“戒厳令”といったキナ臭さが漂う宮城県震災復興計画、「企業国家日本」の破綻、そして崩壊のはじまり(5)、(私たちは東日本大震災にいかに向き合うか、その12)

 防衛大学校自衛官松下政経塾出身で初の知事となった村井宮城県知事のもとで、県の震災復興計画の策定が急ピッチで進んでいる。村井知事は、国の東日本大震災復興構想会議のメンバーでもある。そういえば、復興構想会議の議長も防衛大学校長の五百旗頭真氏だ。偶然なのかそれとも意図的なのか、国と宮城県の震災復興計画が現職と元職の自衛隊関係者の手で同時並行して進められていることに、ある種の「キナ臭さ」を感じるのは私ひとりであろうか。

東日本大震災が発生する直前まで、日米関係は最悪だった。訪沖を前にしたアメリカン大学の準教授と学生たちに向かって、ケビン・メア国務省日本部長(前在沖米総領事)が「沖縄人はごまかしとゆすりの名人」、「日本政府は沖縄に金が欲しければ辺野古移転を受け入れろと迫るべきだ」などと語った露骨な差別発言は、沖縄はもとより日本全体の世論を一挙に硬化させた。またこの頃、菅首相も前原外相の政治献金題辞任の余波を受けて、いまや政治生命は風前の灯だといわれていた。ところが東日本大震災の発生によって、国内外の政治情勢は一変したのである。

地震発生からまもなくして、オバマ大統領が「日米の友情と同盟は揺るぎない」との声明を発表し、その後、米軍と自衛隊が一体となった救援活動が「トモダチ作戦」として大々的に展開された。有事における日米同盟の軍事力を国際社会(とりわけ中国)に対してデモストレーションする機会として、またメア発言で険悪化した日米関係を修復する機会として、「トモダチ作戦」が多大な政治効果を挙げたことはいうまでもない。

なかでもその象徴的ともいうべき出来事が、沖縄の嘉手納空軍基地のパラシュート部隊によって行われた宮城県仙台空港の復旧作戦だった。3月16日に松島上空からパラシュートで降下した空挺部隊は、まず滑走路の瓦礫を撤去して大型輸送機の着陸を可能にし、続いて輸送機で運ばれてきた重機などで滑走路全体を素早く復旧させた。その背後には、自衛隊出身の村井知事と首相官邸防衛省との密接な連携があり、仙台空港の復旧作戦を「日米軍事同盟の有事シンボル」としてクローズアップしようとする日米政府の思惑があった。

以降、村井知事の動きは被災3県のなかでも群を抜いている。前回の日記でも書いたように、震災前に「宮城の将来ビジョン推進アドバイザー」に任命していた山田澤明氏(野村総合研究所顧問)を中心にして、「単に元に戻すのではなく、震災の前より発展した姿を目指す」、「単なる復旧にとどまらず抜本的な再構築を図る」との方針にもとづき、8月までに宮城県の将来像を示すグランドデザイン「宮城県震災復興計画」を策定することを逸早く決定した。

また5月2日、計画策定のため発足した宮城県震災復興会議では、「震災による逆境を先進的なまちづくりに転換する」ことが強調され、具体的には「被災者住宅全戸への太陽光パネルの設置」「首都機能の東北地方への一部移転」「全国に先駆けた道州制の導入」「農業・水産業の集団化」「福祉都市構想」「自然エネルギーの拠点づくり」などの方策が提案され、実現のための制度・手法として「復興特区の設定」「土地私有権の制限」など、「超法規的」ともいえる手法が提起された。

村井知事は、国の復興構想会議においても毎回資料を提出し、第2回会議では「国への提言」として、(1)恒久的で全国民、全地域が対象となる災害対策のための間接税である「災害対策税(目的税)」の創設、(2)津波危険地域の公有地化・共有地化、(3)広域的・一体的な復興を進めるための「大震災復興広域機構」の設立、(4)思い切った規制緩和、予算や税制面の優遇措置を盛り込んだ「東日本復興特区」の創設などを提起した。また第4回会議では、沿岸漁業への民間企業の参入を促す「水産業復興特区」の創設、水産業の早期復興のためにインフラ整備や経営コストを国費で援助する「水産業の国営化」、第5回会議では首都機能の一部移転、分散化を盛り込んだ「東北への危機管理代替機能整備」を各々緊急提言した。(内閣官房ホームページ)

だが、村井知事が次々と繰り出す復興アイデアや脇目も振らず突っ走る姿勢に対しては、県内の被災地から強い反発の声が上がっている。養殖の漁業権を民間企業に開放する「水産業復興特区」の提案には、漁業権を独占する県漁協が猛反発し、県漁協会長らは県庁で知事に面会を求めて、「漁師は浜で生きて、死んでいくのが願い。経営がダメなら撤退してしまう会社組織は(地域の漁業に)合わない」と市場原理が地域の漁業を荒廃させることに危機感をあらわにした。漁協にとって漁業権の開放は「組織の根幹を揺るがす重大事案」(県漁協幹部)だからだ。

両者の意見は完全に平行線を辿ったが、村井知事は会見後、記者団に対して資本力や技術革新など民間活力のメリットを力説し、県漁協側が訴える企業撤退への懸念については「どの社会にも当然、リスクはある。(特区により)水産業が大きくなる可能性もあり、全てをネガティブにとらえる必要はない」と持論を譲らず、強気の姿勢を変えることはなかった。(河北新報、5月13日、14日)
 
一方、国の復興構想会議に対しては、村井知事は16日の定例記者会見で、「出されたものは政府が全てのみ込んでくれると信じている」と述べ、提言した全部の復興アイデアを実現するよう菅直人首相に求めた。知事は「首相が設けた会議と部会だ。優先順位が一番高いと思うから毎週参加している。全てのみ込む結果にならなければ、徒労に終わってしまう。(実現が)中途半端になることはあってはならない」と語った。委員間で意見が割れる増税論には「両論併記のような提言にすべきではない」と指摘。「多額の復興財源が必要なのは間違いない。決められた期限まで多数決を取ってでも考えを取りまとめてほしい」と話した。(同上、5月17日)

私は、村井知事が防衛大学校自衛官松下政経塾出身だからいうのではないが、かくの如き強硬姿勢の底に流れている知事の“ファッショ的”ともいうべき体質と言動に強い危惧を覚える。なぜなら大震災や戦乱を背景にして“戒厳令”を敷き、「秩序回復」と「復興」を名目にして専制政治を維持・強行してきた事例は、洋の東西を問わないからだ。東日本大震災に関連して比喩的に言えば、このことは「震災復興計画」という“戒厳令”を敷き、「復興特区」という“治外法権区域”を設定して憲法や実定法で規定された国民の私有財産権や漁業権等を超法規的に制限し、財界や財界系シンクタンクの構想する「単純に復元するだけでなく「元に戻さない」計画、新しい発想にもとづく都市計画」(野村総研、『震災復興に向けた緊急対策の推進について』、2011年4月4日)を実現しようという事態の再来ではないか。

日本経団連経済同友会は、第3回復興構想会議のヒアリングにおいて、おのおの『震災復興基本法の早期制定を求める』(経団連)、『東日本大震災からの復興についての考え方』(同友会)を示した。前者は「政治の強いリーダーシップによる国をあげた迅速かつ一体的・総合的な取り組み強化は喫緊の課題であり、被災地域の早期復興と新しい日本の創造に向けた「基本法」を制定し、強力な指揮命令権を持つ司令塔を確立する」というもの、後者は「復興は震災前の状況に復旧させることではない。国際競争力ある国内外に誇れる広域経済圏の創生をめざす」、「復興に際しては、従来の各県単位での地方振興策とは全く異なる発想が求められる。すなわち道州制の先行モデルをめざし、東北という地域が主体となって、地域としての全体最適を図る」というものだ。

村井知事が五百旗頭議長と連携して、その先頭に立っているなどとは思いたくないが、事態が「キナ臭い」ことには変わりない。(つづく)