世界同時不況に関するアメリカの論調の変化、(福田辞任解散劇、その9)

 「資本主義の未来」という表題に釣られて、時々しか読まない『ニューズウィーク日本版』(2008年10月29日号)を買ってみた。「レーガン主義の終焉とグローバル経済の明日」というサブタイトルが目に入ったこともあるが、フランシス・フクヤマ(ジョンズ・ホプキンズ大学教授)の特別寄稿、「アメリカ株式会社の没落」に興味を魅かれたからだ。

 フランシス・フクヤマといえば(かっての)アメリカを代表するネオコン政治学者であり、ソ連の崩壊直後に書いた著書、『歴史の終わり』(1992年)がとりわけ有名だ。日本でも右翼評論家の渡部昇一氏によって早速翻訳され、社会主義の終焉と資本主義の永遠の勝利を高らかに謳い上げた話題作として一躍注目を浴びた。

 そのフクヤマが最近はブッシュのイラク戦争に批判的な主張を展開するようになり、遂に今回の金融危機に際しては「資本主義の未来」に疑問を投げかける「アメリカ株式会社の没落」という寄稿をするまでになったのだから驚きだ。内容についても、レーガン大統領の就任以来(1981年〜)アメリカの最も重要な「輸出品」であった「思想」が今回の金融危機で著しく損なわれたというもので、政治学者らしいオーソドックスな分析である。

 いうまでもなくアメリカの「ブランド力」であったその「思想」とは、1つは「減税と規制緩和と小さな政府が成長の原動力になる」という規制緩和万能主義であり、もう1つは「世界中で自由と民主主義を確立することによって、開放的で豊かな国際社会を実現すべきだ」というグローバル経済至上主義の新自由主義思想である。だがその結果、フクシマは「いまや成長を牽引してきた米経済は大混乱に陥り、しかも金融危機の元凶はアメリカ流の資本主義そのもの。小さな政府を標榜する米政府は金融業界の監督を怠り、社会に多大の打撃を与えるのを放置した」と断定する。そして「レーガン主義は今回の金融危機で息の根を止められた」と結論するのである。

 日本には、アメリカの「ブランド思想」を声高に唱えてきた政治家やネオコン学者は数え切れないほどいる。アメリカのレーガンやブッシュを「胴元」や「番長」だとすれば、いわばその「パシリ」ともいうべき手下が小泉元首相や竹中金融経済相などの構造改革推進グループだろう。そして「パシリのパシリ」が宮内オリックス会長やホリエモンというところだろうか。だが、彼らはこの期に及んでも何一つ語らない。いや語れないのである。

 その代りといっては何だが、構造改革の旗振りをしてきた日本のマスメディアは依然として「健在」だ。たとえば10月25日の朝日新聞は、アメリカのノーベル経済学賞受賞者のポール・サミュエルソンの「規制緩和金融工学が元凶」と題する新自由主義批判のインタービュー記事と並んだ社説で、「消費税アップ、麻生首相は本気を示せ」と主張するのである。そして「増税の時期と引き上げ率などを具体的な行程表にして総選挙に臨み、勝てばただちにそれを法律で定めると約束することだ」とまで踏み込んで提案している。

 小泉構造改革によって「これだけの痛み」を受けてきた国民に、まだ「これ以上の痛み」を平気で押し付けるとは並の神経ではないが、ひょっとするとこの朝日社説氏は、実名では書けないどこかのネオコン学者(たとえば竹中平蔵氏とか)が代筆しているのかも知れないと思うほどの書きぶりだ。それほど現在の国民生活の危機的情勢や不況とかけ離れた国民世論を無視した暴論だといわなければならない。

 こうした類のマスメディアが「健在」であるからこそ、麻生首相は夜な夜な高級レストランと会員制バーで豪遊を繰り返すことができるのだろう。イギリスのブラウン首相は「朝起きてから寝る時まで一心不乱に経済金融対策のことを考えている」とマスメディアのインタビューに答えているが、麻生首相は豪遊について質問した記者に対して、「お前、聞いているんだよ」とべらんめ口調で逆質問する始末。まるでどこかの「ヤクザ」か「テキヤ」紛いの対応ではないか。(続く)