北朝鮮を「鏡」にして見た中国の「実像」、太子党による世襲体制の究極矛盾、(近くて遠い国、北朝鮮への訪問、番外編、最終回)

日中交流の場では、中国の学生たちはあまり政治の話はしない。というよりは、大学当局から「政治の話はしないように」と釘を刺されているらしい。だが日本の大学に留学して学位を取り、中国で教職や研究職に就いている教員たちのなかには、天安門事件当時に国内外で民主化運動をした人たちも数多くいて、その人たちと私たち日本人教員との間では自由に意見が交換できる。お互いに「オフレコ」の信頼関係があるからだ。

西安は、京都と同じく「大学の街」、「学生の街」だ。大小合わせて100近い大学があり、学生数は北京に及ばないが、市民のなかに占める学生数の比率は、北京を凌いで中国一だ。このことは、日本における京都と東京の大学関係にもよく似ている。西安では大学や学生の与える社会的影響力が大きく、だから学生が市内にデモに出るといったことになると、それは「一大事」を意味するのである。

当時から(そしていまも)聞いていた中国の学生や教員たちの批判(不満)の中心的内容は、「地方政府の党や役人の腐敗がひどすぎる」ということだ。一党支配の下であらゆる権限が彼らに握られている結果、通常の行政実務、教育研究実務においても教員や学生の意見はほとんど通らない。まして新しい事業や制度をつくろうとなると、そこに様々な権限(利権)を行使する党幹部や役人が介入し、暗躍するというわけだ。

成都西安を中核とする中国内陸部では、目下、「西部大開発計画」が進行中だ。沿岸部の先行開発の結果、内陸部との地域格差が深刻化し、このまま放置すると「地方の反乱」が広がり、中国全体の一党支配体制が崩壊する恐れが出てきたためだ。このため、ここ数年間物凄いスピードで各種の開発事業が内陸部の大都市に投入され、省都など中心都市では「開発に次ぐ開発ブーム」に沸いている。

だが「開発」は、日本の高度成長時代と同じく「利権」と直結している。日本では田中角栄金丸信小沢一郎など「土建族議員」がこの時期一大勢力を築いたが、中国では「太子党」や「小太子党」などといわれる党幹部や官僚など血縁で固められた特権層が「開発利益」(開発利権)を独占し、一般市民とは隔絶した富裕層を形成するようになったのである。

偏った「開発」は、必然的に環境破壊や災害を生む。ここ10年ほどの間、中国の内陸部で集中的に発生している大震災や大風水害は、国家や地方政府が地域全体の均衡のとれた開発を軽視(無視)し、環境保全や防災対策をなおざりにして、利権中心の都市開発事業を推進してきたツケが回ってきたと指摘されている。

しかし悲しいことには、中国内陸部の災害復興支援に向かった日本人研究者の話によると、災害復興事業それ自体が党幹部や官僚の利権の巣になり、被災者のニーズや意見を無視して復興事業が強行されているという。たとえば、手抜き工事で多くの児童生徒が犠牲になった小中学校建築の倒壊原因の究明に蓋をし、工事施工者と行政当局の癒着関係を隠ぺいして、再び問題業者に工事を委ねているケースなど、枚挙のいとまもない。

先日閉会した党中央委員会で、次期指導者として習近平国家副主席がその地位を固めたという。習近平氏はいうまでもなく一党支配のなかの「太子党」の中核に位置する世襲幹部であり、この間の中国の経済発展の成果を享受してきた既得権層、特権層の代表者でもある。いわば「党中党」を構成する中心人物だといってよい。

専制政治の圧制から人民を解放するために戦った革命幹部の子女が、今度は自らが特権層として人民の上に君臨することなど、「社会主義」のテキストのどこにも書かれていない。だが北朝鮮と中国の現実は、一党支配のもとでの世襲幹部によって専制政治が継承されている。これは否定しようのない事実であり、この事実は「社会主義国家」の虚構性を暴露せずにはおかない。

北朝鮮体制崩壊は、目下、中国の支援によって辛うじて免れている。だが「母屋が傾けば小塀は倒れる」のであり、その歴史的瞬間はそれほど遠くないところまできている。(おわり)