菅政権のダッチロール(その11)、日本の行き先を示せない菅首相の年頭記者会見

 2011年は「長い過渡期の始まりの年」として明けた。そしてそれにふさわしく菅首相の年頭記者会見(1月4日午前NHKテレビ)は「夢も希望もない」ものだった。一国の指導者としての抱負や識見がまったく感じられないこの記者会見は、多くの国民にさぞかし大きな失望を与えたことだろう。

 でもこういっては叱られるかもしれないが、私はもとから彼の記者会見などまったく期待していなかった。というよりは、彼がなにを語り、なにを語らないかを注意深く観察していたのである。

 果たせるかなというべきか、やはりというべきか、彼が僅か10分程度の冒頭発言で述べたことを私なりに要約すれば、「今年は小沢問題にケリをつけるので、野党各党は消費税値上げを含む税制改革と予算審議に超党派で協力してほしい」というものだった。そこには沖縄の普天間基地移設問題についても、深刻化する若者の失業問題についても何ら言及がなく、首相自身が「平成の開国」と位置付ける環太平洋パートナーシップ協定(TPP)ですら素通りするという目を覆う内容だった。

 一国の首相の年頭記者会見となれば、本来なら国会での施政方針演説に匹敵する重みを持たせて然るべきだ。年頭に当たって自らの政権抱負を国民に訴え、当面する重要課題にどう対処するかを戦略的かつ具体的に語らなければならない。それがこともあろうに、外交政策の要である沖縄問題は素通りし、内政問題の最重要課題である雇用対策について一言も触れないとはどうしたことか。菅首相自身が、かっては「一に雇用、二に雇用、三にも雇用」と言っていたはずなのにである。

 冒頭発言に引き続いて記者団の質問が始まったが、これも最初から「各社一問一答」と決められているらしく、沖縄問題や内閣改造問題についての質問は出ることは出たが、首相のお座なりの回答に対する再質問もなく、これも僅か20分足らずのやり取りで終わった。いくら御祝儀相場の年頭記者会見とはいえ、これではマスメディアの名が泣くというものだ。せめて一社ぐらいは「想定外」の質問をして、仮面の内に隠れている実相を暴けないものか。

 そういえば、元旦各紙の社説もひどかった。読売新聞は例によって社主か主筆による大型社説を掲げ、「日米同盟の強化が必要」、「経済連携参加を急げ」、「消費税率値上げは不可避」、「懸案解決へ政界再編を」(いずれも文中の小見出し)を督促した。内容も論調も日経新聞元旦の米倉経団連会長の年頭インタビューにそっくりで、これなら経団連の機関誌に出しても恥ずかしくない代物だ。

 しかし読売社説が「政治的好機」とみてか、それなりの整合性のある右翼的論調を展開しているのに対して、「与野党の妥協しかない」という無節操な見出しを掲げた朝日社説には正直目を疑った。「朝日よ、どこまで堕ちるのか」というのが率直な感想だ。これでは、まるで程度の低い政治業界紙なみの水準としかいいようがない。大勢順応型の紙面づくりを進めていくと、論調が果てしなく劣化する見本のような社説だ。多くの朝日の現場記者はさぞかし憤っていることだろう。

 要するに朝日の言っていることは、高度成長時代が終わって少子高齢化が激化するこれからの日本は、高度成長時代の年金や健康保険など社会保障制度を見直さないと「財政がもたない」。だから「民主は公約を白紙に」して甘い政策と予算案を大幅に組み替え、自民党との大胆な妥協へ踏み出すことが求められるというものだ(カッコ内は文中の小見出し)。

 僅か1年4か月前、民主党マニフェストを天まで持ち上げ、「政権交代」があたかも日本の政治革新の夜明けのような論説を書いたのはどこの誰だったのか。それが舌先の乾かないうちに口を拭って、かくなる元旦社説を掲げるとは、(物忘れが酷いとはいえ)読者を馬鹿にするにも程がある。おそらく菅首相は元旦各紙の社説に意を強くして、国民を馬鹿にするような年頭記者会見に臨んだのであろう。

 朝日は社説の冒頭に、「なんとも気の重い年明けである。民主党が歴史的な政権交代を成し遂げてから、わずか1年4カ月。政治がこんなに混迷に陥るとは、いったいだれが想像したであろうか」と書いた。だが私にはこの一節が次のように読める。「なんとも気の重い年明けである。民主党が歴史的な政権交代を成し遂げてから、わずか1年4カ月。朝日がこんなに混迷に陥るとは、いったいだれが想像したであろうか」。