原発事故の真相解明を後回しにして、「復興構想」を先行させる菅政権の矛盾が激化している、「企業国家日本」の破綻、そして崩壊のはじまり(6)、(私たちは東日本大震災にいかに向き合うか、その13) 

政府の復興構想会議(議長・五百旗頭防衛大学校長)は、5月21日第6回会合を開いたが、予定していた「主な意見の中間的整理」の公表を5月29日の次回会合に先送りした。中間整理は6月下旬にまとめる1次提言の土台になるものだが、復興財源として消費税や所得税法人税など臨時増税の取り扱いをめぐって各委員の意見の集約ができなかったためだ。(各紙、5月22日)

 私は、かねがね原発事故が進行中であり(収束の見通しが全く立たない)、被災者の救援活動でさえ満足に行われていない段階で、「復興構想会議はいったい何を議論するのか」と疑問を投げかけてきた。果たせるかな、その後の復興構想会議の展開は、「議論百出」[空中分解]といった有様で、議論をどう集約するかがいっこうに見えてこない。

この事態はとりもなおさず、今回の大災害の原因究明や問題把握を横に置いたままで「復興構想」を議論すること自体が、根本的な矛盾を抱えていることを意味する。会議メンバーが問題の所在を把握せず、原因や構造についての共通認識をもたないままで「対策」や[構想]を検討することなど通常はあり得ないし、あったとしても、結果は「意見の羅列」に終わることは目に見えている。

だとすれば、予想される現状の打開方向は、五百旗頭議長に議論を一任して当初の政府の目論見である復興税などの提言を強行するか、さもなくば、多数意見の併記で議論を終結させることしか道はなくなる。前者の場合は、「やらせ会議」の素顔が一気に表に出ることで国民世論の総スカンを食うことは必至だろうし、後者の場合は、菅首相が会議運営の失態責任を問われることになって政治的危機を招くだろう。いずれにしても、大災害を“奇貨”とする復興構想は「元も子もない」状態に陥る他はないのである。

アメリカで2007年に発行された『ショック・ドクトリン』という本があるそうだ。著者のナミオン・クラインは、政変や戦争、自然などによる大災害を利用して、従来になかった新自由主義市場をその社会に持ち込む手法に触れ、「それは緊急事態を利用し、人々の判断力が鈍っているショック状態をできるだけ長引かせておき、その隙に企業に有利な新自由主義を政治的に取り入れるもの」と説明している。(『世界』2011年6月号)

私は、かねがね「日本の都市計画は奇禍の都市計画だ」と主張してきた。関東大震災時の『帝都復興計画』、第2次世界大戦後の『戦災復興計画』、阪神淡路大震災時の『創造的復興計画』しかりである。そして今回の『東日本復興構想』は、東北地方全域を対象とする「東北州」を視野に入れた道州制レベルの復興構想として立ち現れている。原発事故や大地震・大津波災害という未曽有の緊急事態を利用して、この際一挙に「道州制」という国土レベルの新自由主義的地方制度をファッショ的に導入しようと画策しているのである。

だが私たちは、すでに阪神淡路大震災で「創造的復興」の意味するものを十分に学んでいる。歴史は二度繰り返されるのかもしれないが、柳の下に二度も三度もドジョウがいるとは限らない。いま政府のとるべき道は、被災者や被災地の生活再建すなわち“復旧”に全力を傾注すること、そして原発事故や大津波災害に対する徹底的調査と原因究明に取り組むことであろう。そうすれば「復興への道」はおのずから開かれるのであり、そのときにじっくりと復興構想を検討すればよいのである。

菅首相はこれに先立つ5月10日の記者会見で、福島第1原発事故に関しては「調査委員会」を近く発足させるとし、(1)従来の原子力行政、過去の関係者からの独立性、(2)国民、国際社会への公開性、(3)技術面だけでなく(法律、行政、電力会社などの)制度や組織のあり方が事故に及ぼした影響を検討する包括性、の3点を運営の基本方針にすると言明した。と同時に、「国策として(原発を)進めてきた政府にも大きな責任がある。事故を防げなかったことを国民におわびしたい」と謝罪し、2030年までに総電力に占める原子力発電の割合を50%以上とする政府のエネルギー基本計画について「いったん白紙に戻して議論する必要がある」と表明した。(毎日、5月10日)

 エネルギー基本計画という国策を「いったん白紙に戻して議論する必要がある」のであれば、これまでのエネルギー政策を前提とした「復興構想」を策定することは“ナンセンスそのもの”になる。またエネルギー政策を白紙に戻すためには、今回の福島第1原発事故を徹底的に調査検証しなければならない。いずれにしてもこれらの基本命題を不問に付したまま、「復興構想」をこの数カ月でまとめようとすることなど、荒唐無稽な政治行為だといわなければならないだろう。

 最近、長年の畏友である浅野彌三一氏から2冊の報告書をいただいた。いうまでもなく浅野氏は、2005年4月25日に発生したJR西日本福知山線事故の遺族でありながら、それ以降、列車事故の究明と安全再構築のために献身的に活動してきた「4・25ネットワーク」の代表でもある。

氏から贈られた報告書とは、『JR西日本福知山線事故調査に関わる不祥事問題の検証と事故調査システムの改革に関する提言』(福知山線列車脱線事故調査報告書に関わる(運輸安全委員会)検証メンバー・チーム、要約版、本文、平成23年4月15日刊)、および『福知山線列車脱線事故の課題検討会報告―事故に関わる組織的、構造的問題の解明と安全再構築への道筋―』(4・25ネットワーク、西日本旅客鉄道株式会社、平成23年4月25日刊)である。

浅野氏の送り状(5月20日)には、次のような一節がある。「あの事故から6年、事故の要因に関するJR西の組織、構造上の問題や要因について、私なりに追求し、それを社会の課題として事業者自らに認識させない限り、“二度と起こさない”との言葉が、いかにも空々しく聞こえてなりませんでした。(略)
JR西との課題検討会と運輸安全委員会の検証チームによる2つの報告書は、私にとってその緒についたものだと思っています。まだまだとの感は否めませんが、被害者・遺族として一生懸命思考し、苦闘した1年余だったと思っています。この両報告書はそれぞれ独立したテーマではありますが、私の中では経糸と横糸の関係として、安全という概念への社会的土台になっていくと期待しています。」

 東日本大震災への今後の取り組みは、JR西日本福知山線事故調査に関わる組織的・構造的問題の解明と安全再構築への道筋を提起したこれら報告書が大いに参考になる。いや参考にしなければならない。以降、報告書の中から無数の教訓を汲み取り、東日本大震災の復旧復興のあり方を考えていきたい。(つづく)