菅政権は「新ファシズム」(ファッショ的専制政治)のまえぶれか、(民主党連立政権の行方、その14)

 首相交代後の一連の国会運営、そして6月17日に発表された民主党参院選マニフェストの内容を読んで、菅政権は「新ファシズム」(ファッショ的専制政治)のまえぶれともいうべき、きわめて危険な政権ではないかとの印象を強く持った。理由はたくさんある。

 第1は、言動不一致の大きさだ。野党のときはあれだけ「総選挙抜きの首相のすげ替え」を攻撃しておきながら、政権与党になった途端、なんの衒い(てらい)もなく首相のすげ替えをやる。また首相が交代したにもかかわらず、国会は所信表明と代表質問だけで、具体的な論戦の場を一切開こうとしない。極めつきは、小沢・鳩山の「政治とカネ」問題に頬かぶりしたまま、マニフェスト冒頭に臆面もなく「とことんクリーンな民主党へ」と書いたことだ。

 第2は、国民への公約を破ることになんの痛痒も感じていないことだ。今回の参院選マニフェストは、昨年8月の総選挙マニフェストから1年も経ていない。だが、その「舌の根も乾かない」うちに、マニフェストの根幹である重要政策を説明らしい説明もなく、それも平気で“180度”変更する。その典型が沖縄の普天間基地移設問題であり、消費税増税問題だ。

 第3は、デマゴギーともいうべき政治謀略を計画的に駆使していることだ。普天間基地の「最低でも県外移設」を掲げ、「消費税は上げない」ことを公約して政権交代したにもかかわらず、いったん政治権力を獲得すると、その政権交代の土台となった公約を平気で踏みにじる。これは、「大きいウソの方が国民をだましやすい」とうそぶいたヒトラー並みのやり方であり、計画的な政治謀略だ。

 第4は、ファッショ的専制政治の担い手となる「大連立政権」を樹立しようとしていることだ。具体的には、自民党の公約である「消費税は当面10%」を最大限利用して超党派での議論を呼びかけ、事実上の「大連立政権」をつくろうとしている。また「日米共同声明」を機軸にして日米同盟を深化させる点でも、自民党や「名ばかり新党」との間には何の政策上の違いもない。

 第5は、ファッショ的専制政治の仕上げとして、国会議員定数の大幅削減を実行しようとしていることだ。マニフェストに掲げられた「参院定数40程度削減」、「衆院比例定数80削減」は、日本の議会制民主主義の姿を大きく変える。ファッショ的専制政治に批判的な政治勢力を国会から締め出すため、議員定数を大幅に削減することは、洋の東西を問わずファッショ政権の常套手段である。

 第6は、政治謀略を効果的に実行するため、マスメディアとの提携を深めていることだ。デマゴギーを広く浸透させるためには、ナチスばりの大量宣伝が不可欠だ。現代の大量宣伝はマスメディアが担う。マニフェスト発表を伝える6月18日の各紙紙面からは、沖縄の普天間基地問題のニュースが一斉に姿を消し、「政治とカネ」問題は片隅に追いやられた。一面トップに躍る見出しは、どこを見ても「菅首相、消費税10%に言及」という大宣伝記事ばかりだ。
 
 すでにマスメディアと菅政権の間では、このような「阿吽(あうん)」の連携プレーが作動しているのだろう。朝日はこの日、ここぞとばかり「参院選マニフェスト、「消費税タブー」を超えて」との大社説を掲げ、日経は二面ぶち抜きで各党の「2010参院選マニフェスト」を特集した。だがそこには、民主党自民党をはじめ「名ばかり新党」の選挙政策までが丁寧に紹介されているにもかかわらず、公党である共産党の欄はない。

 主義主張の違いはどうあれ、「社会の公器」であるマスメディアが、特定政党の主張や政策を黙殺することは尋常でないし、異常そのものだ。ファッショ政権の宣伝工作の特徴は、批判勢力の存在自体を封殺し、圧殺することだ。菅政権の登場とともに、ファッショ的専制政治を表から応援する宣伝部隊がマスメディアの中からはやくも生まれてきたことは、その前兆をうかがわせるものとして強く警戒しなければならない。

 しかし菅政権にいま最も欠けているものは、「ヒトラー・ユーゲント」のような大衆組織と街頭行動だろう。最近では、右翼系の「市民組織」が公然と活動を始めているが、「市民運動家」出身の菅首相がこのような「市民組織」を取り込むことは十分に考えられる。そのときの両者の結節点になるのは、おそらく「改憲」運動あたりだろうが、松下政経塾がそんな街頭行動の担い手になる日が近く来るかもしれない。

 菅政権のマニフェストをテレビや新聞でもてはやしているうちはまだしも、それが街頭運動の姿を取り始めたときには、ファッショ的専制政治は本物の「新ファシズム」に転化する。いまはそれがまだ「前兆」であり「予兆」であったとしても、「危険な芽」は蕾のうちに摘んでおかなくてはならないと思う。