを感じざるを得ない。

 現在、朝日の夕刊ではかっての名物記者の連載が行われている。笠信太郎とまでとは言わないが、しかし政治記者を名乗るのであれば、せめてもう少しは時代を見通した見識と情勢分析を披露してもらいたいものだと思う。(続く)