ぶざまな小沢民主党、(福田辞任解散劇、その10)

 麻生首相が昨日記者会見をして「当面は解散しない」といった。それ以前から「政局よりも政策」と言っていたので、「予定の行動」というところだろう。解散すれば自民党議席が確実に減るという予測が出ていたのだから、常識的にいえば「負ける勝負」はしないというのが通り相場だ。

 ところが小沢民主党は何を勘違いしたのか、「とにかく解散」の一本槍で政局中心の国会運営に終始してきた。補正予算案もインド洋給油法案も審議抜きで協力し、遮二無二で解散路線で突っ走ってきたのである。おそらくその背景には「国対密約」でもあって、「議案成立に協力する代わりに解散する」という裏取引があったのだろう。

 この間の経緯を見ていて思い出したのは、与党と野党が「激突」していた頃の国会運営だ。絶対反対の方針を掲げていた野党がいつの間にか矛を収めて、表向きは「反対」を表明したまま裏では法案成立に協力するという例の構図である。おまけに与党からはその際に使途不明の多額の機密費が支出されて、その行き先がわからないということもしばしばだった。

 今回はまさかそんなこと(機密費)はないと思うが、しかしこのような国会運営のやり方は自民党時代の小沢氏が最も得意とする手法だ。与野党間の国対委員長の裏取引で国会運営のスケジュールや段取りを決め、後は筋書き通りに実行したまでのことだろう。ただ小沢氏にとって誤算だったのは、「与党」と「野党」の立場の違いを最後まで読み違えたことだ。

 小沢氏は参議院ですでに民主党が第1党を占めていることもあって、基本的には自らが「与党」の立場にあると考えているようだ。福田内閣との間の「大連立」の話を与党派閥間の密室協議のように進めたのも、そのあらわれだといってよい。与党と野党との間にはもはや政策的にも気分的にもそれほど大きな差がないのだから、今後の安定的な国会運営を考えれば「絶対多数」の議席を確保できる「大連立」が最も望ましいのであり、それが「大人の政治」だと考えているからである。だから今回の衆議院解散も派閥間の「話し合い解散」程度の感覚で臨み、それを実現できると考えていたのである。

 また麻生首相のほうも一定の支持率さえ確保できれば、自らの政権基盤を固める上で解散総選挙は避けて通れない。機会さえあれば総選挙に打って出たいというのが本音だった。こうして小沢・麻生両氏の意を受けた側近の両国対委員長が「話し合い解散」の筋書きを書き、それに沿って政局運営が粛々と進んでいたのである。

 しかし、事態はアメリカの金融危機で急変した。麻生氏が事ある度に発言する「100年に1回の暴風雨」とは、アメリカのグリーンスパン前連邦準備理事会議長が議会証言のなかで使った言葉だ。グリーンスパンは、自らがサブプライムローンを野放しにして金融投機を煽った責任を回避するために、今回の金融危機をあたかも「天災」のような表現で形容し、それが「不可抗力」であったような発言を繰り返しているのである。

 それはさておき、昨日の首相記者会見で麻生氏の当面の意図があきらかになったような気がする。それは今回の金融危機を「千載一遇のチャンス」としてさまざまな経済対策、景気対策を絆創膏的に繰り出し、また金融サミットなどへの外交日程を最大限利用して、国民の眼を構造改革批判から逸らして麻生政権をこのままずるずると継続していくという作戦だ。

 すでに昨日今日の新聞紙面には、1世帯当たりの給付金が幾らになるといった話や住宅ローン減税などの景気対策がクローズアップされ、現在の国民生活における貧困や格差の根本原因である派遣労働問題や後期高齢者医療制度問題あるいは年金問題などが後景にかすんでしまっている。「危機だ、危機だ」と煽りながら、肝心の火元は放置して目先の火の手に水をかける程度の「だまし戦術」なのである。

 しかし小沢民主党にとっては、この事態は想定外だった。何しろついこの間までは解散を前提にして審議らしい審議をしてこなかったのだから、事情が変わったのでいまさら「本格審議をする」といっても、国民は信用しない。ご都合主義もいいところだと思うだけだ。そうなると「徹底審議」を主張して景気対策予算案などの引き延ばし戦術に出れば、今度は国民の批判は民主党に向くことになる。

 それに民主党の現国対委員長をはじめ、多数の幹部が「マルチ商法業界の応援団」だったことが明るみに出たことも痛かった。利権と汚職にまみれた与党とそれほど利権体質が変わらないことが最もわかりやすい形で鮮明になったのだ。これでは「政権交代」をいくら民主党が叫んでも国民を引き付けることは難しい。

 アメリカでは、大統領選挙の投票日を目前にして民主党オバマ氏が日に日に優勢を増しているという。オバマ氏の政策がすべていいというわけではないが、候補者自身の溌剌とした魅力は否定できないだろう。それに比べて麻生氏と小沢氏の対決はいかにも清新さに欠ける。せいぜい「自民マッケイン」と「民主マッケイン」のドングリの背比べ程度だろう。

 こうして麻生政権は次から次へと景気対策を小出しにしてその場をしのぎながら、小沢民主党の人気が凋落するのを「時間稼ぎ」することができる。いわば民主党との不毛の政策論議の「泥仕合」に持ち込み、世論の嫌気を誘って「痛み分け」の勝負に引きずり込むという作戦だ。(続く)