民主党の蜥蜴の尻尾切り、(麻生辞任解散劇、その7)

 民主党にとって、小沢氏はどうやら「蜥蜴(とかげ)の尻尾切り」の対象になってしまったようだ。保守2大政党制を維持して何とか目下の政治危機を乗り切りたい財界やマスメディアにとっては、もはや小沢氏は次期政権の首班としてではなく、民主党から一刻も早く切り捨てなければならない「邪魔な尻尾」に化したのである。

 小泉政権は金権土建政治を土台とする「古い自民党」を壊して、グローバル大企業に直接奉仕する「新しい保守体制」をつくろうとした。その担い手として想定されたのが、自民党内の新自由主義的改革派とパートナーである民主党だ。「新しい保守体制」は、自民党民主党が2大政党として疑似的な「政権交代」を繰り返しながら維持してもよいし、場合によっては「大連立」をして安定政権になってもよい。これが「ポスト小泉」の政治シナリオだった。

 だが、阿倍・福田・麻生と続いた3代の「世襲議員政権」はあまりにもお粗末で無能だった。「新しい保守体制」を担うにはいずれも「古い自民党体質」が濃すぎ、財界やマスメディアが期待する新しい「パフォーマンス」を演ずることができなかった。麻生首相はいまだ政権にしがみついてロンドンの「金融サミット」(G20)に出席しているが、人品、容姿、知性、言動のどれ一つとってみても世界主要国の首相として要求される水準からは程遠い。各国のニュースはオバマ大統領夫妻に集中していて、麻生氏の映像はどこを探してもない。各国首脳で登場するのは、議長国のイギリス首相は別格としてフランス、ドイツ、ロシヤ、中国の首脳ばかりだ。

 こんな政権移行期の狭間を縫って登場してきたのが小沢氏だろう。金権土建派議員の直系として田中角栄金丸信両氏の薫陶を受けた「自民党のなかの自民党」である小沢氏が、こともあろうに民主党の党首に収まり、「政権交代」を担おうとするのだから、これほどの歴史の皮肉はない。にもかかわらず、マスメディアは2大政党制を喧伝し、民主党党首である「ニュー小沢」のイメージアップを図ってきた。

 その虚像が一挙に崩れ、「金ムク」の地肌が露わになったのが、今回の小沢公設秘書の逮捕・起訴だった。改めて小沢氏の政治経歴や政治資金獲得の胡散臭さが表面化するなかで、この間のマスメディアの粉飾によって霞んでいた小沢氏の実像が、国民の記憶のなかに再び蘇ってきたのである。

 小沢氏の「釈明会見」が国民の圧倒的な疑念と不信を払拭できなかったことは、2大政党制を推進する財界やマスメディアに対して大きな衝撃を与えた。そこで登場したのが「胴体」の民主党から「尻尾」の小沢氏を切り離す「蜥蜴の尻尾切り作戦」だ。これまでの「ニュー小沢」への評価は一変して、「古い自民党」を象徴する金権土建派政治家のイメージが復活した。そして「新しい民主党」の代表にはふさわしくないとのキャンペーンがスタートしたのである。

 しかし民主党はそれほど「新しい政党」なのか。「小沢グループ」といわれる数十人の議員は自民党体質そのものだといわれているし、小沢氏と同じく西松建設から政治献金を受けて議員も少なからずいる。マルチ業界肝煎りの議員連盟民主党中心だし、貸金業界の御用議員も民主党内には大勢いる。「古い金づる」の土建業界に食い込めなかった民主党議員が、「新しい金づる」のマルチ業界や貸金業界に食い込んでいるだけの違いなのだ。

 問題は、「小沢の尻尾切り」が「民主党の胴体切り」につながらないかということだろう。民主党が小沢氏を切り離せないのは、総選挙を直前にして「胴体がバラバラ」になることを極度に恐れているためだ。だから小沢氏が「自発的に辞めてくれる」ことを切に祈っているのである。そしてマスメディアの「小沢辞任キャンペーン作戦」に乗じて、次の「新しい表紙」を付け替える時期を狙っているのである。

 最近の読書離れの傾向の中で新書版の出版だけが活況を呈している。またこれに乗じて「古い文庫版」を人気アニメのデザインで「新しいカバー」に装丁する再版商法も繁盛している。自民党民主党も、そして財界もマスメディアも「カバーの付け替え」だけでは、もはや時代を乗り切れそうにないことがまだわかっていないのだろう。こうしていましばらく「古臭い2大政党制」のキャンペーンが果てしなく続くのであろう。でも次の総選挙ではどうなるかわからない。「政治は一寸先が闇」なのである。