「国民の生活が第一」から「最小不幸社会」へ、(民主党連立政権の行方、その13)

 菅直人氏の首相就任記者会見(6月8日)、そして所信表明演説(6月11日)を聞いて驚いた。最初の記者会見では、日頃からの持論だといわれる「最小不幸の社会をつくることが政治の役割だ」と述べ、国会の所信表明演説では、昨年の衆議院選挙の民主党の公約だったはずの「国民の生活が第一」が忽然と消えた。民主党連立政権の基本姿勢が、「国民の生活が第一」から「最小不幸社会」へ変質した歴史的瞬間である。

 菅首相所信表明演説の冒頭で、「政権を引き継ぐ私に課せられた最大の責務、それは歴史的な政権交代の原点に立ち返って、この挫折を乗り越え、国民の皆さんの信頼を取り戻すことです」と堂々と言っている。このくだりだけを聞けば、国民の誰もが菅政権は「歴史的な政権交代の原点に立ち返る」と思うだろう。

「歴史的な政権交代の原点」とはなにか。それは、小泉構造改革など国民生活を「格差と貧困の奈落」に陥れた自民党政治を終焉させ、普天間アメリカ軍基地の「最低でも県外、国外移設」によって、戦後60有余年にわたって虐げられてきた沖縄の人々の苦境を救うことだ。これが、総選挙で民主党に一票を投じて「歴史的な政権交代」を実現させた「政治の原点」なのであり、国民の信頼を取り戻すための何よりの証しでなければならない。

ところが、クリントン民主党政権の公約、「プッティング・ピープル・ファースト」をもじった民主党の選挙公約の「国民の生活が第一」が1年も経たないうちに跡形もなく消え、代わりに「強い経済、強い財政、強い社会保障」を掲げての「最小不幸社会」が登場した。つまり経済・財政・社会保障の一体的立て直し政策の行きつく先は「最小不幸社会」だというわけだ。

コロンビア大学ジェラルド・カーティス教授は、「「最小不幸」とは語感からして暗い。この言葉を聞いて、(国民は)勇気づけられ将来への希望を抱けるだろうか」と苦言を呈している(朝日6月11日)。だが私は、この「最小不幸社会」という言葉こそが菅政権のキーワードであり、これからの民主党連立政権の本質を言い表すものだと考えている。

まず鳩山前政権の命取りになった普天間米軍基地移設問題についての政策はどうか。所信表明演説の末尾でごく僅かに触れたのは、「普天間基地移設問題では先月末の日米合意を踏まえつつ、同時に閣議決定でも強調されたように、沖縄の負担軽減に努力するつもりです」というものだ。自公政権と同じく沖縄の民意(総意)を踏みにじり、アメリカの意向に従って辺野古地区に移設を強行することが「歴史的な政権交代の原点に立ち返る」というのであれば、これほど沖縄県民や国民を愚弄し、侮辱した話はない。これでは「最小不幸社会」は「最大不幸社会」に転化する。

また「強い経済、強い財政、強い社会保障」という経済・財政・社会保障の一体的立て直し政策についてはどうか。その回答は、「財政健全化の緊要性を認める超党派の議員により「財政健全化検討会議」をつくり、建設的な議論を共に進めようではありませんか」という呼びかけの中にある。自民党から国会に提出されている「財政健全化責任法案」を軸に、消費税10%(+アルファ)増税超党派(大連立)で実現させようというわけだ。

 すでにその「地ならし」は始まっている。トヨタ労組出身の直嶋経産相は、「法人税の税率を来年度にまず5%下げる必要がある。税制の抜本改革の議論を待つのでなく、成長戦略の一環として決断すべきだ」とぶち上げている(日経6月11日)。「強い経済」の実現のためには、まず「法人税の減税から始めよ」というわけだ。そして法人税減税による税収不足は、消費税の大増税で賄い、「強い財政」を実現するというのだろう。

 こう考えてくると、菅首相所信表明演説から「国民の生活が第一」が消えた理由がよくわかるというものだ。また「最小不幸社会」をキーワードにして、国民に「不幸を覚悟せよ」と迫る意図もよくわかる。アメリカや財界との合意を最優先して、「国民が痛みを分かち合う」ように仕向けるキーワードが「最小不幸社会」なのである。

 菅首相は、鳩山前首相と差別化を図るために盛んに「市民運動家」出身であることを吹聴している。市川房江氏の選挙運動に「草の根から身一つ」で取り組んだとか、松下圭一氏の「市民自治の思想」に学んだとか、湯浅誠氏と一緒に派遣村などの現場で「貧困・困窮者を支援」してきたとか、である。でも本当の草の根市民運動家であれば、「最小不幸社会」を目指すなどとは口が裂けても言わないだろうし、沖縄の心を踏みにじって平然としていられることもないだろう。また派遣村の支援活動を言いながら、派遣労働者を野放しにしてきた労働者派遣法の抜本改正に何ら言及しないということっもないだろう。「市民運動家もいろいろ」であって、立身出世のために市民運動やボランティア活動という「ルート」を利用する者もいれば、パフォーマンスのためにお遍路修行をする者もいるのである。

 目下の政局が政権交代の過渡期であるせいか、国民の多くはまだ民主党連立政権、なかでも菅政権の本質を見抜いていない。小沢氏に代表されるような自民党上がりの(旧いタイプの)利権政治家の姿は比較的理解しやすいが、菅氏のような「市民運動家の衣」をまとった(新しいタイプの)現実主義的・新自由主義的政治家が出てくると、鳩山前首相のときと同じように最初は何かしらの期待を抱いてしまう。いわば「ナカミ抜きの新旧交代劇」に目を奪われて、それが目下の高支持率に反映しているのである。

 また鳩山首相が辞任してからのマスメディアの報道は民主党中心の政局一色となり、あれほど喧伝された沖縄の基地問題がピタリと消えたことの影響も大きい。沖縄の基地問題が何一つ解決されず、辺野古地区への移設問題が最大の政治課題として依然として継続しているにもかかわらず、「鳩山前首相は、普天間基地問題に対する責任を率直に認め、辞任という形で自らけじめをつけました」という菅首相の「けじめ論」をマスメディアが事実上容認しているからである。

 しかし事態の推移はこれからだ。間近に迫った参議院選挙の行方も気になるが、むしろ菅政権の本質が問われるようになるのは、選挙後の消費税増税をめぐる超党派(大連立)の動きが始まってからのことだろう。選挙後の情勢は、政党間の合従連合が進むかもしれないし、また政党配置は現状のままで「政策の大連立」が発生するかもしれない。しかしいずれの場合においても、それが国民生活の負担として直接に降りかかってくるだけに、菅政権に対する「目のうろこ」が落ちる日もそう遠くないと思われる。