安倍首相は「パンドラの箱」を開けた、若者が憲法の平和主義、民主主義、立憲主義の理念に目覚めた、「歌を忘れたカナリア」(大人たち)が若者たちの勇気と行動に感動して反対運動に加わった、この「歴史的歯車」は来年夏の参院選に向けて一路動いていくだろう、憲法破壊の安保法案「成立」後の政治情勢について(1)

 国民世論の圧倒的反対を押し切って、政府・自公与党は2015年9月19日未明、衆院に引き続き参院本会議においても安保法案(戦争法案)の採決を強行した。国是である憲法を1内閣の閣議決定で勝手に解釈改憲し、安保法案審議では問答無用の強行採決を繰り返すだけ。こんな有様は「議会クーデター」にも比すべき暴挙であって、自公与党らの振る舞いはどんなことがあっても許すことが出来ない。

私は9月17日午後の参院特別委員会のテレビ中継を一部始終見ていたが、鴻池委員長の不信任決議案が否決された直後、自民党議員が突然委員長席を取り囲んでスクラムを作り、野党議員を一切排除したまま佐藤自民党筆頭理事(ヒゲの隊長)の手信号で与党議員が起立を繰り返すという異様な光景を目の当たりにした。この間わずか8分、法案5本の採決が行われたと言うが、議事録には「議場騒然、聴取不能」とあるだけで一切の記録がない。どの時点で何の採決が行われたのか、議場にいた野党議員すら分からず、与党議員の中には6回、7回も起立する者がいたという(毎日新聞、2015年9月18日)。
 
参院は「良識の府」「言論の府」などといわれているそうだが、これでは衆院の単なるコピーにすぎず、議会制度を無視した討論抜きの議事進行(強行採決)があっただけだ。安倍内閣立憲主義を蹂躙し、議会制民主主義を根底から覆した独裁政権として厳しく断罪されるだろうし、安倍内閣を支える自公与党および強行採決に加担した諸勢力は、日本国憲法を破壊した「A級戦犯」として必ずや国民の厳しい審判を受けることになるだろう。
 
 それにしても、今回の安保法案強行劇は何から何まで異様きわまりないものだった。最初から最後まで「騙まし討ち」の連続だったと言ってよい。最初の「騙まし討ち」は、昨年暮れの「アベノミクス解散」だ。安倍首相は安保法制に一切言及せず、景気回復を唱えただけだ。自民党マニフェストのタイトルは『景気回復、この道しかない』というもので、「集団的自衛権」の文字など何処を探しても見つからない。重点政策は「経済再生・復興加速」「地方創生」「女性活躍」「財政再建」の4項目が掲げられているだけで、安全保障政策は一切出てこないのである。

そして最後の「騙まし討ち」は、参院特別委員会での総括討論抜きの強行採決だ。安倍首相の「国民に丁寧に説明する」こととは、国民や国会を騙まし討ちにして安保法案を強行採決することだったのである。総括討論の答弁に最終責任を持たなければならない安倍首相が、自民党議員が委員長席を取り囲んだ瞬間にさっさと議場を後にしたことが何よりもそのことを証明している。国会前集会・デモに参加していた友人たちの話を聞くと、終盤になるに連れて、シュプレヒコールは圧倒的に「安倍退陣」「安部ヤメロ」に変化していったという。

 この有様をマスメディアはどう報じたか。安倍政権の広報紙・産経新聞は言うに及ばず、読売新聞の見出しは「安保新時代」を称える祝賀ムード一色だ。「安保法案成立へ、参院未明の採決、集団的自衛権可能に」「日本の安保 新時代へ、日米同盟軸に抑止力、自衛隊 広がる国際貢献」「首相 10年越しの宿願、支持低下でも譲らず」などなど、安保賛歌・安倍賛歌で彩られている。社説も「安保法案成立へ、抑止力高める画期的な基盤だ、『積極的平和主義』を具現化せよ」と安保法制の全面展開を求めるものになっている。記事の中にも「強行採決」の言葉は一切なく、野党が長時間の演説で「議事を妨げた」とあるだけだ。「目的のためには手段を選ばない」という言葉があるが、「安保法案成立のためには手段を選ばない」安倍政権をここまで賞賛するのであれば、同紙はもはや議会制民主主義を放棄(否定)したと思われても仕方がないだろう。

 これに比べて財界の機関紙・日本経済新聞はやや抑制的だ。「安保法案成立へ、集団的自衛権 行使可能に、戦後政策の大転換、野党、違憲と批判」、「安保、最後まで激突、野党、未明の抵抗重ね、内閣不信任案は否決」「首相、悲願達成へこだわり、支持率犠牲に保守カラー」「『声、今後も』『一歩前進』、安保法成立 議論やまず」「『違憲』論争、司法の場へ、具体的事案、訴えの要件に」との見出しにもあるように、安保法案の議論を巡っては賛否両論があり、国会内外の反対運動についても丁寧に伝えている。

たとえば、「安保法成立 議論やまず」といった19日夕刊記事は、「これで議論は終わりでない――。国会内外で賛否を巡り大きな議論になってきた安全保障関連法案が19日未明に成立した。集団的自衛権の行使容認など国の将来にかかわる法制に対し、政治や憲法問題に距離を置いてきた若者らも様々な立場から意見を発信してきた。『声を上げ続ける』『国民が二分されるのはよくない』。成立後もインターネットなどでは反応が広がり、なお国会前に集まる人たちの姿が見られた」とのリード文のあと、「政権が『8月までに』と言ってきた採決が、国民の反対でここまで遅れた。僕たちに悲壮感なんて全然ない」(シールズ、学生)、「黙ったら認めることになる。いつまでも声を上げ続ける」(主婦)、「訴えを続け、さらに輪を広げたい。初めて投票権を得る来年の参院選では責任を持って一票を投じたい」(女子高校生)などの声を幅広く拾っている。現場記者もデスクも安保法(廃案)を巡る議論がこれからまだまだ続く、大きくなると認識しているわけだ。それが来年参院選の一大争点になると予想しているのである。

「『違憲』論争、司法の場へ」と言う記事もこれからの安保法廃案運動の展開を示唆する興味ある記事だ。憲法81条は法律が違憲かどうかは最高裁が判断すると規定しているので、現在、多くの法曹が成立したばかりの安保法を違憲訴訟に持ち込むことを検討しているという。ただ、違憲訴訟は「違憲」として訴える具体的な事件・事案があることが前提になっているので、裁判所に門前払いされる可能性が大きいとされる。しかしこの点に関しても、同紙は安保関連法に関しては「選挙の争点にするなど国民の声を聞く手続きを経たと評価できず、統治行為論を当てはめる正当性が問題になる可能性もある」との元最高裁判事の言葉を引いて、その可能性を否定していない。背景には8月末の日弁連が開いた「オール法曹、オール学者」の一斉集会で、元最高裁判事、元内閣法制局長官憲法学者らが「安保法案は憲法9条違反」だと訴え、また75人の元裁判官が「憲法を守ることを職務としてきた立場から看過できない」として法案の慎重審議を求める要望書を参院議長に提出したなど、司法関係者の積極的な行動がある。

朝日・毎日両紙の記事については後日紹介するとして、ここでは結論を急ぎたい。私の言わんとすることは、安倍首相が憲法破壊と言う「パンドラの箱」を開けたということだ。安倍首相は多分、玩具箱と「パンドラの箱」の違いが分からなかったのだろう。子どもが玩具箱をひっくり返すことは快感かもしれないが、憲法破壊という「パンドラの箱」だけは決して開けてはいけなかった。彼の意図や想像のレベルをはるかに超える事態がいま起こっていて、これからさらに大きくなっていくからだ。その一例が「SEALDs」の行動に象徴される若者たちの精力的な行動だろう。

 聞けば、「SEALDs」は今年5月3日の憲法記念日に結成されたばかりの学生団体で、全国に数百人のメンバーが散らばり、インターネットでお互いの連絡を取りながらそれぞれ組織できる所からどんどんアクションに移していくのだと言う(私たちの時代はガリを切って細々とビラを撒いていた)。6月14日の東京デモが最初のきっかけで1週間後の21日には京都デモとなり、それ以降は全国各地で燎原の火の如き勢いでアクションが広がった。若者たちは連日の国会包囲デモの中心的存在になり、あっという間に反対運動の主役になっていったのである。

 彼・彼女らがいったいどんな趣旨と目的で行動に立ち上がったのか。ホームページを調べてみたが。出だしの一部だけを取り上げてみても、次のような格調高い宣言文が出てくる。「SEALDs(シールズ)は、自由で民主的な日本を守るための、学生による緊急アクションです。担い手は10代から20代前半の若い世代です。私たちは思考し、そして行動します。私たちは、戦後70年でつくりあげられてきた、この国の自由と民主主義の伝統を尊重します。そして、その基盤である日本国憲法のもつ価値を守りたいと考えています。この国の平和憲法の理念は、いまだ達成されていない未完のプロジェクトです。現在、危機に瀕している日本国憲法を守るために、私たちは立憲主義・生活保障・安全保障の3分野で、明確なヴィジョンを表明します。(以下、略)」

 この宣言文が言葉だけでないことは、何よりもその後の彼・彼女らの精力的な行動が証明している。毎金曜日には全国各地で(数)千人規模の反対デモが繰り広げられるようになり、若者たちの行動に刺激されてか「安保法案に反対するママの会」が全国各地で結成された。手作りのプラカードを掲げて小さな子どもを連れたママやパパが若者たちと一緒にデモをする姿が普通の光景になった。各都市の駅前で開かれる集会では、各年代の市民が若者たちのスピーチやアピールに盛んな拍手を送るようになった。「歌を忘れたカナリア」ならぬオジサンたちまでが若者に負けじと「OLDs」や「MIDDLEs」などの中高年集団を結成し、街頭に立つようになった。高校生たちも各地で動き始めた。若者たちの行動が市民各層に感動と勇気を与え、人々が思い思いのスタイルで反対運動に参加し、行動に立ち上がったのである。

 安倍首相は9月11日のインターネット番組で、「やはりタイミングというものが政治だ。平和安全法制(安全保障関連法案)の成立後は、もともと安倍政権に期待されている経済で成果をあげていきたい」と語っている(毎日新聞、9月12日)。首相は池田内閣のように安保法案反対運動のエネルギーをアベノミクスで吸収したいと考えているのだろうが、彼には60年安保と現在の運動の違いが分かっていないようだ。非正規労働者が全労働者の3分の1に達し、実質賃金が低下し続け、株価も中国経済の不振で低迷している現在、いったい誰が安倍首相の経済政策に期待するというのか。「アベノミクス」で国民に期待を持たせた(騙した)瞬間はもうとっくに終わったのである。(つづく)