菅政権のダッチロール(その10)、日本の政策転換・政権交代は長い過渡期を必要とする

 この年末で機長や客室乗務員など170名のベテラン労働者が日航JALから強制解雇されるのだという。だが菅政権もその支持母体である連合も抗議の声一つすら上げようとしない。多くのマスメディアも事実上の黙殺状態を続けている。まさに日本資本主義にとっては、労働者の首切りなど「どこ吹く風」といったところだ。

 一方、連合は小沢元代表の処遇をめぐって民主党の分裂を避けるべく裏でしきりに策動しているが、自らの原点である労働者の権利擁護に関しては一向に動く気配がない。呆れる他はないが、幹部の目がもっぱら政局の動向に釘づけされていて、肝心の労働組合としての使命はとっくに忘れ去られたままだ。

 連合が1989年に結成されてから、今年ではやくも20年余りの月日が経過した。企業内組合の民間大企業労組に日教組自治労などの官公労が吸収されて総評が解体され、財界主導の「労働組合ナショナルセンター」がようやく実現したのである。日本の支配勢力が待ちに待った歴史的瞬間だった。

 労働組合を財界の意のままの組織に変質させることは、支配層の長年の懸案だった。「総資本対総労働」と位置付けられた幾つかの単産大争議を経て、1980年代末には経営者団体・財界の懸案はこうして達成された。その後、「総評会館」が連合の拠点になったことは、その変質の象徴ともいうべき出来事だろう。

財界が「国家改造」すなわち新自由主義国家への「構造改革」に乗り出すためには、その前提として「抵抗勢力の牙」を抜いておく必要があった。その最大の障害が総評であり、自治労日教組など官公労であったことは言をまたない。財界が労使協調を旨とする企業内組合に民間大企業労働者と公務労働者の主要部分を囲い込んだとき、国家改造の準備が整ったのである。

それから20年、日本の政治経済社会の構造改革の進展はまさに一瀉千里だった。1994年の衆議院小選挙区制導入と2年後の実施を契機にして革新政党議席数が激減し、保守2大政党化が一気に進んだ。1990年代半ばから財界の「構造改革シナリオ」が公然と姿を現すようになり、経済同友会の『新しい平和国家をめざして』(1994年)、日本経団連の『魅力ある日本の創造』(豊田ビジョン、1996年)、日本経営者団体連盟の『新時代の「日本的経営」―挑戦すべき方向とその具体策』(1996年)などが相次いで打ち出された。

 それ以降、連合も保守政党も財界のシナリオ通りに動いてきた。民間大企業労組や公務員労組から国会に送りだされた連合を母体とする衆参両院議員は、一致結束して財界の要求を実現するための手先となった。そして民主党による「政権交代」はその仕上げだった。

 だが長年、企業社会・企業主義的社会統合のなかで生きてきた国民には、この「構造改革の本質」がよく見えなかった。だから連合の支持する民主党に幻想を持ち、民主党があたかも「政策転換」の担い手であるかの如き錯覚を抱いた。そして現在に至るもその錯覚状態は解消されず、いまだに「出口」が見えないままいたずらに失望感と閉塞感だけが掻きたてられている。

 国民の錯覚が深刻な状況にあることは、民主党に対する失望と怒りが革新政党の伸長につながらないことにもあらわれている。政策上の混迷や民主党との野合によって社民党が低迷していることはそれなりに理解できるが、政策提起に筋を通しているはずの共産党が、世論調査でわずか1〜3%の「泡沫政党」の水準から脱皮できないことは理解に苦しむ。

 おそらく、今後の政局は実質的な「保守大連立政権」へ移行していくのであろうが、といってこのような事態に現在の革新政党が効果的に対応することができるとは思われない。政策の正しさを身内のメンバーに強調して組織の引き締めを図るだけでは、この難局を突破することは難しいだろう。組織の外側にいる圧倒的多数の国民にはその声が届かないからだ。

 事態の打開を展望できないのは、国民の選択肢のなかに「革新政党というカード」がないからだろう。「いいことは言っているが、大したことはできない」と思われているのである。これではいくら「正しい政策」を訴えても、国民は耳を傾けてくれない。「政治的アクター」として認知されていない政党が声をからして叫んでも、その届く範囲は知れている。

 保守の大連立政権に対しては、「革新の大連立政権」をつくらなくては対抗できない。具体的な形はこれから考えなければならないが、とにかく現在の革新政党を前提にして政策転換、政権交代を図ることは難しいというべきだろう。革新政党は自らの伸長のために闘うことはもちろんだが、それと同時に「革新のプラットフォーム」をつくることにもっと努力を傾ける必要があると思う。

 「革新のプラットフォーム」とは、現在の閉塞状態を打開する意思と行動力を持った人ならだれでも自由に参加できる「政治行動の場」だ。ただし共有するのは政策の内容であって、既存政党の組織原則や行動方針に縛られないというものだ。「政党に組織されたり所属するのは嫌だが、現在の政治体制をなんとか打開したい」と思う多くの国民が主体的に「政治に参加できる場」をつくれないかというものだ。

 すでに「憲法9条の会」がその萌芽的役割を果たしている。しかし具体的な政治活動を展開するには適していないし、またやるべきでもないだろう。とすれば、もっとアクティブな政治活動を行う「革新のプラットフォーム」があってもよいし、全国各地で「それらしき場」があってもよいのではないか。

 私は、来春の賀状に「2011年、長い過渡期の渦中で」と書いた。戦後日本の政治経済社会の転換は「長い過渡期」を必要とする意味だ。自公政権から民主党への政権交代は、やっとその「過渡期の始まり」にすぎないという趣旨である。