北朝鮮を「鏡」にして見た中国の「実像」、反日デモの背景、(近くて遠い国、北朝鮮への訪問、番外編、その5)

 8月上旬の北朝鮮訪問を切っ掛けにして始めたこの「北朝鮮日記」は、今回を含めて約20回になる。だが当初の意図とは異なり、最終的には中国問題に行きついたのは自分でも意外だった。とはいえよく考えてみると、北朝鮮問題は中国問題と表裏一体である以上、「表側」の北朝鮮の特殊性にだけ目を向け、「裏側」の中国との共通性を見ていなかった自分の認識が浅かっただけのことだ。

 中国が劇的な改革開放政策に転じて以来、日本では中国の経済的躍進がもっぱら注目の的となり、中国の「光」の部分だけが私たち日本人の「中国イメージ」を形づくってきたのではないか。その背景には、輸出偏向型日本経済の行き詰まりを国内需要の回復によって是正するのではなく、アメリカに替わる巨大市場を中国に求めた経済界の強い意向があったものと思われる。自動車産業や家電製造業などは言うまでもなく、流通業から各種サービス業に至るまで、日本企業の中国進出がまるで「打出の小槌」のような響きでとらえられてきたからだ。

 また最近では、日本への中国人観光客の誘致が不況に悩む各地の観光業や百貨店・量販店などの「救世主」として登場してきたことも記憶に新しい。いまや全国各地の地方空港では、日本航空など国内定期便の撤退の穴埋めとして中国との臨時便や直行便(格安航空便)の開設が焦眉の課題となり、これと連動して温泉・ゴルフ・買物を結んだツアー計画が目白押しに並んでいる。バブル時代の一攫千金を夢見た失敗のツケを、まるで中国観光客の大量誘致で取り返そうといわんばかりだ。

だがしかし、今回の北朝鮮世襲体制への積極的容認と支援、日本に対する尖閣諸島問題への理不尽で高圧的態度、そして劉暁波氏のノーベル平和賞受賞に関する世論統制と人権抑圧行動は、中国の「影」の部分を国際的にも色濃く映し出すことになった。とりわけ劉氏夫妻に対する当局のありとあらゆる人権抑圧は、北朝鮮の軍や警察による国民抑圧体制と何ら変わることがない。中国に対する不安感と恐怖心が込み上げてくるのを、私はどうしても抑えることができなかった。

なかでも心底驚いたのは、それに引き続いて中国内陸部に激しい「反日デモ」が発生したことだ。それも四川省都である成都市、陝西省都の西安市で、学生を中心にした大規模な反日デモが起きたことは私にとっては大変なショックだった。詳しい事情はよくわからないので即断を避けなければならないが、西安では7千人もの学生がデモに参加したというから、「一大事」であり、「大変」な事態であることは間違いない。

西安市の大学や学生たちとは、私たち京都の建築・都市計画系の大学教員や学生グループは、以前から親密な友好関係を築いてきた。京都の平安京が唐の長安をモデルにしてつくられたという歴史的関係もあって、京都の各大学には西安からの多くの留学生が学んでおり、彼・彼女らを通して学術交流も盛んに行われてきた。2004年8月には、京都の建築・都市計画系の大学教員や学生たちでつくる「京都コミュニティ・デザイン・リーグ」のメンバー数十人が西安を訪れ、1カ月近くにわたって向こうの大学の寮で生活をしながら中国側の学生たちと合同の「まちづくりワークショップ」を開催した。

日中学生の多くは、互いの言葉がよくわからない。私たち教員も日本で学位を取った中国人教員の通訳を通して何とか会話できる程度だ。だが日中両国の学生数をほぼ等しく組み合わせた10人前後のグループを10組ほどつくり、具体的な作業にかかるようになると、彼・彼女らは電子辞書と筆談そして片言の英語を通してすぐにコミュニケーションができるようになった。「まちづくりワークショップ」は現地でのフィールド調査が基礎になることもあって、互いの情報が共有しやすかったからだろう。

若者の感性と適用力はすごいものだ。1週間も経つと、彼・彼女らは以前からのクラスメートやゼミ仲間のような感覚で一緒に行動するようになった。互いの育った環境は異なるものの、それがかえって異文化交流の刺激剤となり、密集市街地・郊外開発地・中心商店街・歴史的寺院地区など、各々性格の異なる地域をいかにして改善し、整備し、活性化するかについて激しく議論を交わすようになったのだ。

最終段階では、グループごとに「まちづくり提案」のプレゼンテーションをして論評し合い、それらの結果を教員も学生も等しく投票をして優秀作品を選んだ。その後の打ち上げパーティが、空前の規模で盛り上がったことは言うまでもない。ワークショップが終了して、日本グループが帰国する日が近づいて来ると、親しくなった学生たちの間では別れを惜しむ感情が日増しに高くなった。西安空港での彼・彼女らが互いに手を握って離そうとしない光景は今も忘れられない。

その後輩である西安の学生たちが「反日デモ」に大量に参加したなど、率直にいって私はそのまま信じることができない。尖閣諸島問題に対する日本への抗議がスローガンだったというが、それは単なる「切っ掛け」であり、「口実」にすぎなかったのではないか。私たちが訪問した頃から中国では大幅に大学拡張政策がとられ、これまでの専門学校が大学に格上げされて学生定員が倍増されるなど、大学の大衆化が激しく進行していたにもかかわらず、それに見合う対策が極めて不十分だったからだ。

大学の「入口」を拡げても、「出口」を確保することは容易ではない。大幅に増員された学生を就職させるだけの職場を確保することは非常に難しい。かっての少数のエリート的存在であった学生たちは、いまや日本人学生と同じく「就活」に身を削らなければならない状況に直面しつつあった。しかも内陸部は沿岸部にくらべて経済発展のスピードが著しく遅い。そんな矛盾が今回の「反日デモ」の背景になっているのではないか。(つづく)